vol16.揺れ、のたうちながらも~冨田さんの闘いぬいた意志
少し躊躇してから、力強い声で彼女は言った。「『教組が要らん事するからや』と言われてね、私も一瞬、『もしかすると、そうなんかも』と。そんな考えが頭をよぎった自分自身が許せなかったんです」――。元中学校教員、冨田真由美さん。徳島県教組書記長時代...
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少し躊躇してから、力強い声で彼女は言った。「『教組が要らん事するからや』と言われてね、私も一瞬、『もしかすると、そうなんかも』と。そんな考えが頭をよぎった自分自身が許せなかったんです」――。元中学校教員、冨田真由美さん。徳島県教組書記長時代...
1919年の3・1独立運動から今年で100年。朝鮮近代史における民族運動の一つの到達点を示す「3・1」の歴史的意義についてあらためて考えるとともに、日本と朝鮮半島の各地で催された記念行事のようすも伝える。
1945年の祖国解放後、在日朝鮮人はすさまじい勢いで朝鮮語を教える国語講習所を日本各地に建て、子どもたちへの民族教育を施していった。しかし、米占領軍と日本政府は48年1月に「朝鮮人学校閉鎖令」を出して朝鮮学校への大弾圧を加え、大阪では16歳の少年が警官に銃殺される惨劇が起きた。
14歳で日本軍の性奴隷被害を受けながらも日本政府の公式謝罪と補償を求めて闘ってきた韓国在住の金福童さん(92)が1月28日、闘病の末、ソウル市内で逝去した。ルワンダ、コンゴなどで性暴力を受ける被害者たちを支援するナビ基金を立ち上げ、日本に暮らす朝鮮学校の子どもたちへの支援を率先してきた金福童さんは、朝鮮半島や日本、世界中で人権活動家として尊敬を集めていた。朝鮮学校にも度々足を運び、大阪無償化裁判控訴審で敗訴判決が下った翌日の9月28日に大阪朝鮮高級学校と城北朝鮮初級学校を訪れ、児童生徒と教職員たちを激励した。
「暴力悪いんは分かってる。でもうちのムラで奈良みたいなんが起きたら、懲役行く覚悟だけはしといてくれ」。ヘイトデモに対峙する度に私は、3年前に死去したある部落解放運動のリーダーが、ごく近しい仲間にだけ告げたこの一言を想起する。
大阪府青商会が主催する在日コリアンアカペラコンテスト&音楽フェスティバル「コリハモ~become one~」が1月27日、大型ライブ会場Zepp NAMBA(大阪市浪速区)で開催され、約1200人が参加した。
自分について、思いをめぐらせ、進むべき道を考えつづけるのが高校時代とするならば、コリアにルーツを持つ高校生たちは、いま何を感じ、何を思うのだろう…。在日コリアンが日本に暮らすことになった「歴史」がかき消されようとしている今、ふんばる高校生たちと、私たち在日コリアンの存在についてともに考える。大人からのエール、高校生たちの声に耳を傾けながら…。
「慰安婦合意」や少女像、そして徴用工判決を巡る態度、さらには無償化裁判――。不実の底が抜けきったいま、「日本」を問い続けた先人を思い返している。宋斗会(1915年生)である。
前回、朝鮮学校で初めて作られた国語(朝鮮語)教科書について紹介した。本号ではそれに続き、1940年代後半から総聯結成以降の編纂過程をまとめる。
南・北・海外共同写真展「평양이 온다(平壌が来る)」(主催=同写真展推進委員会、6・15共同宣言実践南側委員会)が、2018年12月3~5日の3日間、ソウル特別市鍾路区の天道教中央大教堂で開催された。北南海外のメディアが共催する写真展は祖国分断以来、初めてのことだ。写真展をはじめ、統一を引き寄せようと努力を続ける南の市民たちを現地で取材した。
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