文化・歴史 – ページ 21 – イオWeb

カテゴリー: 文化・歴史

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在日朝鮮人を見つめて

vol19.志操の人・朴鐘鳴さんを偲ぶ

人間は言葉、とりわけ先人から受け取った言葉でできている。昨年4月16日、90才で亡くなった朴鐘鳴さんは、私という人間を形作る数々の言葉を下さった一人である。一周忌の今年5月18日、京都市の同志社大で偲ぶ会が催され、私も出席し、発言の機会を頂...

始まりのウリハッキョ編 生活の“中”にあったウリハッキョ vol.46 「金平団地」と朝鮮学校

1960年代、福岡には行政による区画整理のため、生活していた場所から立ち退きを強要された在日朝鮮人たちがいた。代わりの住まいとして、たくさんの長屋で形成された「金平団地」(福岡市東区、現正式名称は浜松住宅)には多くの同胞が集まって暮らした。団地の敷地内には公園や銭湯のほか、市内から移された福岡朝鮮初級学校も存在した。

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【特別企画】解説・「徴用工」問題

昨年10月30日以降、韓国の大法院(最高裁判所)は、植民地時代に日本企業に徴用され過酷な労働を強いられた朝鮮人被害者(以下、「徴用工」と表記)に慰謝料を支払うよう新日鉄住金(今年4月1日に日本製鉄に社名変更)をはじめとする企業側に命じる判決を相次いで下した。日韓の2国間関係を超えて、日本の植民地支配責任全般にも大きな影響を及ぼすであろう今回の「徴用工」判決をめぐる問題の基本的な事実関係を整理しつつ、今後の課題や展望についても見た。

不屈の精神を生んだ 4・24/始まりのウリハッキョ編vol.45 4・24教育闘争(下)

朝鮮学校閉鎖を命じた「1・24通牒」は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、「民族教育=子どもたちの未来」を守る精神と連帯を生んだ。同胞たちは学校の再建に立ちあがる。

在日朝鮮人を見つめて

vol16.揺れ、のたうちながらも~冨田さんの闘いぬいた意志

少し躊躇してから、力強い声で彼女は言った。「『教組が要らん事するからや』と言われてね、私も一瞬、『もしかすると、そうなんかも』と。そんな考えが頭をよぎった自分自身が許せなかったんです」――。元中学校教員、冨田真由美さん。徳島県教組書記長時代...

【特別企画】「3・1独立運動」100周年

1919年の3・1独立運動から今年で100年。朝鮮近代史における民族運動の一つの到達点を示す「3・1」の歴史的意義についてあらためて考えるとともに、日本と朝鮮半島の各地で催された記念行事のようすも伝える。

金太一少年は、なぜ殺されたのか/始まりのウリハッキョ編vol.44 4・24教育闘争(上)

1945年の祖国解放後、在日朝鮮人はすさまじい勢いで朝鮮語を教える国語講習所を日本各地に建て、子どもたちへの民族教育を施していった。しかし、米占領軍と日本政府は48年1月に「朝鮮人学校閉鎖令」を出して朝鮮学校への大弾圧を加え、大阪では16歳の少年が警官に銃殺される惨劇が起きた。

大阪無償化裁判控訴審で敗訴判決が下った9月27日の報告集会に参加した金福童ハルモニ(朝鮮新報)

力と勇気を与えてくれた・金福童ハルモニを想う

14歳で日本軍の性奴隷被害を受けながらも日本政府の公式謝罪と補償を求めて闘ってきた韓国在住の金福童さん(92)が1月28日、闘病の末、ソウル市内で逝去した。ルワンダ、コンゴなどで性暴力を受ける被害者たちを支援するナビ基金を立ち上げ、日本に暮らす朝鮮学校の子どもたちへの支援を率先してきた金福童さんは、朝鮮半島や日本、世界中で人権活動家として尊敬を集めていた。朝鮮学校にも度々足を運び、大阪無償化裁判控訴審で敗訴判決が下った翌日の9月28日に大阪朝鮮高級学校と城北朝鮮初級学校を訪れ、児童生徒と教職員たちを激励した。

在日朝鮮人を見つめて

vol15.ウトロの「徴用工」崔仲圭を想う

「暴力悪いんは分かってる。でもうちのムラで奈良みたいなんが起きたら、懲役行く覚悟だけはしといてくれ」。ヘイトデモに対峙する度に私は、3年前に死去したある部落解放運動のリーダーが、ごく近しい仲間にだけ告げたこの一言を想起する。

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