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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 233 個の記事をリストしました。

東京朝鮮第6幼初級学校、新校舎が竣工

今年創立70周年を迎える東京朝鮮第6幼初級学校(東京都大田区)の新校舎竣工式が4月29日、晴天下のもと同校で行われ、保護者や卒業生、地域の同胞たち約600人が集まり、祝杯をあげた。2013年の京都初級、14年の東京第1初中に続く、新校舎の建設。厳しい経済状況の中で莫大な資金を集めた地域同胞の底力に各地から声援が寄せられた。

特別企画 7月8日まで外登の切り替えを!

新在留管理制度がスタートして3年。制度が変わり、特別永住者の方は外国人登録証明書から特別永住者証明書に、永住者などは在留カードに切り替える必要があり、7月8日までに期限が迫る方もいます。特別企画では、わかりやすいQ&Aに加え、「おさらい特別永住」として、現在の特別永住者制度がはらむ問題点も明示しています。

始まりのウリハッキョ編vol.06  区役所の一角で上がった産声~東京朝鮮第9初級学校

東京・阿佐ヶ谷の閑静な住宅街の中にたたずむ東京朝鮮第9初級学校。来年、創立70周年を迎える同校のルーツは1946年3月に開校した杉並初等学院にさかのぼる。 1世が語る草創期 45年8月の日本敗戦と祖国解放後、現在の東京第9初級の学区である杉並区や中野区内にも在日朝鮮人の手によって同胞子女たちのための国語講習所がいくつか設立された。 その後、杉並ではこれらの講習所を一つにまとめ、46年3月5日、当時の杉並区役所分室(阿佐ヶ谷南)に朝連(在日本朝鮮人連盟)杉並初等学院が設立される。現在の東京第9初級とは阿佐ヶ谷駅を挟んだ逆側に位置していた。3月5日は同校の創立記念日に定められている。2006年に発行された学校創立60周年記念誌によると、設立当時の児童数は36人、教員3人、教室は2つだった。

カフェで会いましょう

忙しい日々の合間にほっと一息。カフェは素敵な空間です。
日本各地と平壌の個性溢れるカフェを紹介。終わりには短編小説も掲載しました。
今月はイオを手に、お気に入りのカフェへ足を運んでみましょう。

20年間の歩み知ってほしい―ムジゲ会発足20周年 記念誌が発刊

ムジゲ会発足20周年記念誌「子ども・家族―つながりあう優しいトンポトンネを目指して」―20年の歩み―が完成した。冊子には、会の歩みを振り返る年表や記事のほかに、ムジゲ会の会員家族とボランティアによる手記17編、応援メッセージなどが収められている。

朝鮮学校で学ぶ権利を!! 屈辱の2・20から2年、日本各地で一斉行動

日本政府が「高校無償化」制度の省令を改悪し、朝鮮学校を完全に除外した2013年2月20日から2年を迎え、この日を前後して日本各地12ヵ所で一斉に抗議行動が行われた。「無償化」排除から5年、募りつのった日本政府への激しい怒りの声が各地で渦巻いた。

始まりのウリハッキョ編vol.04  試練の時代を乗り越えて~西今里中学校から中大阪朝鮮初級学校へ

大阪市東成区にある中大阪朝鮮初級学校は1948年に設立された朝連(在日本朝鮮人連盟)東成学園をそのルーツとする。翌年の学校閉鎖令によって瀕死の状態に追い込まれた民族教育だったが、その命脈は同じ場所に開校した大阪市立西今里中学校の中で保たれる。同胞たちは親しみを込めて、同校を朝鮮語読みで「ソグムリチュンハッキョ」と呼んだ。 閉鎖、そして公立学校へ 祖国解放後、東成地域には4つの朝鮮小学校が生まれた。統合への動きが高まると、48年1月20日、大阪市側との交渉を経て市有地である阪東国民学校の敷地に新校舎が建設され、朝連東成学園小学校・中学校が発足。ここは現在の中大阪朝鮮初級学校の所在地で、同校はこの日を創立記念日に定めている。 48年の4・24教育闘争を経て、翌49年3月1日付で大阪府は財団法人大阪朝連学園の設置による府下朝鮮学校24校を私立学校として認可。当時、東成学園には小・中合わせて850人を超す児童・生徒が在学していたが、9月8日の朝鮮学校閉鎖令によって学校の門は閉ざされる。  

