vol22.「記憶の断絶」と対峙する―金洙榮さんを見送りながら
別れと感謝、お詫びを告げようとのぞいた棺の中に、彼は横たわって居た。白髪が増えていた以外、最後に会った時から何ら変わりない。死に化粧を差し引いても、癌で闘病していたとは思えないふくよかな、苦悶のない顔だった。社会保障からの朝鮮人排除を法廷で...
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別れと感謝、お詫びを告げようとのぞいた棺の中に、彼は横たわって居た。白髪が増えていた以外、最後に会った時から何ら変わりない。死に化粧を差し引いても、癌で闘病していたとは思えないふくよかな、苦悶のない顔だった。社会保障からの朝鮮人排除を法廷で...
象徴的な意味でいえば在日二世以降の権利運動は、日立就職差別裁判の原告、朴鐘碩さんが、支援報『玄界灘』に박종석と署名したことに始まる。以降、名前を巡る在日の闘いは続いてきた。 先日、自宅に、ある冊子が届いた。『なまえは私のアイデンティティ 当...
ナショナリズムを煽り立て、安倍晋三氏が二度目の宰相の座についてから7年近く。私たちは、過去最悪を更新し続ける「いま」を生きている。暗い時代だからこそ先人の闘いに学び、それを誰もが触れられる記録として残したいと願い、私は様々な記録を紐解き、...
朝鮮大学校教育学部美術科を卒業し、同大の研究院本科2年に在学中の鄭大河さん(23)が集英社主催の「第97回ストーリー漫画部門手塚賞」で「準入選」を果たした。
朝鮮大学校政治経済学部に法律学科が新設されて今年で20年。ここから巣立ち、弁護士などの有資格者となった卒業生は数多い。民族教育では初となる法律専門家育成の場はいかにして生まれ、発展してきたのか―。
人間は言葉、とりわけ先人から受け取った言葉でできている。昨年4月16日、90才で亡くなった朴鐘鳴さんは、私という人間を形作る数々の言葉を下さった一人である。一周忌の今年5月18日、京都市の同志社大で偲ぶ会が催され、私も出席し、発言の機会を頂...
1960年代、福岡には行政による区画整理のため、生活していた場所から立ち退きを強要された在日朝鮮人たちがいた。代わりの住まいとして、たくさんの長屋で形成された「金平団地」(福岡市東区、現正式名称は浜松住宅)には多くの同胞が集まって暮らした。団地の敷地内には公園や銭湯のほか、市内から移された福岡朝鮮初級学校も存在した。
昨年10月30日以降、韓国の大法院(最高裁判所)は、植民地時代に日本企業に徴用され過酷な労働を強いられた朝鮮人被害者(以下、「徴用工」と表記)に慰謝料を支払うよう新日鉄住金(今年4月1日に日本製鉄に社名変更)をはじめとする企業側に命じる判決を相次いで下した。日韓の2国間関係を超えて、日本の植民地支配責任全般にも大きな影響を及ぼすであろう今回の「徴用工」判決をめぐる問題の基本的な事実関係を整理しつつ、今後の課題や展望についても見た。
朝鮮学校閉鎖を命じた「1・24通牒」は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、「民族教育=子どもたちの未来」を守る精神と連帯を生んだ。同胞たちは学校の再建に立ちあがる。
少し躊躇してから、力強い声で彼女は言った。「『教組が要らん事するからや』と言われてね、私も一瞬、『もしかすると、そうなんかも』と。そんな考えが頭をよぎった自分自身が許せなかったんです」――。元中学校教員、冨田真由美さん。徳島県教組書記長時代...
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