バックナンバー

ウリハッキョ

1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育でした。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。

ウリハッキョに関する 261 個の記事をリストしました。

“人間としての心を問いたい” ―政府が自治体へ、朝鮮学校の補助金停止を促す通知

文部科学省は3月29日、「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について」と題した通知を出した。各地方自治体の判断に委ねられている補助金の支給に対し、政治・外交問題を理由に「留意」を促すという前代未聞の通知に、各地から非難の声が相次いでいる。

始まりのウリハッキョ編vol.16  みなを驚かせた新キャンパス~朝鮮大学校の創立と学舎移転

今年4月、創立60周年を迎えた朝鮮大学校(東京都小平市)。在日朝鮮人による民族教育の最高学府はいかにして生まれ、発展の礎を築いたのか。1956年4月10日の創立から59年6月13日に小平へ移転するまでの歩みを振り返る。   仮校舎でスタート 朝鮮大学校の設立は、在日朝鮮人自身の切実な要求から出発した。植民地期に満足な教育を受けられず、解放後も日本政府の差別政策によって苦労してきた同胞たちにとって、高等教育まで一貫した民族教育の体系を確立することは悲願だった。在日朝鮮人運動で指導的役割を担う幹部や朝鮮学校の教員を育成する自前の拠点も必要とされていた。 在日朝鮮人のための高等教育機関の設立は、51年1月9日に結成された在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)の時代から議論されてきたが、その歩みが本格化するのは在日本朝鮮人総聯合会(総聯)の結成以降のこと。総聯の結成を宣言した第1回全体大会(55年5月25~27日)では、53年10月に設立された朝鮮師範専門学校を将来、大学課程を履修できる高等教育機関として強化していく方針が示された。そして、総聯中央委員会第2回会議(55年9月24~26日)で、師範専門学校を土台にした総合大学の建設を決定。4年制を見すえつつ、当面は2年制とし、7つの学科を開設することも決まった。 そして56年4月10日、朝鮮大学校は東京朝鮮中高級学校(北区・十条)の一部を借用した仮校舎で産声を上げた。初代学長は韓徳銖・総聯中央議長。専任教員6人、講師24人という陣容だった。3月22日付『解放新聞』には、第1次入試を受けた82人中、合格者36人、聴講生15人、保留4人、不合格21人という結果が報じられている。  

始まりのウリハッキョ編vol.15  伝統の原点に日本人指導者~広島朝鮮初中高級学校吹奏楽部

近年目まぐるしい活躍を見せる広島朝鮮初中高級学校(広島市東区)の吹奏楽部。同校で最も歴史の古いクラブだ。楽譜も誰一人読めない中で幕を開けた創部初期から、吹奏楽部としての地位を確立した80年初期までの、知られざるクラブ活動の歴史を探る。

始まりのウリハッキョ編vol.14 師弟の共同作業から生まれたデザイン~「サンペン」マーク誕生秘話

朝鮮学校を象徴するもののひとつに、「サンペン」の通称で知られるマークがある。かつて中・高級部の帽章(帽子につく徽章)などとして使われ、校章にもなっている。朝鮮学校に通った人や学校と関わりを持っていた人であれば、知らない人はいないほど有名なものだ。では、「サンペン」はいつ、どのようにして生まれたのだろうか―。本誌2014年8月号特集で、デザインの考案に携わった当事者の証言に基づいた記事を掲載したが、紙幅の関係で盛り込めなかった内容も含めて、今回あらためてその誕生秘話をひもといてみたい。

40年目の「花園」 東京朝高ラグビー部を支える人々

第95回全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場を果たした東京朝鮮中高級学校ラグビー部。創部から40年、全国大会への門戸が開かれてから21年、悲願成就の影にはOBや保護者らさまざまな人々の後押しがあった。「花園」初出場までの道のりを、チームを支える人々の姿からたどった。

