もうひとつの旅2011―宝塚
兵庫県宝塚市というと、すぐに思い浮かべるのが宝塚歌劇団。しかし、この地も朝鮮半島とのかかわりが深く、それを示す古くから近代にかけての跡が残されている。秋の紅葉が最盛を迎えるころ、宝塚を訪ねた。
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兵庫県宝塚市というと、すぐに思い浮かべるのが宝塚歌劇団。しかし、この地も朝鮮半島とのかかわりが深く、それを示す古くから近代にかけての跡が残されている。秋の紅葉が最盛を迎えるころ、宝塚を訪ねた。
鄭栄桓様
イオ編集部の企画によって、新進気鋭の若手研究者と「在日朝鮮人の歴史的意味」について議論できることを嬉しく思います。一回目のテーマとして与えられたのは「在日朝鮮人にとって、この『100年』は何だったのか?」です。
兵庫県宝塚市というと、すぐに思い浮かべるのが宝塚歌劇団。しかし、この地も朝鮮半島とのかかわりが深く、それを示す古くから近代にかけての跡が残されている。秋の紅葉が最盛を迎えるころ、宝塚を訪ねた。
同胞青年が主催した同胞青年祝典「ウリミレEXPO」が11月7日、東京朝鮮中高級学校で開催された。秋の晴天に恵まれたなか、若い世代を中心に1万余人の同胞たちが集まり、メインステージを中心に会場各所に設けられた、朝鮮パビリオン、青年パビリオン、コッポンオリマダン、フードマダンなどでのイベントを楽しんだ。同胞青年たちが企画、準備を進めてきたものだけに、これまでのものとは一味も二味もちがったイベントになった。
南楊州市にある光陵は朝鮮7代王・世祖(1418-50)の墓だ。
世宗の二男に生まれた世祖は王位に就けなかったものの、兄の文宗が死んだ後、
彼の息子・端宗が17歳で王位を継承するや癸酉靖乱を起こし王位を奪った。
故郷・朝鮮を離れて広島で被爆し、命からがら生き延びた金貴順さん。その後の生活を建て直すために苦労を重ね、夫に先立たれた後も4人の子どもたちを朝鮮人として育てあげた。そんな「ハンメ」の半生を、孫の金正出さんが聞いた。
牛がねそべったような形の島という意味で昔から臥牛島と呼ばれている。
西海閘門付近に位置する西海岸の名勝地には、各地からの観光客が絶えない。
絵や人形などが生きているように動き出すアニメーション。その魅力は、ジャンルの多様性と表現方法の自由度の高さなど。アニメは世界で広く発展し、子どもだけでなく大人も楽しめる数々の名作が作られてきました。今月は、そんな幅広いアニメーションの世界の中から、「朝鮮のアニメ事情はどうなっているの?」という読者の疑問に答えるとともに、日本のアニメ業界で働く同胞たちやお薦めアニメなどを紹介します。
20歳で日本に強制連行され、家族と引き離された奉堯鐘(ポン・ヨジョン)さんは解放後、大分で生活の基盤を築いた。その後、ようやく祖国訪問を果たすことができた奉さんを待ち受けていたのは、変わらない風景とは対照的な、あまりにも辛い現実だった。日本の植民地支配、そしてその後の朝鮮戦争によって翻弄されざるを得なかった奉さんの半生を、大分県で生まれ育った3世の金秋那(キム・チュナ)さんが聞いた。
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