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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 190 個の記事をリストしました。

作ってみよう、オリニ新聞

「子ども目線」で、今の世の中はどう見えているのでしょうか?絶滅危惧種に指定されているクロツラヘラサギの保護活動、ウリトンネの名残が残る街の風景に、自らが学ぶ学校のルーツ、そして社会に問いかけたいこと…。
子ども記者たちが足で稼ぎ、作りあげたオリニ新聞、お楽しみください。

日本で一番大きな朝鮮初級学校 おいでよウリハッキョvol.2  生野朝鮮初級学校

 日本最大の朝鮮人集住地域である大阪市生野区に建つ生野朝鮮初級学校。単設の初級学校としては日本全国の朝鮮学校の中で最大の規模を誇る。昨年、創立25周年を迎えて、幼稚班で2歳児保育が始まり、校舎の改修・補修など教育環境の整備も行われた。  △今月のハッキョ  生野朝鮮初級学校  歴史:91年4月1日、生野区内の3つの初級学校(東大阪朝鮮第1、第3、第5初級学校)が統合し、誕生。翌92年8月30日、第5初級学校の跡地に新校舎が竣工。各校の附属幼稚班も統合し、生野朝鮮幼稚園に。97年4月、生野初級付属幼稚班となり、翌98年4月、新園舎竣工とともに生野初級に移転。2016年、創立25周年を迎えた。  データ:梁学哲校長/園児・児童:209人/学区:大阪市生野区、平野区、住吉区、阿倍野区など  〒544-0012 大阪府大阪市生野区巽西3-14-16  Tel:06-6758-0848  △2歳児保育始めました!  昨年10月に6人入園  近年の同校の意欲的な取り組みの一つとして挙げられるのが、2016年から始まった2歳児保育(4年保育)だ。昨年10月、第1期生として6人が同校付属幼稚班に入園した。  同校では一昨年11月に準備委員会を発足させ、準備を進めてきた。昨年8月に園舎の改築工事を行い、2歳児クラスの保育室を整備し、床暖房と空調も新調。洋式トイレを増設し、炊事室と玄関も改築した。  「保護者からの評判も上々」だとクラスの担任・安充心さん(41)は話す。4年保育のスタートは園児、児童数の増加にもつながるとして期待が寄せられている。  △生野朝鮮初級学校のトライ!  学校、保護者、地域が一体に  近年、生野朝鮮初級学校では児童たちが言葉、歴史、伝統など「ウリ」を誇れるような教育に力を入れる一方、2歳児保育の実施など意欲的な目標を矢継ぎ早に掲げて、推し進めてきた。日本屈指の同胞集住地域に建つアドバンテージを活かし、掲げた課題に学校、保護者、地域同胞社会の三位一体で取り組んでいる。