つき動かすのは危機感、勝つ日を信じて

無償化排除6年目の冬、文科省前の金曜行動、大阪府庁前の火曜行動を歩く   文科省職員への言葉 東京・虎ノ門の文部科学省前で行われる「金曜行動」は、2013年5月からほぼ毎週続けられてきた。時間は16時からの1時間。「無償化差別を放置し、朝鮮学校を無視し、差別する文科省に声をぶつけよう」と朝大のあるゼミの学生が出したアイデアから始まった。2年半続いてきたことで、朝鮮高校生、保護者、日本市民たちが合流し、時には地方や韓国から人も訪れる出会いと連帯の場になっている。 12月4日の金曜行動。冬は日が落ちるのも早い。終盤は朝大生や朝高生たちが文科省の職員たちに向けて叫び続ける言葉が寒さとともに鋭く、時に痛々しく響く。この日もある男子学生の言葉に胸を突かれた。 母子家庭に育った3人きょうだいの末っ子。「母からは、高校にあがるとき、高校無償化から除外されたから朝鮮学校には行かないでと言われた。母子家庭で貧しいのも知っていたので、母の気持ちは痛いほどわかっていた。でも母は朝鮮学校に通わせてくれた。…働きすぎて足を痛めた母は今なお働いている。高校無償化が適用されていれば、母はもっと苦しまずに済んだ…」。高校卒業後の進路も親の経済的負担の間で揺れた。高校で出会った教員のようになりたいと、朝大教育学部に進学を決めたのはきょうだいの支援もあったからだ。  

始まりのウリハッキョ編vol.13  今も変わらない、 民族教育への思い~群馬同胞社会と民族教育

2015年に創立55周年を迎えた群馬朝鮮初中級学校。これまで1093人が卒業し、3世代の同胞が通う伝統ある学校だ。そんな群馬初中と、群馬での民族教育にまつわるさまざまな物語を集めてみた。話を聞かせてくれたのは同校の安重根校長(69)、群馬初中・初級部2期卒業生の廉数昭さん(66)と朴徳栄さん(66)の3人。

始まりのウリハッキョ編vol.12  抵抗で繋がれた民族教育~山口朝鮮初中級学校

山口朝鮮初中級学校は来年、学校創立60周年、民族教育実施70周年を迎える。閉鎖命令に対する抗議デモ、学校閉鎖期に続けられた民族教育からは、山口同胞たちの抵抗の歴史が見えてくる。

始まりのウリハッキョ編vol.11  市立分校から自主校へ~尼崎朝鮮初中級学校

尼崎市内の朝鮮学校は1949年の「学校閉鎖令」以降、日本の市立学校の分校として民族教育が守られた。その後、中級学校の設立を経て、自主学校となり、各種学校の認可を取得。尼崎朝鮮初中級学校は来年4月に創立70周年を迎える。

始まりのウリハッキョ編vol.10  始まりは浜松、そして静岡へ~静岡朝鮮初中級学校

昨年、創立50周年を迎えた静岡朝鮮初中級学校(静岡市)。現在、県内唯一の朝鮮学校である同校が1964年に産声を上げるまでの歴史は、県下の民族教育のルーツである浜松朝鮮初中級学校を抜きには語れない。   かつては高級部も 1945年8月15日、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放された。『いやされぬ過去 朝鮮人強制連行の傷跡●静岡県編』に収録された「静岡県における在日朝鮮人人口調査表」(45年11月1日付)によると、祖国解放直後、静岡県内には15690人の朝鮮人が住んでいた。 ほかの地域と同様、静岡でも解放直後から県内各地に国語講習所が次々と開かれた。同年11月、浜松市で夜学形式の学校が生徒30人で始まる。翌46年2月には浜松朝鮮初中級学校の前身となる「浜松朝連学院」が開校。同校創立45周年記念誌によると、木造バラックの校舎(敷地40坪)に、生徒60人、教員3人でのスタートだった。

始まりのウリハッキョ編vol.09 同胞たちの悲願、朝鮮学校再開へ~埼玉朝鮮初中級学校

解放後、埼玉県下の各地にも国語講習所が設立された。しかし「学校閉鎖令」後は、長く日本の公立小学校での民族学級や課外授業といった形態で民族教育が続けられることになる。県内に正式な朝鮮学校が創立されたのは61年のことだ。67年、現在の場所に新校舎を竣工するまでを振り返ってみよう。

冊子『だれもがいきいきと生きられる社会のために』が完成!

在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会 編『だれもがいきいきと生きられる社会のために』が完成した。冊子には、同部会が2014年度に企画した連続講座の記録と、同胞150人を対象に行われた「在日同胞のジェンダー意識に関するアンケート」の結果報告書が収録されている。

高校無償化本2

バックナンバー

フェイスブック

月刊イオ編集部公式ブログ:日刊イオ
月刊イオ定期購読のご案内

イベント情報を大募集!!

様々なコリアンイベント情報を大募集!! 地域のごく小さな情報でも是非お寄せ下さい。
[読者投稿フォームへ]