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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 215 個の記事をリストしました。

特別企画「朝高制服図鑑」

朝鮮学校の制服のシンボルといえば、女子のチマチョゴリ、男子の「サンペン」マークだ。衣服は民族や意識を象徴するものだが、朝鮮学校制服のシンボルは今も健在。女子の多くは、校内ではチマチョゴリ制服で過ごし、登下校時には第2制服のブレザーを着る。男子の制服は1986年から徐々に学ランからブレザーに移行、ボタンやシャツに「サンペン」マークが利用されている。全10の朝高、その制服を一挙紹介します。

地域唯一の初級学校、今年で創立50年/おいでよウリハッキョvol.14 北九州朝鮮初級学校

北九州朝鮮初級学校は、九州の玄関口である福岡県北九州地域唯一の初級学校だ。同じ敷地の中には九州朝鮮中高級学校が立つ。

マルチな取り組みで生徒の能力を引き出す!/おいでよウリハッキョvol.13 神奈川朝鮮中高級学校

多彩な課外活動、ロボコンや地域住民とのボランティアマラソン、特徴ある学校行事など、生徒たち一人ひとりの潜在能力を引き出し、個性を伸ばす教育に力を入れてきた神奈川朝鮮中高級学校。今年も魅力的な取り組みが盛りだくさん!

人生のカウンターパンチャーに/教員編vol.33 東京朝高ボクシング部監督・李成樹さん

朝高ボクシングを頂点に押し上げるために人生を捧げた李成樹・東京朝鮮中高級学校ボクシング部監督(享年46歳)。教え子や縁の人から、その情熱を追った。

短期講習から師範学校へ 始まりのウリハッキョ編vol.32 教員育成の歴史

朝鮮学校の特徴として、教員の養成を自前で行っていることが挙げられる。現在、日本各地にある朝鮮学校の教員は朝鮮大学校から輩出されるのが基本だが、それまではさまざまな方法で教員が養成されていた。各地にあった師範学校、朝鮮高級学校の師範科を中心に、民族教育のもう一つの教員養成の歴史をたどる。

朝鮮学校の子どもたちに学ぶ権利を! 「高校無償化」裁判 全国集会

朝鮮学校の子どもたちに学ぶ権利を!「高校無償化」裁判 全国集会が10月25日、代々木公園イベント広場野外ステージで行われ、裁判を闘っている5ヵ所の代表をはじめ、日本市民や在日朝鮮人ら3000余人が結集した。集会とパレードが行われ、差別なく朝鮮学校の子どもたちにも高校無償化を適用するよう訴えた。

「小さなハッキョ」の特性、プラスに転換/おいでよウリハッキョvol.12 栃木朝鮮初中級学校

小山駅からスクールバスに乗り込み栃木朝鮮初中級学校に着くと、長い歴史を感じさせる広大な敷地と立派な校舎が迎えてくれた。在校生11人、教員5人と規模は小さいが、この地で受け継がれた民族教育の風景は今日もしっかりと残っている。創立60周年を迎えた今年、同校の未来を切り開こうと地域全体が力を振り絞っている。

東京無償化裁判 国の差別、司法が追認

2014年2月、62人の東京朝鮮中高級学校生が無償化法の適用を求め、一人あたり10万円の国家賠償を求めた東京無償化裁判の判決が9月13日、東京地裁で言い渡され、原告の請求が棄却された。

伝統を引継ぎ発展! ウリマル・ウリノレが行き交う民族教育/おいでよウリハッキョvol.11 西神戸朝鮮初級学校

西神戸朝鮮初級学校の児童・園児たちはパワフルで笑顔が絶えず、時に真剣に目の前のことに取り組んでいる。そんな子どもたちの学校を守りたいという「4.24の精神」が色濃く残るこの地では、教員や地域同胞の思いも熱い。校舎の改修工事を行った今年、地域全体が今一度学校への関心を寄せている。

【特集】今こそ見つめる民族教育権

在日朝鮮人の権利運動の場で「民族教育権」が強調されて久しい。そもそも民族教育権とは何か、どのような法的根拠を持つのか、なぜ権利として認められなければいけないのか―。これらの疑問に明快な答えを出せる人はそう多くない。国際人権規約から見た民族教育、日本の司法と民族教育権、民族教育の現場で調査、研究活動を続ける学者たち―各地の高校無償化裁判で一審判決の言い渡しが続く中、あらためて民族教育の権利について多角的に考えてみる。

第1回優勝校の栄誉は永遠に 始まりのウリハッキョ編vol.30 在日朝鮮初級学校中央サッカー大会

「コマチュック(꼬마축구)」(ちびっこサッカーの意)の愛称で親しまれ、数々のドラマが繰り広げられてきた在日朝鮮初級学校中央サッカー大会が今年で39回目を迎える。第1回大会にスポットを当て、優勝校の西播朝鮮初中級学校(兵庫県姫路市)の足跡もたどりつつ、その歴史をひもといてみる。 初の全国レベルの大会 第1回大会は1979年6月8~10日に開催された。大会の正式名称は、「総聯結成24周年記念 在日朝鮮初級学校学生サッカー大会」。在日本朝鮮人蹴球協会が主催して、東京大学検見川グラウンド(千葉県千葉市)と東京朝鮮中高級学校の運動場で行われた。参加したのは日本各地の地方予選を勝ち抜いた36チーム。600人の選手たちが一堂に会した(予選参加は69校)。 それまで初級部のサッカーに関しては関東大会、近畿大会のほかに、いくつかの県で大会をやるくらいで、全国規模の大会はなかった。70年代半ばから朝鮮学校の選手育成事業に力が注がれてきたが、その一環として、初級部の全国大会を開催する運びとなった。 「初期の大会は、ワールドカップのような各地域の予選を勝ち抜いた強豪チームが集まるというイメージでした」。運営に長く携わり、大会の移り変わりを間近で見てきた在日本朝鮮人蹴球協会の李康弘理事長(54)はこう話す。 当時のパンフレットを見ると、後援団体として在日本朝鮮蹴球団後援会が名を連ねている。70年代に結成され、会員は商工人がメイン。選手たちの宿泊費、食費をはじめ大会運営に必要な財政をまかなった。当時の朝鮮新報に後援会の活動が取り上げられていることからも、その存在の大きさがうかがえる。 栄えある第1回大会の優勝校は兵庫県姫路市の西播朝鮮初中級学校。姫路市在住の韓東洙さん(50)は当時の優勝メンバーだ。背番号11でポジションは右のウィング。今で言うサイドアタッカーで、チームの副主将も務めた。 当時、同校初級部サッカー部は姫路市内でダントツの強さを誇っていた。「男子児童のほとんどがサッカー部に入る時代。朝から晩までサッカー漬けの毎日でした。練習は厳しかった。日曜日も午前午後とみっちり。試合がある日が一番うれしかった。終わるとすぐ帰れるから(笑)」。 兵庫県の初級学校10数校のうち、西播と尼崎、東神戸の3校が予選を勝ち上がり、本大会への出場を決めた。 ・・・

思いやりあふれる家族のようなウリハッキョ/おいでよウリハッキョvol.10 四国朝鮮初中級学校

愛媛県松山市にある四国朝鮮初中級学校は現在、児童・生徒数16人。複式学級を取り入れ、5つのクラスで児童・生徒が学ぶ。パワフルな若手教員たちと児童・生徒たちの信頼も厚く、「家族」と変わらない絆がある。人数は少ないが、他では見られない強みが次々と見えてくる。

虫さんたちの作戦会議

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