先代の思い受け継ぎ、再び開校へ―/始まりのウリハッキョ編vol.36 奈良での民族教育(後編)
1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。
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1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。
奈良県では、1960年代末まで午後夜間学校の形式で民族教育が続けられていた。奈良朝鮮初中級学校が開校したのは69年4月1日。プレハブ造りの仮校舎ではあったが、ようやく体裁を整えた自主学校が完成したのだ。翌年9月12日、現在の場所に鉄筋の新校舎を竣工。この日を学校創立記念日に定めている。
朝鮮学校に通う児童・生徒たちが「話術」技能を競い合う在日朝鮮学生中央口演大会。日本で生まれ育った子どもたちが朝鮮語を披露するこの大会は、4世、5世が学校に通う時代となった今も、重要な場となっている。
朝高ボクシングを頂点に押し上げるために人生を捧げた李成樹・東京朝鮮中高級学校ボクシング部監督(享年46歳)。教え子や縁の人から、その情熱を追った。
朝鮮学校の特徴として、教員の養成を自前で行っていることが挙げられる。現在、日本各地にある朝鮮学校の教員は朝鮮大学校から輩出されるのが基本だが、それまではさまざまな方法で教員が養成されていた。各地にあった師範学校、朝鮮高級学校の師範科を中心に、民族教育のもう一つの教員養成の歴史をたどる。
在日朝鮮人を取り巻くさまざまなテーマを表現し、近年、内外で活動が注目されている朝鮮大学校演劇部。草創期から現代までを振り返りながら、その活動と意義を紹介する。
「コマチュック(꼬마축구)」(ちびっこサッカーの意)の愛称で親しまれ、数々のドラマが繰り広げられてきた在日朝鮮初級学校中央サッカー大会が今年で39回目を迎える。第1回大会にスポットを当て、優勝校の西播朝鮮初中級学校(兵庫県姫路市)の足跡もたどりつつ、その歴史をひもといてみる。
朝鮮高校ラグビー部の活躍は全国の在日同胞たちの心に感動と希望を与えている。そんな在日ラグビーの歴史が始まったのは1958年、創立して間もない九州朝鮮中高級学校のグラウンドだった。後に「在日コリアンラグビーの父」と呼ばれた故・全源治さんと生徒たちが切り開いた、ラグビー部の草創期を振り返る。
生まれた朝鮮を離れ、日本の教育を受けた一人の青年が朝鮮地理に目覚め、研究者、教育者として歩んだ道のり―。6月3日に生を全うした在日朝鮮人地理学者の生涯を追った。
第33回全国高校サッカー選手権大会でベスト4という快挙を遂げた東京朝鮮高級学校サッカー部だったが、大会参加はこの一回切り。大会の要項に出場資格の制約が入ってしまったのだ。実力を試す機会を失った朝高選手は大きく落胆する。
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