タグ: 一世の軌跡を辿る

本連載「一世の軌跡を辿る」では、「旅編」と「声編」を隔月で掲載し、「旅編」では1世にまつわる様々な地を訪ねた紀行文を、「声編」では1世の証言を紹介します。

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日本に渡り被爆、無から生活を築き上げた

故郷・朝鮮を離れて広島で被爆し、命からがら生き延びた金貴順さん。その後の生活を建て直すために苦労を重ね、夫に先立たれた後も4人の子どもたちを朝鮮人として育てあげた。そんな「ハンメ」の半生を、孫の金正出さんが聞いた。

朱鞠内湖

京都・ウトロ

 近鉄京都線の伊勢田駅から徒歩で約10分ほど行くと、平凡な町並みの中に大きな看板が何枚も立てられた一画が現れる。「ウトロ町づくり基本方針」「私たちがめざす新しいウトロ」…。そこに書かれている言葉の一つひとつが、この町の歴史の結晶でもある。

20歳で強制連行、故郷の信川で親族は殺された

20歳で日本に強制連行され、家族と引き離された奉堯鐘(ポン・ヨジョン)さんは解放後、大分で生活の基盤を築いた。その後、ようやく祖国訪問を果たすことができた奉さんを待ち受けていたのは、変わらない風景とは対照的な、あまりにも辛い現実だった。日本の植民地支配、そしてその後の朝鮮戦争によって翻弄されざるを得なかった奉さんの半生を、大分県で生まれ育った3世の金秋那(キム・チュナ)さんが聞いた。

朱鞠内湖

北海道・朱鞠内湖

朱鞠内湖は雨竜ダム工事によってできた人造湖で、ダム工事現場は、最大級のタコ部屋労働が行われていたところだった。戦争が激化する中、日本人労働者の不足を補うために、朱鞠内でも1940年から朝鮮人が強制連行されてきたという。

3度の獄中生活、民族のために曲げなかった信念

幼い頃に植民地朝鮮の淋しさを体験し、そして民族を救う先進思想に目覚め民族運動に明け暮れた金甲生さんは、3度の獄中生活にも屈することなく、こんにちまで同胞社会を守るために第一線を担ってきた。若い日本人の立場から日朝友好を実現しようと取り組んでいる高原さつきさんが、その半生を聞いた。

長崎港から約18.5kmの海上に浮かぶ軍艦島

長崎県・軍艦島

軍艦島は、正式名を端島という。その姿が戦艦に似ているところから軍艦島と呼ばれるようになった。長らく無人の島として、日本社会ではその存在を忘れられてきたが、2009年5月から上陸ツアーが始まり、再び脚光を浴びるようになった。しかし、朝鮮人にとって軍艦島は、別の意味で忘れることのできない島として存在し続けた。

5.10単独選挙に反対し中山間地帯に逃げてきた済州島の人たち

同じ民族同士、憎み殺し合うほど不幸なことはない

60数年前、済州島で人口のおよそ10%にあたる3万人が犠牲となった「済州4.3事件」。家を焼かれ、家族・親戚を虐殺された悲しみは、その記憶を抱え今を生きる在日コリアン1世の心にも深く刻まれている。「済州4.3」を体験した白昌熏さん(76、大阪市生野区在住)の話を、禹成大さん(27)が聞いた。

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