タグ: 朝鮮学校百物語

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不屈の精神を生んだ 4・24/始まりのウリハッキョ編vol.45 4・24教育闘争(下)

朝鮮学校閉鎖を命じた「1・24通牒」は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、「民族教育=子どもたちの未来」を守る精神と連帯を生んだ。同胞たちは学校の再建に立ちあがる。

金太一少年はなぜ殺されたのか/始まりのウリハッキョ編vol.44 4・24教育闘争(上)

1945年の祖国解放後、在日朝鮮人はすさまじい勢いで朝鮮語を教える国語講習所を日本各地に建て、子どもたちへの民族教育を施していった。しかし、米占領軍と日本政府は48年1月に「朝鮮人学校閉鎖令」を出して朝鮮学校への大弾圧を加え、大阪では16歳の少年が警官に銃殺される惨劇が起きた。

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手作りの教材から体系的な教科書へ/始まりのウリハッキョ編vol.42 解放後の国語教科書(前編)

1945年の祖国解放後まもなく、日本各地で在日朝鮮人による国語講習所が建てられた。トンネの同胞、子どもたちを集め、急ごしらえの教員が手作りの教材で朝鮮語を教える…。その後、教材づくりは組織的・体系的に発展し、今日まで変遷を経てきた。さまざまな科目の中から、まずは「国語(朝鮮語)」教科書の歴史を振り返ってみたい。

祖国訪問の夢掲げ、優勝へ/始まりのウリハッキョ編vol.41 コマチュックで埼玉3連覇

「在日朝鮮初級学校中央サッカー大会」が今年で40回目を迎えた。「コマチュック(꼬마축구)」(ちびっこサッカー)の愛称で親しまれる、歴史ある大会で唯一破られていない記録がある。埼玉朝鮮初中級学校の大会3連覇だ。第7回(1985年)から9回(87年)大会にかけて3連覇を果たした埼玉初級にスポットを当てた。

手探りで探した民族の音色/始まりのウリハッキョ編vol.40 朝鮮学校と民族楽器

朝鮮学校の子どもたちに今も民族音楽の息吹を伝え続ける民族楽器。その歴史は1966年5月、東京朝鮮第1初中級学校(東京都荒川区)に祖国・朝鮮民主主義人民共和国から民族楽器が送られてきたことから始まる。

조선춤(チョソンチュム)を追いもとめ/始まりのウリハッキョ編vol.39 朝鮮舞踊基本動作の普及

朝鮮学校の舞踊教育において、バイブルといえるのが基本動作だ。朝鮮舞踊の礎を築いた崔承喜が朝鮮民主主義人民共和国で作った「朝鮮民族舞踊基本」(1958、朝鮮芸術出版社)が海を越えて、日本に伝わったのは1960年代のことだった。

1世の踊りに釘付けになった/始まりのウリハッキョ編vol.38 朝鮮舞踊サークル

朝鮮学校には多くの学校に朝鮮舞踊のサークルがあり、民族の心をはぐくむ大切な空間となっている。今でこそ舞踊を教える人は増えたが、草創期には一握りの1世だけ。その1世から、むさぼるように民族の踊りを習い、2世、3世たちに伝えた人たちがいた。

統一への希望、4500人が涙/vol.37 在日朝鮮学生少年芸術団のソウル公演

民族教育史上初めて、朝鮮学校の生徒たちが南の故郷の地で芸術公演を行ったのは15年前の2002年9月のことだった。在日朝鮮学生少年芸術団(団長=具大石・東京朝鮮中高級学校校長、総勢90人)は、9月4日にソウル、6日には全州で公演を成功させ、合計4500人の市民が朝鮮学校生との出会いを果たした。

先代の思い受け継ぎ、再び開校へ―/始まりのウリハッキョ編vol.36 奈良での民族教育(後編)

1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。

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