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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 256 個の記事をリストしました。

アボジサミット2016~学び、語り、パワーアップ!

鮮学校を支援するアボジ会のパワーアップを目指した「関東アボジサミット2016」が8月28日、東京・荒川区の東京朝鮮第1初中級学校で行われ、東京、神奈川、埼玉、千葉、栃木、群馬などの朝鮮学校18校から約50人のアボジ会のメンバーが集まった。アボジ会は各地の学校で増えており、学校支援の様々な取り組みが生まれている。

西播で産声上げた朝鮮中学校 始まりのウリハッキョ編vol.20  中等教育のはじまり(近畿)

1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育は近畿地方でも 兵庫、大阪を中心に早い時期から始まった。46年6月に創立された朝連飾磨学院中等部は兵庫県のみならず日本全国的に見ても最初期に生まれた中等教育機関のうちの一つだと言われている。同校は、今年創立70周年を迎える 西播朝鮮初中級学校(姫路市)の前身だ。 朝連飾磨学院中等部 姫路の地で中等教育が産声を上げるまでの経緯を振り返ってみよう。 この地域における民族教育は大きく3つの地域に分かれて行われた。姫路市内を中心とした地域、飾磨・広畑を中心とした地域(姫路西地域)、網干地域だ。姫路西地域には解放前まで新日鉄広畑、姫路港などでの労働に従事していた同胞たちが多く住んでいたという。総聯姫路西支部同胞沿革史『西播』(2013年11月発行)によると、45年9月6日、英賀宮前に住んでいたある同胞が自宅で児童16人を集めて国語講習所を開設した。これが同地域における民族教育の始まりだと言われている。同年10月3日に朝連飾磨支部が結成されると、地域に3ヵ所にあった講習所を統合し、10月30日には英賀東町で飾磨朝連初等学院(児童数130人、教員4人)が開校された。 翌46年4月から児童数が200人を超え、初等教育全般をカバーするようになった。そして6月26日、姫路市飾磨区栄町に借りた木造の2階建ての校舎で朝連飾磨学院中等部が創立された。『4・24阪神教育闘争』(「4・24を記録する会」編著、1988年)には、「日本の中学を中退した者、小学校卒業者、学力該当者55人をもって中等部を設置」「全国で最初に開校した朝鮮中学校」などと記されている。

輝く、その名も東京朝鮮中学校 始まりのウリハッキョvol.19 中等教育のはじまり(東京)

1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育が始まって今年で70年を迎える。日本各地で中等教育がどのようにして始まったのか―。まずは、東京朝鮮中高級学校の草創期を振り返ってみよう。

大阪・200回目の火曜日行動 / 「差別反対」訴え続けた4年間

「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」(以下、「無償化連絡会・大阪」)が主管する、大阪府庁前での「火曜日行動」が6月21日に200回目を迎えた。この日、節目の200回に際して参加者たちによるデモ行進が行われた。「火曜日行動」は朝鮮学校への補助金再交付と無償化制度への適用を求めて2012年4月17日に始まり、これまで休むことなく続けられてきた。

“同胞たちが集結し、新たな一歩を” 朝大創立60周年記念大祝祭

朝鮮大学校創立60周年を祝う記念大会が5月28日、記念大祝祭が29日、東京都小平市の同校で開かれた。大祝祭には、朝鮮大学校学生・卒業生、日本全国の朝鮮高校生をはじめとする朝鮮学校生徒、同胞ら総勢7000人が訪れた。

受け継がれる1世の遺産 始まりのウリハッキョ編vol.18  西東京朝鮮第2幼初中級学校

 今年、創立70周年を迎える西東京朝鮮第2幼初中級学校(町田市)。同胞数がさほど多くないこの地域で、民族教育の命脈はいかにして引き継がれてきたのか―。1946年の創立から68年の校舎新築までを振り返る。    公会堂を借りてスタート  町田における民族教育の本格的な始まりは1946年1月15日。西東京朝鮮第2幼初中級学校の前身となる町田朝聯学院が寺町(現在の原町田1丁目)にあった公会堂を借りて開校した日だ。1月15日は同校の創立記念日となっている。  当時を知る総聯町田支部顧問で1世の金英さん(91)によると、教材には朝鮮語の가갸표(子音・母音表)などが使われていたという。資料には、町田朝聯学院の開校当時の生徒数は33人だったと記されている。  自前の校舎が建ったのは開校1年後の47年12月2日のこと。400坪程度の敷地に、平屋建て(一部2階建て)の校舎と運動場が完成した。朝聯東京本部が作成した都内の朝鮮学校の実態に関する資料(49年)によると、当時の学校の規模は学級数6、教員数4、児童・生徒数102人で、校長は孫慶植さんとなっている。

