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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 261 個の記事をリストしました。

5回の移転を経て、現代的な校舎へ 始まりのウリハッキョ編vol.22 中等教育のはじまり(愛知)

愛知県内では、解放後から1947年までの間に32校の国語講習所や初等教育の場ができ、児童・生徒数は約4800人に達した。その後、中等教育への要望が高まり48年に「中部朝鮮中学校」が創立される。愛知での中等教育を取り巻く状況と、民族教育を守り発展させてきた同胞たちの軌跡をたどってみよう。

トイレ、校舎がきれいにー70周年迎えるハッキョで環境整備

創立70周年、60周年を迎える各地の朝鮮学校で、校舎の改修や教育機材を支援する動きが活発だ。

ウリ民族フォーラム2016 in 大阪

「ウリ民族フォーラム2016 in大阪」(主催=在日本朝鮮大阪府青年商工会)が9月11日、大阪朝鮮高級学校(東大阪市)の大阪朝鮮文化会館で行われた。20回目を迎えた今回は「ウリ民族フォーラム」に加え、同校運動場で「1万人の同胞フェスタ」も催され、終日大勢の人々で賑わった。

【特集】学ぶっておもしろい!

「学びたい!」という気持ちに年齢は関係ありません。
科学、福祉、歴史、文化、ウリマルやロボット、プログラミング…。特集では、下は小学生から上は90代まで、さまざまな分野で学んでいる老若男女の同胞たちに、学びの醍醐味や楽しさについて聞いています。また、女性が学ぶことや「学びの場」にもスポットを当てました。

創立60年、折尾の九州中高 始まりのウリハッキョ編vol.21  中等教育のはじまり(九州)

九州地方で唯一の在日朝鮮人の中等教育施設である九州朝鮮中高級学校 (福岡県北九州市)が今年、創立60周年を迎える。歴史的に朝鮮半島と深い関わりを持ってきたこの地方で戦後、在日朝鮮人の中等教育はいかにして生まれたのか。県下の民族教育の歴史も振り返りながら、ひもといてみよう。 北九州中心に小学校設立 福岡は日本でもっとも朝鮮半島と近い地域だ。1945年8月の祖国解放後、故郷に帰るため小倉、八幡、福岡などに日本各地から同胞たちが集まってきた。 福岡には小倉炭坑や筑豊炭田、陸軍小倉造兵工廠、八幡製鉄所など戦争遂行に必要な軍需関連施設が多くあったため、解放前から数多くの同胞たちがそこで働き、暮らしていた。 解放後も少なくない人々がさまざまな事情で帰国せず、そこに住み着いた。朝鮮半島行きの船便を待ったが、希望者が多く、乗船できない人たちもいたため滞留者は増え続け、福岡県内に生活基盤を築く人々も現れた。 ほかの地域と同じく福岡県でも、祖国解放直後から自国の言葉と歴史を学ぶための国語講習所が各地に設立された。在日本朝鮮人連盟(朝連)の結成後、47年までの間に若松、門司、八幡、戸畑、福岡をはじめ10の支部内に初等学院(小学校)が建てられた。とくに朝連小倉支部(現在の小倉北区明和町にある総聯小倉支部)の敷地には46年に小・中学校が設立され、49年には県下で唯一の高校も併設された。当時、県下で2000人の同胞の子どもたちが朝鮮学校に就学していたといわれている。

アボジサミット2016~学び、語り、パワーアップ!

鮮学校を支援するアボジ会のパワーアップを目指した「関東アボジサミット2016」が8月28日、東京・荒川区の東京朝鮮第1初中級学校で行われ、東京、神奈川、埼玉、千葉、栃木、群馬などの朝鮮学校18校から約50人のアボジ会のメンバーが集まった。アボジ会は各地の学校で増えており、学校支援の様々な取り組みが生まれている。

西播で産声上げた朝鮮中学校 始まりのウリハッキョ編vol.20  中等教育のはじまり(近畿)

