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ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 196 個の記事をリストしました。

真実から目をそむけた不当判決―大阪補助金地裁判決を読む

学校法人大阪朝鮮学園が原告となり、大阪府・市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取り消しと交付の義務付けを求めた裁判(12年9月提訴、以下、大阪補助金裁判)で、大阪地裁は1月26日、原告の訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。大阪補助金裁判弁護団の普門大輔、木下裕一の両弁護士に判決の不当性について解説いただく。

子どもの力を伸ばす取り組み多彩なハッキョ/おいでよウリハッキョvol.5 東北朝鮮初中級学校

今年2月末、東北朝鮮初中級学校を訪ねた。寒さに負けず広い敷地内を走り抜ける元気な児童・生徒と、パタパタと駆け回りながら校務に勤しむソンセンニムたちの姿が印象的だ。そんな東北初中では、多彩な取り組みを通して子どもたちの好奇心を後押ししている。

朝鮮高校生に笑顔を―2・20省令改悪から4年、日本各地でアクション

20の都道府県で朝鮮高校生裁判支援全国統一行動「私たちの願い―朝鮮学校生に笑顔を! 全国行動月間2017」が約40日にかけて行われ、同胞と日本市民が手を取り合い、朝鮮学校が置かれた差別状況を世論にアピールした。

山口同胞社会の希望 県内唯一のウリハッキョ/おいでよウリハッキョvol.4 山口朝鮮初中級学校

純粋で明るく、人懐っこい山口朝鮮初中級学校の児童・生徒たち。人数は少ないがたくさんの笑顔にあふれている。昨年度は学校創立60周年、民族教育実施70周年を記念するイベントで児童・生徒も教員も大忙し。県内に唯一残る朝鮮学校としての期待を背に、今日も学校生活を送る。

地域に根付いた、70年の歴史あるハッキョ おいでよウリハッキョvol.3  東春朝鮮初級学校

教員や保護者たちが、「家族のようなハッキョ」と愛情を込めて言い表す東春朝鮮初級学校。地域の同胞たちにも支えられながら70年の伝統を守ってきた。昨年の創立記念行事には学区内外から1600人の参加者が集まり、改めて地域にとってなくてはならない拠点であることを再確認させた。

大阪補助金裁判/朝鮮学園側の訴え退ける-地裁の不当判決、ただちに控訴へ

 学校法人大阪朝鮮学園が原告となり、大阪府、市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取り消しと交付の義務づけを求めた裁判(2012年9月提訴、以下、大阪補助金裁判)で、大阪地方裁判所(山田明裁判長)は1月26日、原告の訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。地裁は、補助金不交付の決定は「裁量の範囲内」と認め、不交付の処分性に違法性はないとした。判決を受けて原告側はただちに控訴する意向を表明した。

作ってみよう、オリニ新聞

「子ども目線」で、今の世の中はどう見えているのでしょうか?絶滅危惧種に指定されているクロツラヘラサギの保護活動、ウリトンネの名残が残る街の風景に、自らが学ぶ学校のルーツ、そして社会に問いかけたいこと…。
子ども記者たちが足で稼ぎ、作りあげたオリニ新聞、お楽しみください。

日本で一番大きな朝鮮初級学校 おいでよウリハッキョvol.2  生野朝鮮初級学校

日本最大の朝鮮人集住地域である大阪市生野区に建つ生野朝鮮初級学校。単設の初級学校としては日本全国の朝鮮学校の中で最大の規模を誇る。昨年、創立25周年を迎えて、幼稚班で2歳児保育が始まり、校舎の改修・補修など教育環境の整備も行われた。

民族学級から民族学校へ 始まりのウリハッキョ編vol.24  滋賀朝鮮初級学校

 1949年の学校閉鎖令後、朝鮮学校が再建されるまでの経緯は各地でさまざまだが、滋賀県では「民族学級」を経て学校が再建された。60年4月、滋賀朝鮮中級学校(後に初中級学校、現在は初級学校)が開校するまでの歴史を振り返る。    学校閉鎖から民族学級へ  1945年8月15日の解放直後、滋賀県内には約2万人の朝鮮人が住んでいた。ほかの地域と同じく、滋賀でも子どもたちに母国語を教える国語講習所が各地に生まれ、その後、在日本朝鮮人連盟(朝連)の下で次第に学校として整備されていった。県内の朝鮮学校は46年5月時点で22校(生徒1260人、教員60人)、48年2月には18校(774人、38人)、49年5月には13校(580人、16人)あった。(数字は朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成<戦後編>』第1巻、李殷直『「在日」民族教育の夜明け 1945年10月~48年10月』より)。  49年10月の学校閉鎖令によって日本全国の朝鮮学校は強制的に閉鎖されてしまうが、滋賀にあった11校も同じ道をたどった。  その後、民族教育はさまざまな形でその命脈を維持していく。その一つが「民族学級」だ。これは、日本の公立学校内に置かれた朝鮮人児童・生徒のための特設教室で、1952年時点で13府県にあった。滋賀では最盛期には18の学校に民族学級が設置され、朝鮮人学齢児童の就学率は57年時点で7割を超えた。  民族学級が設置されるまでの道のりは平坦ではなかった。朝鮮学校側が朝鮮人児童・生徒たちの今後について教育委員会側と交渉を重ねた結果、日本学校でも課外で朝鮮語授業を行えるようになったが、それは不十分なレベルだった。49年11月29日付『朝日新聞』滋賀版によると、県教委は関係各市町村長に、朝鮮語は課外授業として希望者に週4、5時間教えてもいいが、朝鮮人ばかりの特別学級や分校の設置は認められない、などの指令を送っている。このように、日本学校の分校という道すら閉ざされていた状況で、公立小学校内に自民族の言葉と文化を学べる民族学級の設置を求める方向で運動を展開していった。  50年に入って、各市町村長や教育委員会、小学校長への働きかけ、街頭でのビラ配りや署名活動、同盟休校などの取り組みが続く。朝鮮人側の粘り強いたたかいに、行政当局はついに折れた。6月、双方は週10時間程度の民族科目の課外授業、県下各校への朝鮮人教師の増員配置、給料の増額などの覚書を交換するにいたった…

朝・日・世界をつなぐ大学に!/朝鮮大学校創立60周年記念国際シンポジウム&学園祭

朝鮮大学校創立60周年記念国際シンポジウムが2016年11月12日、学園祭が13日に同校で開かれた。朝大の枠を越え、人びとが交流し賑わう2日間となった。

午後夜間学校で繋いで きた民族教育の灯 始まりのウリハッキョ編vol.23  北海道朝鮮初中高級学校

北海道朝鮮初中級学校が創立されたのは1961年。それまでは道内各地に「午後夜間学校」を置き、自主学校という形で教育が続けられてきた。北海道での民族教育はどのように始まり、発展してきたのか。数少ない資料と当時を知る同胞たちの証言をもとに、高級部が併設されるまでの歴史をたどってみる。

100回超えた「金曜行動」―連帯の輪も広がる

朝鮮学校への高校無償化制度適用を求める「金曜行動」が10月21日、第100回を数えた。文部科学省前には朝鮮大学校学生、朝鮮高校生、保護者、日本人支援者たち総勢1000人が集まりシュプレヒコールを叫んだ。10月28日には、韓国から12人の有志が駆けつけ、「金曜行動」参加者たちを激励した。

虫さんたちの作戦会議

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