【イオニュース PICK UP】長生炭鉱遺骨の鑑定実施に一歩前進、地元団体らが会見 朝鮮在住犠牲者遺族について朝鮮新報記者が報告
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DNA型鑑定、「そう遠くない時期に」
山口県宇部市の海底炭鉱・長生炭鉱で昨年8月に遺骨を収容した一般社団法人「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(刻む会)の井上洋子代表らが1月20日、政府関係省庁の担当者と面会した後、衆議院第1議員会館で記者会見と集会を開いた。
1942年2月3日、長生炭鉱で発生した水没事故(水非常)によって、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島出身者136人を含む183人が犠牲になった。刻む会が進める潜水調査により昨年8月末、坑道から頭蓋骨などの人骨が発掘された。犠牲者のものとみられる人骨は地元の山口県警に届けられ、10月には刻む会が集めた遺族のDNA型データを警察に提供するも、身元特定のための鑑定実施が進まない状態が続いていた。
今回の政府面会は1月13日の日韓首脳会談において、長生炭鉱で見つかった遺骨のDNA型鑑定を両政府が協力して進めることで合意したことを受けて行われた。非公開で行われた面会には社民党のラサール石井参議院議員ら国会議員らと刻む会のメンバーが参加し、政府側から警察庁と外務省の担当者が応対した。

刻む会の上田慶司事務局長によると、警察庁の担当者は、日韓で協議を進めているがDNA型鑑定のスケジュールは未定だという。上田事務局長はさらに、警察庁担当者の「そう遠くない時期にできると思う」という発言も紹介。面会参加者らはこの発言を鑑定実施に関する言及だと捉えている。
朝鮮在住遺族のDNA型鑑定については、外務省の担当者から「希望があれば対応しないということはないが、個別に状況を検討して判断することとなる。現地訪問に関しても申し込みがあってから個別での対応となる」との発言があったと報告した。
上田事務局長は、「2月までにDNA鑑定の実施が決まっていなければ刻む会が独自に鑑定すると宣言していたが、独自鑑定はせずに日本政府が遺骨収容に協力することを促していく」と強調した。
今も続く遺族の苦しみを痛感
朝鮮新報2025年8月27日付の紙面上(25日更新の同紙電子版)で初めて朝鮮民主主義人民共和国に在住する長生炭鉱水没事故犠牲者遺族の存在が明らかになった。集会では、朝鮮新報の金淑美記者が遺族を現地で取材した経験について報告した。
朝鮮人犠牲者のうち、朝鮮に本籍を置く5人の名簿は昨年 2月、刻む会が朝鮮人強制連行真相調査団を通じて、本国の朝鮮人強制連行被害者・遺族協会に共有した。それを受けて、朝鮮国内で調査が実施され、江原道を本籍とする朴錫基さんの遺族が見つかった。金記者ら朝鮮新報平壌支局は、朴錫基のひ孫であるパク・クムスクさんを取材した。
パクさんは小学生の頃に祖父から曽祖父・朴錫基さんについて話を聞いた。祖父によると、曽祖父は日本の植民地支配期に日本に強制連行され、曽祖母と祖父も日本に渡ったという。事故が起こった後、曽祖母は現場に向かい、夫の遺体を探すよう訴えたが、炭鉱側は遺体を探してくれなかった。その後、曽祖母と祖父は1945年1月に故郷の昌道郡に戻ってきた。
金記者は、パクさんが「曽祖父の遺骨が80年以上も冷たい海の底に眠っていると思うと、胸が張り裂けそうだ」「日本は曽祖父を強制連行し、労働を強いた挙句の果てに生き埋めにした。せめて遺骨を探し出し、遺族に返すべきではないか」と訴えていたことを伝えた。
また、記者がひとたび質問するとパクさんが堰を切ったように自分の胸の内を語り始めたことが印象的だったと振り返りながら、その姿から遺族の痛みや苦しみは現在も続いているということ、そしてその声は日本の歴史修正主義に抗うための貴重な証言になるということを改めて痛感したと話した。
金記者はさらに、日本の植民地支配による痛みを抱えている遺族や被害者はパクさんだけではないとしながら、昨年取材した在朝被爆者のカン・ジョンヒさんと強制連行被害者遺族のキム・ウォンギョンさんについても言及。日本との国交がないことや日本政府による対朝鮮敵視政策、朝鮮バッシングなどにより、日本の過去清算を求める言説空間において、かれかのじょらの存在は置き去りにされているように感じるとしながら、長生炭鉱水没事故の真相究明や遺骨の収容においても、朝鮮の犠牲者遺族が取り残されることがあってはならないと強調した。
報告後に上田事務局長は、「刻む会としては、共和国のご遺族を置き去りにすることは絶対にない。ともに頑張っていきたい」と応えた。
最後に、井上代表は、「日本政府が長生炭鉱に関与するという大きな第一歩を手繰り寄せた。今年はさらに前進して、一体でも多くのご遺骨を収容して故郷にお返しすることに注力していきたい。その過程で、日本で加害の歴史に関する認識が広がっていくと確信している」と言葉に力を込めた。
刻む会では2月3日から数日間にわたり現地で遺骨収容を実施する予定。7日には事故84周年犠牲者追悼集会も開かれる。(文・写真:康哲誠)