民族学級から民族学校へ 始まりのウリハッキョ編vol.24  滋賀朝鮮初級学校

 1949年の学校閉鎖令後、朝鮮学校が再建されるまでの経緯は各地でさまざまだが、滋賀県では「民族学級」を経て学校が再建された。60年4月、滋賀朝鮮中級学校(後に初中級学校、現在は初級学校)が開校するまでの歴史を振り返る。    学校閉鎖から民族学級へ  1945年8月15日の解放直後、滋賀県内には約2万人の朝鮮人が住んでいた。ほかの地域と同じく、滋賀でも子どもたちに母国語を教える国語講習所が各地に生まれ、その後、在日本朝鮮人連盟(朝連)の下で次第に学校として整備されていった。県内の朝鮮学校は46年5月時点で22校(生徒1260人、教員60人)、48年2月には18校(774人、38人)、49年5月には13校(580人、16人)あった。(数字は朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成<戦後編>』第1巻、李殷直『「在日」民族教育の夜明け 1945年10月~48年10月』より)。  49年10月の学校閉鎖令によって日本全国の朝鮮学校は強制的に閉鎖されてしまうが、滋賀にあった11校も同じ道をたどった。  その後、民族教育はさまざまな形でその命脈を維持していく。その一つが「民族学級」だ。これは、日本の公立学校内に置かれた朝鮮人児童・生徒のための特設教室で、1952年時点で13府県にあった。滋賀では最盛期には18の学校に民族学級が設置され、朝鮮人学齢児童の就学率は57年時点で7割を超えた。  民族学級が設置されるまでの道のりは平坦ではなかった。朝鮮学校側が朝鮮人児童・生徒たちの今後について教育委員会側と交渉を重ねた結果、日本学校でも課外で朝鮮語授業を行えるようになったが、それは不十分なレベルだった。49年11月29日付『朝日新聞』滋賀版によると、県教委は関係各市町村長に、朝鮮語は課外授業として希望者に週4、5時間教えてもいいが、朝鮮人ばかりの特別学級や分校の設置は認められない、などの指令を送っている。このように、日本学校の分校という道すら閉ざされていた状況で、公立小学校内に自民族の言葉と文化を学べる民族学級の設置を求める方向で運動を展開していった。  50年に入って、各市町村長や教育委員会、小学校長への働きかけ、街頭でのビラ配りや署名活動、同盟休校などの取り組みが続く。朝鮮人側の粘り強いたたかいに、行政当局はついに折れた。6月、双方は週10時間程度の民族科目の課外授業、県下各校への朝鮮人教師の増員配置、給料の増額などの覚書を交換するにいたった…

朝・日・世界をつなぐ大学に!/朝鮮大学校創立60周年記念国際シンポジウム&学園祭

朝鮮大学校創立60周年記念国際シンポジウムが2016年11月12日、学園祭が13日に同校で開かれた。朝大の枠を越え、人びとが交流し賑わう2日間となった。

午後夜間学校で繋いで きた民族教育の灯 始まりのウリハッキョ編vol.23  北海道朝鮮初中高級学校

北海道朝鮮初中級学校が創立されたのは1961年。それまでは道内各地に「午後夜間学校」を置き、自主学校という形で教育が続けられてきた。北海道での民族教育はどのように始まり、発展してきたのか。数少ない資料と当時を知る同胞たちの証言をもとに、高級部が併設されるまでの歴史をたどってみる。

100回超えた「金曜行動」―連帯の輪も広がる

朝鮮学校への高校無償化制度適用を求める「金曜行動」が10月21日、第100回を数えた。文部科学省前には朝鮮大学校学生、朝鮮高校生、保護者、日本人支援者たち総勢1000人が集まりシュプレヒコールを叫んだ。10月28日には、韓国から12人の有志が駆けつけ、「金曜行動」参加者たちを激励した。

トイレ、校舎がきれいにー70周年迎えるハッキョで環境整備

創立70周年、60周年を迎える各地の朝鮮学校で、校舎の改修や教育機材を支援する動きが活発だ。

ウリ民族フォーラム2016 in 大阪

「ウリ民族フォーラム2016 in大阪」(主催=在日本朝鮮大阪府青年商工会)が9月11日、大阪朝鮮高級学校(東大阪市)の大阪朝鮮文化会館で行われた。20回目を迎えた今回は「ウリ民族フォーラム」に加え、同校運動場で「1万人の同胞フェスタ」も催され、終日大勢の人々で賑わった。

【特集】学ぶっておもしろい!

