記者別記事リスト

leesangyong

leesangyong の記事は 166 個ありました。
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【特集】エンディング虎の巻

人が生きていれば必ず最期は訪れる。葬儀関連の書籍は数あれど、同胞の場合は日本人との違いもある。朝鮮半島固有の風習や遺族の思いを知らないまま、葬儀を終えることも多いようだ。本特集では、近年の葬儀やお墓を取り巻く意識の変化を取材しつつ、
葬儀そのもののあり方を考えてみたい。身近な人を納得できる形で見送る「エンディング」とは―。

真実から目をそむけた不当判決―大阪補助金地裁判決を読む

学校法人大阪朝鮮学園が原告となり、大阪府・市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取り消しと交付の義務付けを求めた裁判(12年9月提訴、以下、大阪補助金裁判)で、大阪地裁は1月26日、原告の訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。大阪補助金裁判弁護団の普門大輔、木下裕一の両弁護士に判決の不当性について解説いただく。

第7回千葉県国際文化交流イベント・フレンドシップフェスタ

日時:5月21日(日)10時30分開場/11時30分開演 場所:千葉朝鮮初中級学校運動場(JR新検見川駅、京成検見川駅徒歩15分) 内容:各種飲食物販売屋台、文化公演、国際交流フットサル大会、チマチョゴリ試着コーナー、足裏マッサージ、大抽選会など 問合せ=実行委員会(tel:043-233-6225 Fax:043-233-6532 e-mail:kyc_ichiban@ybb.ne.jp)

【特集】朝鮮と向き合った日本人

朝鮮に対する蔑視や差別意識が蔓延し、日々強化されている日本。朝鮮半島と日本の長い歴史の中でさまざまな側面から朝鮮と深い関わりを持った日本人たちがその当時、朝鮮について何を語り、何をしてきたのか、それは両者にとってどのような意味を持つものだったのか。先人たちの足跡から、歪んだ朝鮮観を是正する道を探る。

大阪補助金裁判/朝鮮学園側の訴え退ける-地裁の不当判決、ただちに控訴へ

 学校法人大阪朝鮮学園が原告となり、大阪府、市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取り消しと交付の義務づけを求めた裁判(2012年9月提訴、以下、大阪補助金裁判)で、大阪地方裁判所(山田明裁判長)は1月26日、原告の訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。地裁は、補助金不交付の決定は「裁量の範囲内」と認め、不交付の処分性に違法性はないとした。判決を受けて原告側はただちに控訴する意向を表明した。

日本で一番大きな朝鮮初級学校 おいでよウリハッキョvol.2  生野朝鮮初級学校

日本最大の朝鮮人集住地域である大阪市生野区に建つ生野朝鮮初級学校。単設の初級学校としては日本全国の朝鮮学校の中で最大の規模を誇る。昨年、創立25周年を迎えて、幼稚班で2歳児保育が始まり、校舎の改修・補修など教育環境の整備も行われた。

