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特別企画・もう一つの民族教育 ~大阪の民族学級では

●ルポ・この中で見せる笑顔、守りたい~矢田東小と桑津小を訪ねて

日本の公立校に学ぶ、朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちのための場である民族学級。在日朝鮮人による民族教育への弾圧から生まれ、さまざまな紆余曲折を経ながら民族講師と日本の教員、保護者を中心に守り続けられてきた。去る3月、それぞれの節目を迎えた大阪市立矢田東小と桑津小を取材し、当事者たちの思いを聞いた。

43年目の朝鮮子ども会

3月15日の午後、大阪市東住吉区にある矢田東小学校を訪ねた。「取材ですよね。上でソンセンニム(先生)が待ってますよ」。日本の公立校で働く教員の口から自然と朝鮮語の単語が出てくることに新鮮さを感じながら、目的の教室へ向かった。
「ここが『朝鮮子ども会』の教室です」―、校内に設置された民族学級だ。民族学級とは、日本の公立小中学校に通う朝鮮半島にルーツのある児童・生徒たちが、朝鮮の歴史、文化、言語を学び、アイデンティティを育む場である(民族学級の成り立ちについては54~55ページを参照)。
現在、大阪市には106の小中学校にこのような民族学級が存在しており(17年度)、名称や形態はさまざまながら、日本の教員と民族講師、保護者らを中心にして運営が続けられている。在日朝鮮人が多く暮らす大阪ならではの特徴的な取り組みと言えるだろう。
東住吉区の矢田地域では、同和地区(部落)の子どもたちへの差別と偏見をなくすための教育実践を進める過程で、矢田南中学校で学ぶ在日朝鮮人の子どもがノートに「ぼくが本名で呼ばれてもはずかしくない学校にしてくれ」と書いたことが、在日朝鮮人教育に目が向くきっかけとなった。同校では、同和地区の子どもたちの立ち上がりに支えられて、朝鮮人の子どもらもルーツを知り、声を上げていく中で、1972年11月、4人の朝鮮人生徒を中心に「チョソンの会」が結成された。以降、70年代に地区各校にも民族学級が設置されていった。矢田東小に朝鮮子ども会(以下、子ども会)が開設されたのは76年のことだ。
教室の中に入ると、色鮮やかな民族衣装に身を包んだ児童らが黒板に絵を描いていた。「それ優愛? 似てるやん」。民族講師の柳侑子さん(29)が声をかける。この日は子ども会の17年度修了式。最年長の金優愛さん(小6)が卒業するため、皆でお祝いの準備をしているという。…

 

急がれる民族講師の処遇改善/大阪民族学級・70年の歴史と課題
金光敏●コリアNGOセンター事務局長(大阪府在住、1971年生まれ)

誰ひとり話しかけず― 厳しい差別の中で

「職員室の扉前に私の机があり、人が出入りすると冷たい風にさらされた。出勤しても誰一人話しかけてくれず、支えは民族学級の子どもたちに会うこと。そんな思いを、どこででもソンセンニムたちはしていた」
大阪市立北鶴橋小学校で36年間にわたり、民族学級の指導にあたった故金容海ソンセンニムが、就任当初を振り返って語った証言だ。金ソンセンニムは、学歴があり読み書きを教えられるからと、鞍作(現在の平野区)朝鮮人小学校の教師となった。しかし強制閉鎖となり、他職についていると、公立小学校に設けられる朝鮮人学級、つまり民族学級で教えるよう頼まれる。以来一貫して公立学校での民族教育の道を歩まれた。
4・24阪神教育闘争後、朝鮮人代表者と文部省(当時)が交わした覚書(1948年5月)に基づき、大阪、京都、兵庫、滋賀、福岡、愛知などで朝鮮人の子どもを対象とする「特設学級」が設けられた。最大時は77校に及んだ。民族教育の灯が消されんとする中、かろうじて生き残った貴重な機会であった。加えて、公立朝鮮人学校が14校、公立学校の朝鮮人分校が18校開設された。大阪では、50年前後に、府内33校の小中学校に「特設学級」が、大阪市立本庄中学校に朝鮮人学校として西今里分校が開設された。
55年の朝鮮総聯結成で本格化した学校再建により、公立学校から朝鮮人の児童生徒らが朝鮮学校に移っていく。59年大阪地域に13ヵ所の初級学校が開設されているが、在籍数は2300名を超える。61年に生野区に新設された東大阪朝鮮中級学校は当初から1000名を超えるマンモス校となっている。詳細は省略するが、公立学校の子どもらが大量に朝鮮学校に通いなおした様子がうかがえる。
冒頭の金容海ソンセンニムの証言にもあるように、指導者でさえ冷たい仕打ちを受けるなか、子どもたちにはさらに厳しい差別が向いた。厳しい差別の現実が、民族学校再建に向けた同胞社会の動機となっていった。…

 

●民族学級があったから―ルーツを尊重できる社会を

在日コリアンの母と日本人の父を持つ高愛理さん(21歳、大学生)は、小学校・中学校時代、大阪市立の学校にある「民族学級」で学んだ。そこで朝鮮文化に触れ、自身のルーツを認識し、かけがえのない仲間と出会う。当時の経験や後輩たちへの思いを聞いた。

文化や名前を通して

大阪の中でも特に民族学級が盛んだった大阪市立長橋小学校(西成区)に通っていた愛理さん。仲のいい在日の同級生を誘い、小学1年生の2学期から週1回の民族学級に通い始めた。「すごく楽しかった。その頃は朝鮮の打楽器や、ユンノリ(すごろくに似た朝鮮半島のゲーム)といった遊びが中心で、みんなペンイ(朝鮮のコマ)とかを回しまくってかなりの腕前で(笑)」。毎年12月頃にある民族学級発表会に向けたプチェチュム(扇を使った朝鮮舞踊)や劇の練習、また調理実習などもあった。「自分が朝鮮に繋がりがあることがイヤだと思ったことはなかった」。
高学年で行われる合宿では、自分の名前のことや、家族がどのように日本へ渡ってきたかなど、普段じっくり考えないテーマで話し合う。同じルーツを持つ児童たちと一緒に問題に向き合う大切な時間だった。…


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