始まりのウリハッキョ編vol.03  強い愛校心で守った ウリハッキョ~四日市朝鮮初中級学校

1962年、各地の朝鮮学校で初の「模範教員集団」と「模範教育会」称号を授与し、以降も全国的に名を馳せた四日市初中級学校。その始まりは小さな家畜小屋、「閉鎖令」後には県下唯一となったハッキョを死守しようと奮闘する同胞たちの姿があった。60年代に「全盛期」を迎えた同校の、草創期をひも解いてみる。

始まりのウリハッキョ編 Vol.2 閉鎖から4年、再び灯した明かり~茨城朝鮮初中高級学校

一昨年に創立60周年を迎えた茨城朝鮮初中高級学校(水戸市千波町)。決して同胞数の多くない地域で祖国解放直後の国語講習所から始まり、日本当局の弾圧にも屈せず、1953年に現在の学校の前身となる茨城朝鮮中学校が創立されるまでの道のりは、県下同胞を挙げてのたたかいがもたらしたものだった。 産声上げた民族教育 茨城の朝鮮学校がたどってきた道のりは、県内の在日朝鮮人史保存活動の一環として2001年に発刊された冊子『茨城における在日朝鮮人の歩み』(歴史編纂委員会編)に詳しい。以下、同書に基づいて、学校創立にいたるまでの歴史をひもとく。 45年11月に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝聯)茨城県本部の下、支部が中心となって各所に朝鮮人学校(国語講習所)が開校した。記録に残っているものとしては、46年2月開校の朝聯関本初等学院と谷田部初等学校が最も古い。その後、下館、土浦、北條と続き、47年までに22校が開校したとされる。        

未来へ受け継ぐ遺産 東京朝鮮第4初中級学校 学舎移転30周年記念公演

東京朝鮮第4初中級学校(東京都足立区)の学舎移転30周年記念公演「未来への遺産」が12月2日、ギャラクシティ(西新井文化ホール)で行われた。

始まりのウリハッキョ編 Vol.1 創立70年、荒川土手の夕陽は永遠に~東京朝鮮第4初中級学校

在日朝鮮人の民族教育が始まって70年を迎えようとしている。東京有数の同胞集住地域である足立では、祖国解放直後の1945年9月に現在の朝鮮学校の原型となる「国語講習所」が産声を上げた。 民族を取り戻す 『足立から見た在日コリアン形成史』(姜徹著、雄山閣)によると、梅田町(現在の西新井栄町)にあった東亜工業株式会社の工場の一部を借りて、子どもたちに対する教育が始まった。校長は、同社社長の尹柄玉さんが務めた。東京第4初中の沿革史には国語講習所が開設された9月13日を学校の創立記念日としている。 その後、千住旭町、五反野南町でもそれぞれ日本の施設を借りて教育が始まった。そして、区内3ヵ所で行われていた民族教育を統合する形で、47年2月、現在の本木1丁目にあたる場所に東京朝鮮足立初等学院が建設された(48年4月から東京朝鮮第4小学校)。校長は、のちに東京朝鮮中高級学校の校長となる林光澈さんだった。    

3、4、5歳 心と体を耕そう

スポンジのような感性で五感が育つ幼児期は「人間の基礎を作る時期」といわれます。3、4、5歳のこの時期、どんな環境を整え、どんな声がけをしてあげればいいのでしょうか。子どもをよく知る人たちとともに、考えてみました。

高校無償化本2

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