民族学級から民族学校へ 始まりのウリハッキョ編vol.24  滋賀朝鮮初級学校

 1949年の学校閉鎖令後、朝鮮学校が再建されるまでの経緯は各地でさまざまだが、滋賀県では「民族学級」を経て学校が再建された。60年4月、滋賀朝鮮中級学校(後に初中級学校、現在は初級学校)が開校するまでの歴史を振り返る。    学校閉鎖から民族学級へ  1945年8月15日の解放直後、滋賀県内には約2万人の朝鮮人が住んでいた。ほかの地域と同じく、滋賀でも子どもたちに母国語を教える国語講習所が各地に生まれ、その後、在日本朝鮮人連盟(朝連)の下で次第に学校として整備されていった。県内の朝鮮学校は46年5月時点で22校(生徒1260人、教員60人)、48年2月には18校(774人、38人)、49年5月には13校(580人、16人)あった。(数字は朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成<戦後編>』第1巻、李殷直『「在日」民族教育の夜明け 1945年10月~48年10月』より)。  49年10月の学校閉鎖令によって日本全国の朝鮮学校は強制的に閉鎖されてしまうが、滋賀にあった11校も同じ道をたどった。  その後、民族教育はさまざまな形でその命脈を維持していく。その一つが「民族学級」だ。これは、日本の公立学校内に置かれた朝鮮人児童・生徒のための特設教室で、1952年時点で13府県にあった。滋賀では最盛期には18の学校に民族学級が設置され、朝鮮人学齢児童の就学率は57年時点で7割を超えた。  民族学級が設置されるまでの道のりは平坦ではなかった。朝鮮学校側が朝鮮人児童・生徒たちの今後について教育委員会側と交渉を重ねた結果、日本学校でも課外で朝鮮語授業を行えるようになったが、それは不十分なレベルだった。49年11月29日付『朝日新聞』滋賀版によると、県教委は関係各市町村長に、朝鮮語は課外授業として希望者に週4、5時間教えてもいいが、朝鮮人ばかりの特別学級や分校の設置は認められない、などの指令を送っている。このように、日本学校の分校という道すら閉ざされていた状況で、公立小学校内に自民族の言葉と文化を学べる民族学級の設置を求める方向で運動を展開していった。  50年に入って、各市町村長や教育委員会、小学校長への働きかけ、街頭でのビラ配りや署名活動、同盟休校などの取り組みが続く。朝鮮人側の粘り強いたたかいに、行政当局はついに折れた。6月、双方は週10時間程度の民族科目の課外授業、県下各校への朝鮮人教師の増員配置、給料の増額などの覚書を交換するにいたった…

【特集】カラダ、リフレッシュ! 今年こそ、スポーツ

忙しい毎日を送っていると、体のケアがおろそかになりがち。体の不調はメンタルの不調にもつながります。今月号の特集テーマは「カラダ、リフレッシュ」。人々が集まって楽しく汗を流す各地のスポーツイベントやサークルを取り上げます。また、同胞の専門家や有資格者の協力を得て、手軽に始められるウォーキングやランニング、ダイエットエクササイズのメニューも紹介します。新年を迎えるこの機会に、スポーツで体を動かして、自分の健康にいま一度目を向けてみませんか。

【特別企画】 ニュース2016、私はこう見た

2016年もあと少しで終わり。今年もいろんなことがありました。日本を騒がせた10のニュースをピックアップして振り返りました。暗いニュースが多いのが残念です。出来事を通じて、私たちが住む日本社会の様々な側面が浮かび上がってきます。あなたが気になったニュースは入っているでしょうか?

100回超えた「金曜行動」―連帯の輪も広がる

朝鮮学校への高校無償化制度適用を求める「金曜行動」が10月21日、第100回を数えた。文部科学省前には朝鮮大学校学生、朝鮮高校生、保護者、日本人支援者たち総勢1000人が集まりシュプレヒコールを叫んだ。10月28日には、韓国から12人の有志が駆けつけ、「金曜行動」参加者たちを激励した。

