朝鮮学校百物語 – ページ 2 – イオWeb

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始まりのウリハッキョ編  日本語教育の礎築いた人びと vol.53「日本語」教科書の歴史(下)

先月号に引き続いて、今月号では1980年代以降の日本語教科書編さんの歴史を、編さん事業に携わった人びとの証言とともに振り返る。 90年代の全面改編 1980年代以降の日本語教科書の改編では、定住志向を反映し、日本の実情に合わせた方向で日本語...

始まりのウリハッキョ編 転換点となった77年度の改編 vol.52「日本語」教科書の歴史(上)

在日朝鮮人にとって「外国語」でありながら、生活においては第一言語である日本語は朝鮮学校でどのように教えられてきたのか。日本語の教科書編さんの歴史を2回にわたってつづる。初回は、1955年の総聯結成後から日本語教科書編さん史における大きな転換...

始まりのウリハッキョ編 vol.51 九州中高カヤグム併唱部/下関から九州へつないだ伝統

九州朝鮮中高級学校のカヤグム併唱部は、1960年代末から在日本朝鮮人中央芸術祝典(現・在日朝鮮学生中央芸術競演大会)への参加をはじめ、70年には学生部門・高級学校の部で1位を受賞。以降、強豪として伝統を受け継いでいった。その“はじまり”を記...

始まりのウリハッキョ編 “立派な朝鮮人に” 願い受けとめ vol.50 朝鮮幼稚園(下)1970年代の教員たち

1950年代から各地の朝鮮学校に付属する形で生まれていった朝鮮幼稚班。78年に朝鮮大学校に幼稚班教員を養成する「教養員科(現在の教育学部保育科)」ができるまでは、初級部の教員経験者や日本の大学で保育を専攻した女性たちが、試行錯誤を重ねながら...

始まりのウリハッキョ編 vol.49 朝鮮幼稚園(上) 〝幼児にも民族教育”、60年代から続々と

1948~49年、日本政府とGHQによる朝鮮学校弾圧は熾烈を極めたが、「わが子に民族教育を」との思いまでは消せなかった。1950年代に生まれた朝鮮幼稚園は、働く母親のニーズ、増え続ける生徒数、祖国への帰国熱という、同胞社会の熱量に押されなが...

始まりのウリハッキョ編 民族教育史上初 鉄筋校舎にかけた1世の思い vol.48 東京第1の鉄筋校舎建設

60年前の1959年1月15日、東京朝鮮第1初中級学校(当時は、初級学校)は、日本各地の朝鮮学校に先駆け、民族教育史上初めて鉄筋コンクリート校舎を建てた。鉄筋の校舎はいかにして生まれたのか。 ●予算2000万円、同胞たちのカンパで 東京第1...

始まりのウリハッキョ編 同胞の権利を守る 法律専門家育成 vol47.朝鮮大学校法律学科の創設

朝鮮大学校政治経済学部に法律学科が新設されて今年で20年。ここから巣立ち、弁護士などの有資格者となった卒業生は数多い。民族教育では初となる法律専門家育成の場はいかにして生まれ、発展してきたのか―。

始まりのウリハッキョ編 生活の“中”にあったウリハッキョ vol.46 「金平団地」と朝鮮学校

1960年代、福岡には行政による区画整理のため、生活していた場所から立ち退きを強要された在日朝鮮人たちがいた。代わりの住まいとして、たくさんの長屋で形成された「金平団地」(福岡市東区、現正式名称は浜松住宅)には多くの同胞が集まって暮らした。団地の敷地内には公園や銭湯のほか、市内から移された福岡朝鮮初級学校も存在した。

不屈の精神を生んだ 4・24/始まりのウリハッキョ編vol.45 4・24教育闘争(下)

朝鮮学校閉鎖を命じた「1・24通牒」は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、「民族教育=子どもたちの未来」を守る精神と連帯を生んだ。同胞たちは学校の再建に立ちあがる。

金太一少年はなぜ殺されたのか/始まりのウリハッキョ編vol.44 4・24教育闘争(上)

1945年の祖国解放後、在日朝鮮人はすさまじい勢いで朝鮮語を教える国語講習所を日本各地に建て、子どもたちへの民族教育を施していった。しかし、米占領軍と日本政府は48年1月に「朝鮮人学校閉鎖令」を出して朝鮮学校への大弾圧を加え、大阪では16歳の少年が警官に銃殺される惨劇が起きた。

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