【特集】集まれ、ウリハッキョへ
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大きな時代の流れの中で、朝鮮学校(ウリハッキョ)を取り巻く環境や学校の在り方は常に変化しています。2024年をしめくくる今月号の特集では、各地の学校イベントにはじまり、当事者の生の声、学校運営における実践、日本人支援者たちの取り組みまで、学校に集うさまざまな人びとを通じてウリハッキョの「今」を取り上げます。
ルポ・ウリハッキョに集う人びと①
苦しくても前を向いて
大阪中高、校舎移転を前に感謝祭
大阪朝鮮中高級学校花園校舎感謝祭「세상에 부럼없어라(この世に羨むものはない)」(主催=同校アボジ会・オモニ会)が10月19日、同校敷地内の大阪朝鮮文化会館で行われ、1500人が集った。大阪民族教育の大きな分岐点に立った同胞、生徒たちの姿を記す。
同胞たちの校舎
大阪府東大阪市菱江2丁目18番26号。約5300坪の土地に、堂々たる様相で佇む緑色の校舎―大阪朝鮮中高級学校。大阪民族教育の大黒柱だ。
「最初は何もない更地だった。同胞たちは一丸となって校舎を建てたんだ。生徒たちも運動場の草刈りを手伝ってね」。兪基奉さん(83)が教えてくれた。祖国から教育援助費と奨学金が届いた1957年、当時玉串にあった大阪朝鮮高級学校に入学した兪さんは、約半世紀を民族教育の発展に捧げ、同校校長も長らくつとめた。同校が菱江の地に移転したのは1973年4月。同年8月に文化会館が竣工した。50年も前の記憶は今も脳裏に鮮明に刻まれている。「大阪中高は私の『政治的生命』のようなものです」。
感謝祭が行われたこの日をもって、大阪中高花園校舎は門を閉じ、来年には旧中大阪初級の敷地に建設中の新校舎に移転する。校舎の老朽化、生徒数の減少などたび重なる試練のなか、子どもたちにより良い教育環境と未来を保障するための苦渋の決断だった。新校舎が完成するまで高級部は旧城北初級、中級部は旧大阪第4初級校舎で学校生活を送っている。
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ルポ・ウリハッキョに集う人びと②
新校舎が完成! 川崎初級
「たくさんの輪を子どもたちへ」
78年前の1946年11月1日、川崎市立大島小学校の焼跡に川崎朝連初等学校を開校して以来、2478人の卒業生を送り出してきた川崎朝鮮初級学校の新校舎がついに完成した。1970年に建てた4階鉄筋コンクリート造の校舎の老朽化や財政難が課題として浮上するなか、40代の教育会理事を中心に一念発起し、2022年5月に新校舎建設委員会を発足。「たくさんの輪を未来の子どもたちへ!」の目標を掲げ、積年の課題を解決した。 新校舎竣工式は10月20日、秋晴れのなか同校の体育館と運動場で行われ、約600人の同胞と日本市民がお祝いにかけつけた。
建設費用はグラウンドの一部を売却した代金と募金でまかなった。校舎は鉄骨2階建て。1階には3つの幼児室と遊戯室、職員室と多目的教室(2つ)があり、2階には6つの教室が設けられた。
「開かれたマダン」を目指した校舎は、大きな窓ガラスが設置され、開放的な空間となっている。運動場が狭くなったことを考慮し、校舎には運動場とつながる雛壇状の3段のテラスが設けられた。例えば2階のバルコニーは、子どもたちの遊び場として使える青空教室にもなり、各階のテラスは室内の教室に吹き抜けや共有部を介してつながっている。
3つの幼児室は、日あたりのいい1階に設けられた。幼稚班主任の孫美香さん(46)は、「以前の校舎は幼稚班の教室の近くにトイレがなく、職員が離れた場所にあるトイレまでついていかないと心配で…。講師を含め幼稚班の教員が3人しかいなので、子どもたちに目が行き届くようになり、安心しました」と語る。
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ルポ・ウリハッキョに集う人びと③
同胞たちの拠り所、心の故郷
静岡朝鮮初中級学校 創立60年、「若い世代が守っていく」
愛と感謝の60年
10月27日。静岡朝鮮初中級学校(1964年創立、李英寿校長、以下、静岡初中)創立60周年記念行事が行われたこの日、朝から続々と県内外の同胞や同校の卒業生、総聯の専従活動家、東海地方の朝鮮学校関係者、日本市民らが笑顔で校門をくぐっていく。
グラウンドではオモニ会、青年商工会(青商会)、青年同盟(朝青)など各団体のメンバーたちが飲食物の販売を準備する。テーブルでは卒業生たちが思い出話に花を咲かせる。再会を喜ぶ恩師と教え子たちの姿もあった。