食楽部屋みなみ

            食楽部屋みなみ 居酒屋、韓国料理/京都府京都市 推薦者:趙慶来さん(滋賀県在住) 創業70年、安くてうまい、レトロな大衆酒場 李昇龍さん(以下、李):いらっしゃい! いつも使ってくれてありがとう。 趙慶来さん(以下、趙):最近は週1ペースやな(笑)。やっぱり京都駅から近いというのがいい。 李:八条口から徒歩3分。立地のよさがウリや。 趙:今日は何にしようかな。とりあえず、生ビール、と。 李:はいよ。食べ物は? 趙:えーっと、まずはみなみサラダかな。トマト、エビ、たまご、ブロッコリーをピリ辛のマヨネーズ風ソースで和えてボリューム満点。この気合いの入り具合が好きや(笑)。それに、串揚げの盛り合わせと、あとは… 李:うちのイチオシといえばこれ。その名も「雲の中から現れる特選牛のローストビーフ」! フードメニューの中では一番高いけど、食べて損はさせない。 趙:ドライアイスを使った演出がすごいな。味もそうだけど、目で見て楽しめる工夫をしてるところがいい。 李:ほかに京都名物の生麩や湯葉、京野菜を使った料理もあるで。お客さんにいいものを安く。食材にこだわって、フレンチの要素を取り入れたり、いろいろやっている。お酒も一通り揃ってる。日本酒がブームなので、地酒を中心に15~16種類は常時置いてるな。 趙:ここは定番の居酒屋メニューに加えて韓国料理も食べられるからな。でも、おれの一番のお気に入りはホッケ。これまでいろんなお店で食べてきたけど、ここのが一番おいしい。 李:そこはローストビーフって言ってほしかった…。 趙:でも、昇龍が店長になって店の雰囲気がガラッと変わったな。 李:飲食業に対して変な固定観念がないので好き放題やってるだけや(笑)。祖父の代から受け継がれてきた基盤があるから新しいことにも挑戦できる。今後は多店舗展開を考えてんねん。京都で一番有名な居酒屋を目指したいな。 朝高の同級生、ともに家業を継いで 京都出身の李さんと滋賀出身の趙さんは京都朝鮮中高級学校高級部の同級生だ。互いを「悪友」と語る二人。李さんは2008年に朝大を卒業後、地元の朝鮮商工会に就職。3年前からお店を継いでいる。一方の趙さんは朝高卒業後、専門学校を経て、家業(産廃業)一筋。ともに祖父の代から続く家業に携わるなど共通項が少なくない。二人でお酒を酌み交わし、仕事について熱く語り合うこともしばしば。 創業70年のみなみは李さんで4代目。元々はホルモン屋で、2代目の祖父が店を買い取った。店舗名は、お店のある八条口が昔、南口と呼ばれていたことから来ている。「食楽部屋」は「クラブハウス」と読ませる。ゴルフ好きの先代(李さんの父)のネーミングだ。   食楽部屋みなみ DATA 〒601-8412京都市南区西九条院町16 Tel:075(671)3731 営業時間:(平日)17:00~23:30 (祝日)17:00~22:30 定休日:日曜日

創立60年、折尾の九州中高 始まりのウリハッキョ編vol.21  中等教育のはじまり(九州)

九州地方で唯一の在日朝鮮人の中等教育施設である九州朝鮮中高級学校 (福岡県北九州市)が今年、創立60周年を迎える。歴史的に朝鮮半島と深い関わりを持ってきたこの地方で戦後、在日朝鮮人の中等教育はいかにして生まれたのか。県下の民族教育の歴史も振り返りながら、ひもといてみよう。 北九州中心に小学校設立 福岡は日本でもっとも朝鮮半島と近い地域だ。1945年8月の祖国解放後、故郷に帰るため小倉、八幡、福岡などに日本各地から同胞たちが集まってきた。 福岡には小倉炭坑や筑豊炭田、陸軍小倉造兵工廠、八幡製鉄所など戦争遂行に必要な軍需関連施設が多くあったため、解放前から数多くの同胞たちがそこで働き、暮らしていた。 解放後も少なくない人々がさまざまな事情で帰国せず、そこに住み着いた。朝鮮半島行きの船便を待ったが、希望者が多く、乗船できない人たちもいたため滞留者は増え続け、福岡県内に生活基盤を築く人々も現れた。 ほかの地域と同じく福岡県でも、祖国解放直後から自国の言葉と歴史を学ぶための国語講習所が各地に設立された。在日本朝鮮人連盟(朝連)の結成後、47年までの間に若松、門司、八幡、戸畑、福岡をはじめ10の支部内に初等学院(小学校)が建てられた。とくに朝連小倉支部(現在の小倉北区明和町にある総聯小倉支部)の敷地には46年に小・中学校が設立され、49年には県下で唯一の高校も併設された。当時、県下で2000人の同胞の子どもたちが朝鮮学校に就学していたといわれている。

虫さんたちの作戦会議

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