朝鮮半島 – ページ 10 – イオWeb

カテゴリー: 朝鮮半島

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【特集】「朝鮮」再定義 言葉の解放をめざして

日本による植民地政策と戦後の未清算によって、「朝鮮」と名のつくものには長年をかけて“忌むべきもの、憎むべきもの、恥ずべきもの”というイメージが蓄積されていった。 日本社会にこびりついた偏見を剥がし、「朝鮮」という言葉を解放するためには、対抗...

在日朝鮮人を見つめて

vol.37 まだみぬ「公正な社会」を求めて

悔恨や至らなさも糧に 文章は書くのではなく、出会いが書かせるのだ。突き動かされるような出会いの中で、取材者は「いま」の自分を超えていくのだろう。 そんな一人が石橋学さんだ。在日朝鮮人を見つめて来た新聞記者である。 1994年に神奈川新聞社に...

在日朝鮮人を見つめて

vol.36 闘いが“つむぐ”想像力

拉致事件発覚の翌年、時の石原都政が枝川の東京朝鮮第2初級学校に立ち退き訴訟を起こした。 それを「勝訴的和解」に導いた新美隆弁護士は、かつて指紋押捺拒否裁判で金敬得弁護士が嗚咽しながら裁判官に向かい、「『なんで朝鮮人に生んだんだ!』と子どもに...

在日朝鮮人を見つめて

vol.35 2002年9月の記憶

あの2002年9月、私は中東のレバノンにいた。1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)の戦闘員が撤退し、女性や子ども、老人ら非戦闘員が残されたベイルートのサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに、キリスト教右派民兵組織「ファランジ...

三党共同宣言から30年、「オヤジの遺志継いで」/【朝鮮を語ろう】vol.8 金丸信吾さん(故金丸信・元副総理秘書)

1990年9月、父・金丸信元副総理が訪朝し、朝鮮労働党と自民党、日本社会党による「三党共同宣言」に署名した際に秘書として同行した金丸信吾さん(75)に、朝・日関係のエポックを画した30年前の出来事を振り返ってもらった。   ―朝鮮...

在日朝鮮人を見つめて

vol.34 「歴史の証人」を想う 殴られ、蹴られ、踏まれながらも

私が最初に証言を聞いた元日本軍「慰安婦」は鄭書云さん(1924年―2004年)だった。新聞記者一年目の1995年、香川県でのことだ。 思えば「記憶」と「忘却」がせめぎ合う転換期だった。戦後補償裁判が次々と提起され、金学順さんをはじめとする当...

在日朝鮮人を見つめて

vol.33 命の肯定、 金滿里の「母語」 優生思想との闘い、最前線で

この8年ほど、非常勤先の大学での授業に、「劇団態変」の役者さんを招いて、パフォーマンスを披露してもらっている。 大阪が拠点の身体芸術集団で、役者全員が身体障害を持つ。 レオタードに身を包んだ役者が、舞台でその人にしかできない動きをする。「障...

始まりのウリハッキョ編 vol.54 1986年に刊行、朝鮮語小辞典 /私たちの、舟を編む―

在日朝鮮人の中等教育が40周年を迎えた1986年5月、朝鮮学校の子どもたちが朝鮮語を学ぶための辞書「朝鮮語小辞典」が刊行された。1世の言語学者、朝鮮学校で教壇に立った元教師…。朝鮮語教育の発展のため、辞書作りに励んだ人たちの歩みを追った。 ...

在日朝鮮人を見つめて

vol.32 心の痛みを汲みとってくれた” フジ住宅訴訟、環境型レイハラを違法認定

差別は受ける者から社会への「信頼感覚」を奪う。1月号で書いたレイシャルハラスメント裁判は、奪われたその信頼の回復を求める当事者の闘いの一つだ。社内文書として嫌韓嫌中本や歴史改竄本、ヘイト文書を執拗に配布され、右派教科書採択運動にまで動員され...

在日朝鮮人を見つめて

vol.31 動機づけられる、特別な場 エルファ20年、ハルモニたちとともに

在日一世やそれに近い世代の二世ヘの聴き取りを重ねて来た。植民地期に渡日して以来、彼彼女たちは多数者が書く「歴史」という物語の外に排除され、留め置かれてきた。多くは文字から疎外された彼彼女らにあるのは記憶だけ。それを歴史として残したかった。 ...

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