vol.9 司法に刻んだ、小さいが大きな「一歩」
ウトロ放火事件で懲役4年の実刑 ウトロ放火事件の判決が、発生から一年目の8月30日、京都地裁で言い渡された。 約一時間後の記者会見。会場に詰めかけた記者を前に、ウトロ平和祈念館副館長の金秀煥(1976年生)が吐露した。 「正直、ほっとしまし...
広告
40年間追悼を続けて 筆者●西崎雅夫(一般社団法人ほうせんか理事) 1923年9月1日に発生した関東大震災。この時、警察や新聞による扇動、人々の流言飛語によって罪のない朝鮮人たちが関東各地で虐殺された。 1982年に私たちの市民運動が始...
「日朝関係」には広義と狭義がある。広義の日朝関係は、日本列島と朝鮮半島、日本人とコリアンの関係全般を意味する。歴史的スパンも長く、そのなかには日本が朝鮮を不当にも植民地支配していた時代を含んでいる。狭義の日朝関係とは、日本国と朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」)および両国民間の関係を意味する。これは日本で言う「戦後」、南北朝鮮で言う「解放後」の関係である。
金信洛として日本植民地支配下の朝鮮半島・咸鏡南道で生まれ、空手チョップを武器に日本のプロレスの礎を築いた力道山(1924—63)。戦後日本で絶大な人気を博したヒーローを間近で見てきた妻の田中敬子さん(81)にインタビューした。聞き手は、田中さんと親交がある宋修日さん(51、朝鮮大学校体育学部長、在日本朝鮮人空手道協会理事長)。
広告