「学びたい!」という気持ちに年齢は関係ありません。
科学、福祉、歴史、文化、ウリマルやロボット、プログラミング…。特集では、下は小学生から上は90代まで、さまざまな分野で学んでいる老若男女の同胞たちに、学びの醍醐味や楽しさについて聞いています。また、女性が学ぶことや「学びの場」にもスポットを当てました。

創立60年、折尾の九州中高 始まりのウリハッキョ編vol.21  中等教育のはじまり(九州)

九州地方で唯一の在日朝鮮人の中等教育施設である九州朝鮮中高級学校 (福岡県北九州市)が今年、創立60周年を迎える。歴史的に朝鮮半島と深い関わりを持ってきたこの地方で戦後、在日朝鮮人の中等教育はいかにして生まれたのか。県下の民族教育の歴史も振り返りながら、ひもといてみよう。 北九州中心に小学校設立 福岡は日本でもっとも朝鮮半島と近い地域だ。1945年8月の祖国解放後、故郷に帰るため小倉、八幡、福岡などに日本各地から同胞たちが集まってきた。 福岡には小倉炭坑や筑豊炭田、陸軍小倉造兵工廠、八幡製鉄所など戦争遂行に必要な軍需関連施設が多くあったため、解放前から数多くの同胞たちがそこで働き、暮らしていた。 解放後も少なくない人々がさまざまな事情で帰国せず、そこに住み着いた。朝鮮半島行きの船便を待ったが、希望者が多く、乗船できない人たちもいたため滞留者は増え続け、福岡県内に生活基盤を築く人々も現れた。 ほかの地域と同じく福岡県でも、祖国解放直後から自国の言葉と歴史を学ぶための国語講習所が各地に設立された。在日本朝鮮人連盟(朝連)の結成後、47年までの間に若松、門司、八幡、戸畑、福岡をはじめ10の支部内に初等学院(小学校)が建てられた。とくに朝連小倉支部(現在の小倉北区明和町にある総聯小倉支部)の敷地には46年に小・中学校が設立され、49年には県下で唯一の高校も併設された。当時、県下で2000人の同胞の子どもたちが朝鮮学校に就学していたといわれている。

アボジサミット2016~学び、語り、パワーアップ!

鮮学校を支援するアボジ会のパワーアップを目指した「関東アボジサミット2016」が8月28日、東京・荒川区の東京朝鮮第1初中級学校で行われ、東京、神奈川、埼玉、千葉、栃木、群馬などの朝鮮学校18校から約50人のアボジ会のメンバーが集まった。アボジ会は各地の学校で増えており、学校支援の様々な取り組みが生まれている。

西播で産声上げた朝鮮中学校 始まりのウリハッキョ編vol.20  中等教育のはじまり(近畿)

1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育は近畿地方でも 兵庫、大阪を中心に早い時期から始まった。46年6月に創立された朝連飾磨学院中等部は兵庫県のみならず日本全国的に見ても最初期に生まれた中等教育機関のうちの一つだと言われている。同校は、今年創立70周年を迎える 西播朝鮮初中級学校(姫路市)の前身だ。 朝連飾磨学院中等部 姫路の地で中等教育が産声を上げるまでの経緯を振り返ってみよう。 この地域における民族教育は大きく3つの地域に分かれて行われた。姫路市内を中心とした地域、飾磨・広畑を中心とした地域(姫路西地域)、網干地域だ。姫路西地域には解放前まで新日鉄広畑、姫路港などでの労働に従事していた同胞たちが多く住んでいたという。総聯姫路西支部同胞沿革史『西播』(2013年11月発行)によると、45年9月6日、英賀宮前に住んでいたある同胞が自宅で児童16人を集めて国語講習所を開設した。これが同地域における民族教育の始まりだと言われている。同年10月3日に朝連飾磨支部が結成されると、地域に3ヵ所にあった講習所を統合し、10月30日には英賀東町で飾磨朝連初等学院(児童数130人、教員4人)が開校された。 翌46年4月から児童数が200人を超え、初等教育全般をカバーするようになった。そして6月26日、姫路市飾磨区栄町に借りた木造の2階建ての校舎で朝連飾磨学院中等部が創立された。『4・24阪神教育闘争』(「4・24を記録する会」編著、1988年)には、「日本の中学を中退した者、小学校卒業者、学力該当者55人をもって中等部を設置」「全国で最初に開校した朝鮮中学校」などと記されている。

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