1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育は近畿地方でも 兵庫、大阪を中心に早い時期から始まった。46年6月に創立された朝連飾磨学院中等部は兵庫県のみならず日本全国的に見ても最初期に生まれた中等教育機関のうちの一つだと言われている。同校は、今年創立70周年を迎える 西播朝鮮初中級学校(姫路市)の前身だ。 朝連飾磨学院中等部 姫路の地で中等教育が産声を上げるまでの経緯を振り返ってみよう。 この地域における民族教育は大きく3つの地域に分かれて行われた。姫路市内を中心とした地域、飾磨・広畑を中心とした地域(姫路西地域)、網干地域だ。姫路西地域には解放前まで新日鉄広畑、姫路港などでの労働に従事していた同胞たちが多く住んでいたという。総聯姫路西支部同胞沿革史『西播』(2013年11月発行)によると、45年9月6日、英賀宮前に住んでいたある同胞が自宅で児童16人を集めて国語講習所を開設した。これが同地域における民族教育の始まりだと言われている。同年10月3日に朝連飾磨支部が結成されると、地域に3ヵ所にあった講習所を統合し、10月30日には英賀東町で飾磨朝連初等学院(児童数130人、教員4人)が開校された。 翌46年4月から児童数が200人を超え、初等教育全般をカバーするようになった。そして6月26日、姫路市飾磨区栄町に借りた木造の2階建ての校舎で朝連飾磨学院中等部が創立された。『4・24阪神教育闘争』(「4・24を記録する会」編著、1988年)には、「日本の中学を中退した者、小学校卒業者、学力該当者55人をもって中等部を設置」「全国で最初に開校した朝鮮中学校」などと記されている。

輝く、その名も東京朝鮮中学校 始まりのウリハッキョvol.19 中等教育のはじまり(東京)

1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育が始まって今年で70年を迎える。日本各地で中等教育がどのようにして始まったのか―。まずは、東京朝鮮中高級学校の草創期を振り返ってみよう。

大阪・200回目の火曜日行動 / 「差別反対」訴え続けた4年間

「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」(以下、「無償化連絡会・大阪」)が主管する、大阪府庁前での「火曜日行動」が6月21日に200回目を迎えた。この日、節目の200回に際して参加者たちによるデモ行進が行われた。「火曜日行動」は朝鮮学校への補助金再交付と無償化制度への適用を求めて2012年4月17日に始まり、これまで休むことなく続けられてきた。

“同胞たちが集結し、新たな一歩を” 朝大創立60周年記念大祝祭

朝鮮大学校創立60周年を祝う記念大会が5月28日、記念大祝祭が29日、東京都小平市の同校で開かれた。大祝祭には、朝鮮大学校学生・卒業生、日本全国の朝鮮高校生をはじめとする朝鮮学校生徒、同胞ら総勢7000人が訪れた。

受け継がれる1世の遺産 始まりのウリハッキョ編vol.18  西東京朝鮮第2幼初中級学校

 今年、創立70周年を迎える西東京朝鮮第2幼初中級学校(町田市)。同胞数がさほど多くないこの地域で、民族教育の命脈はいかにして引き継がれてきたのか―。1946年の創立から68年の校舎新築までを振り返る。    公会堂を借りてスタート  町田における民族教育の本格的な始まりは1946年1月15日。西東京朝鮮第2幼初中級学校の前身となる町田朝聯学院が寺町(現在の原町田1丁目)にあった公会堂を借りて開校した日だ。1月15日は同校の創立記念日となっている。  当時を知る総聯町田支部顧問で1世の金英さん(91)によると、教材には朝鮮語の가갸표(子音・母音表)などが使われていたという。資料には、町田朝聯学院の開校当時の生徒数は33人だったと記されている。  自前の校舎が建ったのは開校1年後の47年12月2日のこと。400坪程度の敷地に、平屋建て(一部2階建て)の校舎と運動場が完成した。朝聯東京本部が作成した都内の朝鮮学校の実態に関する資料(49年)によると、当時の学校の規模は学級数6、教員数4、児童・生徒数102人で、校長は孫慶植さんとなっている。

始まりのウリハッキョ編vol.17  引き継がれるウリマル表現の営み~「コッソンイ」作文コンクール

 「コッソンイ」(꽃송이、花房)の名で知られる在日朝鮮学生作文コンクールは朝鮮学校に通う児童・生徒たちを対象にした唯一の朝鮮語作文コンクールだ。この間、一度の中断もなく、今年、38回目を迎えた。    1回目は1104編の応募  コンクールの記念すべき第1回は今から38年前の1978年、朝鮮民主主義人民共和国創建30周年を記念して行われた。主催団体は朝鮮新報社。当時のコンクールの正式名称は、「朝鮮学生文学作品懸賞募集」となっていた(第3回から「在日」の2文字がつく)。後援団体としては、在日本朝鮮人商工連合会、在日本朝鮮人中央教育会、在日本朝鮮文学芸術家同盟、学友書房などが名を連ねた。  第1回の審査委員リストには、李殷直、朴鐘相、金斗権、鄭和欽、鄭華水の各氏をはじめ当代随一の同胞文学者らの名前が見つけられる。ちなみに、コンクール初期の審査委員はほとんどが1世だったため、日本生まれの児童・生徒たちが母国語で文章を書くこと自体に感動し、どの作品を選ぶか一向に審査が進まなかったという逸話も伝えられている。  

高校無償化本2

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