“存在の奇跡”―地理にたくし 教員編vol.28 地理学者・司空俊さん
生まれた朝鮮を離れ、日本の教育を受けた一人の青年が朝鮮地理に目覚め、研究者、教育者として歩んだ道のり―。6月3日に生を全うした在日朝鮮人地理学者の生涯を追った。
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生まれた朝鮮を離れ、日本の教育を受けた一人の青年が朝鮮地理に目覚め、研究者、教育者として歩んだ道のり―。6月3日に生を全うした在日朝鮮人地理学者の生涯を追った。
第33回全国高校サッカー選手権大会でベスト4という快挙を遂げた東京朝鮮高級学校サッカー部だったが、大会参加はこの一回切り。大会の要項に出場資格の制約が入ってしまったのだ。実力を試す機会を失った朝高選手は大きく落胆する。
1955年、東京朝鮮中高級学校が都立朝鮮人学校だったころ、高級部サッカー部が第33回全国高校サッカー選手権大会に出場し、ベスト4に輝いたことがある。その後の1996年に朝鮮学校の公式戦出場が叶った今も、在日朝鮮人サッカーの快挙として語り継がれる出来事だ。
人が生きていれば必ず最期は訪れる。葬儀関連の書籍は数あれど、同胞の場合は日本人との違いもある。朝鮮半島固有の風習や遺族の思いを知らないまま、葬儀を終えることも多いようだ。本特集では、近年の葬儀やお墓を取り巻く意識の変化を取材しつつ、
葬儀そのもののあり方を考えてみたい。身近な人を納得できる形で見送る「エンディング」とは―。
交換授業、朝鮮と日本の文化体験、スポーツ、音楽…。横浜朝鮮初級学校は、近隣にある横浜市立青木小学校とさまざまな分野での交流を25年以上つなげている。両校を結ぶきっかけになったのは、子どもたちの喧嘩だった。当時の横浜初級教員たちに話を聞きながら、交流の歩みを振り返る。
朝鮮に対する蔑視や差別意識が蔓延し、日々強化されている日本。朝鮮半島と日本の長い歴史の中でさまざまな側面から朝鮮と深い関わりを持った日本人たちがその当時、朝鮮について何を語り、何をしてきたのか、それは両者にとってどのような意味を持つものだったのか。先人たちの足跡から、歪んだ朝鮮観を是正する道を探る。
朝鮮半島と離れて生活する在日コリアン。
しかし、常に朝鮮半島情勢に生活を左右されてきた。
分断状況は在日コリアンにも真の解放をもたらさず、常に矛盾を押し付けている。
だからこそ、在日コリアンは、朝鮮半島の北と南の平和、そして統一を望み、行動を共にしてきた。
朝鮮半島の南で、大統領退陣を求める大きな動きが起こっている今、統一のために活動してきた人たちに今の朝鮮半島を眺めての思いを語ってもらった。
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