県内で総聯の専従活動家を長く務めてきた趙貴連さん(92)は「これまでGHQによる学校閉鎖令など静岡の民族教育は何度も困難に直面してきたが、そのたびに同胞たちの力で乗り越えてきた。学校創立60年を迎えられて、言葉に表せないくらいうれしい」と感慨深げだった。「総聯、朝青、青商会、女性同盟、オモニ・アボジ会、みんなが学校を愛し、守るため一丸となって取り組んできた。この精神は今も昔も変わらない。これからも若い世代が代を継いで学校の未来のためにがんばってほしい」(趙さん)。
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学校支える「一口運動」
朝鮮学校支援の取り組みとして日本各地で一口運動が展開されている。幅広い同胞や日本市民が参加する土台を構築した、今注目を集めている2つの地域の経験と実践に迫った。
①楽しさも危機感もともに分かち合い
滋賀朝鮮初級学校 金隆泰校長(48、同校教育会会長)
―7月12~13日に横浜で行われた「学校運営に関する経験交換会」(主催=民族教育中央対策委員会)では、滋賀初級の「一口運動」が卒業生や保護者に加えて、多くの日本人支援者からも賛同を得ているという報告があった。
わが校の取り組みが注目されがちだが、実際のところ財政状況は依然として厳しい。ただ、10年前は他でお金を作らなければいけなかったところを一口運動やクラウドファンディングで賄えるようになり、学校運営においてマイナスの状況が今少しずつ変わってきている。
10年前、教務主任と幼稚園教諭だった私は教育会に移った。先輩教員たちが生活のために辞めざるを得ない現実を受け入れられず、「まだやれることがあるのではないか」と思い決心した。数人の商工人に学校財政を任せるのではなく、「みんなで創るウリハッキョ(朝鮮学校)」というスローガンを掲げ、少しずつ支持者を増やしていった。
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②青商会主導で「 たまサポ 」、ALL西東京で支える
サブ:「西東京フォーラム」実行委員会・一口運動班
多くの感動と反響を呼んだ「ウリ民族フォーラム2024 in西東京」(9月29日)。在日本朝鮮西東京青年商工会(以下、西東京青商会)を中心に地域同胞や教員などから構成された実行委員会(昨年12月発足)では、民族教育の現状を打開しようと複数の部門が設立された。連合同窓会/一口運動部の一口運動班もそのうちの一つ。同班では、地域にある西東京朝鮮第1初中級学校(立川市)と西東京朝鮮第2初中級学校(町田市)の両校を支えるため、新たな形の一口運動「西東京あいサランサポート」(たまサポ)を打ち出した。
インタビュー/朝鮮学校の子どもたちへ学ぶ喜びを
「大阪朝鮮学園支援・大村奨学金」 大村和子さん
大阪朝鮮中高級学校高級部に通う生徒たちを対象に、今年4月から「大阪朝鮮学園支援・大村奨学金」がスタートした。原資はすべて故大村淳さん、妻の和子さん(81)の篤志からなる。日本学校における在日朝鮮人教育、高校無償化適用のための闘いや城北朝鮮初級学校・北大阪朝鮮初級学校での給食作りなど、朝鮮学校支援に長らく携わってきた淳さんの思いも合わせて、和子さんに話を聴いた。
ー本奨学金はどのように生まれたのですか
朝鮮学校と関わっていく中で、生徒数減少の現実をまじまじと目にしてきました。とくに、中級部までは通えても、高級部から転出してしまうケースが多いと聞きました。
さまざまな事情があると思いますが、仲間たちと高級部まで進めない現状を何とか食い止めたい。それにこのままだと朝鮮高校がなくなってしまう、そうなると在日朝鮮人の民族教育が廃れてしまうと危機感を抱きました。
アイデンティティと多様性育み
編入生(편입생)、朝鮮学校という選択
日本各地の朝鮮学校には、さまざまな理由で日本学校から編入してきた児童・生徒たちがいる。編入生とその親の心情に迫る。なぜ、ウリハッキョ(朝鮮学校)なのか―。
저는 올해 4월부터 우리 학교에 편입한 박유진입니다.
우리 학교에는 우리 말을 잘 모르는 나에게
늘 곁에서 다정히 도와주는 동무들이 참으로 많습니다.
私は今年4月からウリハッキョに編入した朴悠辰です。
ウリハッキョには、朝鮮語をよく知らない私に
思いやりを持って手助けしてくれる友達がたくさんいます。
ウリ民族フォーラム2024㏌西東京(9月29日)での一幕。「フォーラム夢企画~100周年を迎えたウリハッキョ~」の表彰で同級生らとともにスポットライトを浴びた西東京朝鮮第2初中級学校初級部6年生の朴悠辰さんは、数ヵ月前から習い始めたウリマル(朝鮮語)を淀みなく話した。
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以上が記事の抜粋です。全文は本誌12月号でご覧ください。
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