始まりのウリハッキョ編vol.17  引き継がれるウリマル表現の営み~「コッソンイ」作文コンクール

 「コッソンイ」(꽃송이、花房)の名で知られる在日朝鮮学生作文コンクールは朝鮮学校に通う児童・生徒たちを対象にした唯一の朝鮮語作文コンクールだ。この間、一度の中断もなく、今年、38回目を迎えた。    1回目は1104編の応募  コンクールの記念すべき第1回は今から38年前の1978年、朝鮮民主主義人民共和国創建30周年を記念して行われた。主催団体は朝鮮新報社。当時のコンクールの正式名称は、「朝鮮学生文学作品懸賞募集」となっていた(第3回から「在日」の2文字がつく)。後援団体としては、在日本朝鮮人商工連合会、在日本朝鮮人中央教育会、在日本朝鮮文学芸術家同盟、学友書房などが名を連ねた。  第1回の審査委員リストには、李殷直、朴鐘相、金斗権、鄭和欽、鄭華水の各氏をはじめ当代随一の同胞文学者らの名前が見つけられる。ちなみに、コンクール初期の審査委員はほとんどが1世だったため、日本生まれの児童・生徒たちが母国語で文章を書くこと自体に感動し、どの作品を選ぶか一向に審査が進まなかったという逸話も伝えられている。  

“人間としての心を問いたい” ―政府が自治体へ、朝鮮学校の補助金停止を促す通知

文部科学省は3月29日、「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について」と題した通知を出した。各地方自治体の判断に委ねられている補助金の支給に対し、政治・外交問題を理由に「留意」を促すという前代未聞の通知に、各地から非難の声が相次いでいる。

始まりのウリハッキョ編vol.16  みなを驚かせた新キャンパス~朝鮮大学校の創立と学舎移転

今年4月、創立60周年を迎えた朝鮮大学校(東京都小平市)。在日朝鮮人による民族教育の最高学府はいかにして生まれ、発展の礎を築いたのか。1956年4月10日の創立から59年6月13日に小平へ移転するまでの歩みを振り返る。   仮校舎でスタート 朝鮮大学校の設立は、在日朝鮮人自身の切実な要求から出発した。植民地期に満足な教育を受けられず、解放後も日本政府の差別政策によって苦労してきた同胞たちにとって、高等教育まで一貫した民族教育の体系を確立することは悲願だった。在日朝鮮人運動で指導的役割を担う幹部や朝鮮学校の教員を育成する自前の拠点も必要とされていた。 在日朝鮮人のための高等教育機関の設立は、51年1月9日に結成された在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)の時代から議論されてきたが、その歩みが本格化するのは在日本朝鮮人総聯合会(総聯)の結成以降のこと。総聯の結成を宣言した第1回全体大会(55年5月25~27日)では、53年10月に設立された朝鮮師範専門学校を将来、大学課程を履修できる高等教育機関として強化していく方針が示された。そして、総聯中央委員会第2回会議(55年9月24~26日)で、師範専門学校を土台にした総合大学の建設を決定。4年制を見すえつつ、当面は2年制とし、7つの学科を開設することも決まった。 そして56年4月10日、朝鮮大学校は東京朝鮮中高級学校(北区・十条)の一部を借用した仮校舎で産声を上げた。初代学長は韓徳銖・総聯中央議長。専任教員6人、講師24人という陣容だった。3月22日付『解放新聞』には、第1次入試を受けた82人中、合格者36人、聴講生15人、保留4人、不合格21人という結果が報じられている。  

始まりのウリハッキョ編vol.15  伝統の原点に日本人指導者~広島朝鮮初中高級学校吹奏楽部

近年目まぐるしい活躍を見せる広島朝鮮初中高級学校(広島市東区)の吹奏楽部。同校で最も歴史の古いクラブだ。楽譜も誰一人読めない中で幕を開けた創部初期から、吹奏楽部としての地位を確立した80年初期までの、知られざるクラブ活動の歴史を探る。

始まりのウリハッキョ編vol.14 師弟の共同作業から生まれたデザイン~「サンペン」マーク誕生秘話

朝鮮学校を象徴するもののひとつに、「サンペン」の通称で知られるマークがある。かつて中・高級部の帽章(帽子につく徽章)などとして使われ、校章にもなっている。朝鮮学校に通った人や学校と関わりを持っていた人であれば、知らない人はいないほど有名なものだ。では、「サンペン」はいつ、どのようにして生まれたのだろうか―。本誌2014年8月号特集で、デザインの考案に携わった当事者の証言に基づいた記事を掲載したが、紙幅の関係で盛り込めなかった内容も含めて、今回あらためてその誕生秘話をひもといてみたい。

40年目の「花園」 東京朝高ラグビー部を支える人々

第95回全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場を果たした東京朝鮮中高級学校ラグビー部。創部から40年、全国大会への門戸が開かれてから21年、悲願成就の影にはOBや保護者らさまざまな人々の後押しがあった。「花園」初出場までの道のりを、チームを支える人々の姿からたどった。

高校無償化本2

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