文化・歴史 – ページ 23 – イオWeb

カテゴリー: 文化・歴史

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조선춤(チョソンチュム)を追いもとめ/始まりのウリハッキョ編vol.39 朝鮮舞踊基本動作の普及

朝鮮学校の舞踊教育において、バイブルといえるのが基本動作だ。朝鮮舞踊の礎を築いた崔承喜が朝鮮民主主義人民共和国で作った「朝鮮民族舞踊基本」(1958、朝鮮芸術出版社)が海を越えて、日本に伝わったのは1960年代のことだった。

1世の踊りに釘付けになった/始まりのウリハッキョ編vol.38 朝鮮舞踊サークル

朝鮮学校には多くの学校に朝鮮舞踊のサークルがあり、民族の心をはぐくむ大切な空間となっている。今でこそ舞踊を教える人は増えたが、草創期には一握りの1世だけ。その1世から、むさぼるように民族の踊りを習い、2世、3世たちに伝えた人たちがいた。

統一への希望、4500人が涙/vol.37 在日朝鮮学生少年芸術団のソウル公演

民族教育史上初めて、朝鮮学校の生徒たちが南の故郷の地で芸術公演を行ったのは15年前の2002年9月のことだった。在日朝鮮学生少年芸術団(団長=具大石・東京朝鮮中高級学校校長、総勢90人)は、9月4日にソウル、6日には全州で公演を成功させ、合計4500人の市民が朝鮮学校生との出会いを果たした。

先代の思い受け継ぎ、再び開校へ―/始まりのウリハッキョ編vol.36 奈良での民族教育(後編)

1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。

【特集】映画で語ろう

映画はただ観るだけでなく、そのあとにそれぞれの受け止め方を語ることにこそ醍醐味があるのかもしれない。
映画を一つのきっかけとして予期せぬ方向に話が転んだとき、その人の価値観に触れることができる。
今月号の特集では、映画好きや映画と深い関わりのある人々に登場してもらい、存分に「映画愛」を語ってもらいました。

地道な取り組み、悲願の自主学校へ/始まりのウリハッキョ編vol.35 奈良での民族教育(前編)

奈良県では、1960年代末まで午後夜間学校の形式で民族教育が続けられていた。奈良朝鮮初中級学校が開校したのは69年4月1日。プレハブ造りの仮校舎ではあったが、ようやく体裁を整えた自主学校が完成したのだ。翌年9月12日、現在の場所に鉄筋の新校舎を竣工。この日を学校創立記念日に定めている。

ウリマルを話す楽しさ、多彩な演目で/始まりのウリハッキョ編vol.34 中央口演大会

朝鮮学校に通う児童・生徒たちが「話術」技能を競い合う在日朝鮮学生中央口演大会。日本で生まれ育った子どもたちが朝鮮語を披露するこの大会は、4世、5世が学校に通う時代となった今も、重要な場となっている。

特集「在日朝鮮人×舞台」

観客の目の前で物語が演じられる。時に役者の汗や唾が飛んでくる。大きな会場よりも小さな小屋がいい。
表現者と観客が一体となってマダン(場)を作りだせるのが芝居(演劇)の一番の魅力だ。
在日同胞社会でも解放直後から多くの芝居が作られ、多くの問題が訴えられてきた。
多くの演劇人が活躍し今も活躍している。今月は在日同胞演劇の世界をご紹介します。
女性演劇人のきむ・きがんさん(劇団石)と金民樹さん(劇団タルオルム)の二人の対談から特集がスタートです。

【特別企画】朝高制服図鑑

朝鮮学校の制服のシンボルといえば、女子のチマチョゴリ、男子の「サンペン」マークだ。衣服は民族や意識を象徴するものだが、朝鮮学校制服のシンボルは今も健在。女子の多くは、校内ではチマチョゴリ制服で過ごし、登下校時には第2制服のブレザーを着る。男子の制服は1986年から徐々に学ランからブレザーに移行、ボタンやシャツに「サンペン」マークが利用されている。全10の朝高、その制服を一挙紹介します。

【特集】キャンバスに描かれた在日同胞

解放後の在日朝鮮人の活動は多岐に渡るが、
70年間、一つの分野として確立し盛んに繰り広げられてきたのが美術である。
多くの在日同胞美術家たちが、自らの生活や心情、 課題や活動の成果を美術作品として発表してきた。
特集では、在日同胞の美術活動と作品をふり返り、活発になっている朝鮮学校の児童・生徒たちの取り組み、
若手のアーティストを紹介する。
新年に同胞たちの芸術作品を堪能してもらいたい。

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