【特集】人生第二幕 元同胞アスリートのいま
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現役時代、その活躍で在日同胞たちに力と勇気を与えてくれた元同胞アスリートたち。スポーツ漬けだった毎日から一転、所属チームのコーチやスタッフに就任する人もいれば、まったく違う職種に就く人も。なぜその道を選択したのか。今、何を思うのか…。かれ・かのじょらのセカンドキャリア、「人生第二幕」を追います。
「幸せなサッカー人生」、次は支える立場で
インタビュー/梁勇基さん●ベガルタ仙台・クラブコーディネーター
サッカーJリーグ・ベガルタ仙台、サガン鳥栖でプレーし、昨年、20年にわたる現役生活を引退した梁勇基さん(42)。Jリーグ通算577試合出場、76得点の「レジェンド」だ。現在、ベガルタ仙台のクラブコーディネーターとして活動する梁さんを訪ね、インタビューした。
―引退はいつごろから考えていたのでしょうか。
35歳を過ぎたあたりから「引退」の二文字は常に頭の片隅にありました。もう少し続けたい、体もまだ動く、ということで結果的に42歳の年に引退することになりましたが、近年は「今年が最後かもしれない」という覚悟をもってプレーしていました。・・・
いざ、第二幕へ!
ボクシング、空手、ビーチバレーボール、ラグビー。同胞アスリートとしてこれまで数々の功績を残してきた選手たちの人生第二幕に迫りました。
ボクサーから料理人へ
李冽理さん ボクシング
東京メトロ千代田線湯島駅のすぐ近くにある「韓国屋台式居酒屋クニャンポチャ(그냥포차)」。店主は元WBA世界スーパーバンタム級王者の李冽理さん(42)だ。妻の申明信さん(37)と営んでいる。
2013年に現役を引退してすぐ、飲食店で毎日12時間の修行を積んだ。「第二の人生、ボクシングに関することも選択肢にあったが、若いうちに踏み込んだことのない世界で一からやってみようと思った。現役時代の苦労や努力が社会でも通じるのかも試したかった」という。・・・
育児と空手道、今も志変わらず
姜知衣さん 空手
場所は愛知朝鮮中高級学校(豊明市)。元空手選手の姜知衣さん(37)は、1歳半を迎えた息子・崔路云さんを抱えながら空手部部員の指導をしていた。ほほえましい光景だが、部員の一挙一動を観察する際の鋭い眼差しは、現役時代を彷彿させる。・・・
人とのつながりに支えられ
黄秀京さん ビーチバレーボール
Vリーグ(バレーボール)、JBVツアー(ビーチバレーボール)で初の朝鮮籍選手として活躍した黄秀京さん(40)。朝鮮におけるビーチバレーボールの定着、発展にも貢献した。
2018年に現役を引退後、現在はピラティス体幹トレーナー、砂上で行うSUNABAトレーニング講師、各種バレーボール・ビーチバレーボールスクール講師として精力的に活動している。スポーツを通した町おこしや、東京で唯一のプロ男子バレーボールチーム「東京グレートベアーズ※」のコーチも担う。21年には沖縄県で行われた日本混合バレーボール選手権全国大会における同胞選抜チーム(KJVA)の出場を後押しした。・・・
迷ったらGO
徐吉嶺さん ラグビー
2021年に関西丸和ロジスティクスラグビー部(以下、関西丸和)でのプレーを最後に現役を引退したラグビー元トップリーガーの徐吉嶺さん(39)。朝鮮大学校出身で初のトップリーガーで、7人制日本代表選出の経験もある。
「現役引退を決めたのは37歳に差し掛かったころ」。当時、コーチ兼任でプレーしていた。「チームに若い選手がどんどん入ってきて、兼任で現役を続けるのが大変だった。もう潮時だと思った」と語る。・・・
「花園」、社会人を経て次の勝負へ
映画『60万回のトライ』大阪朝高ラガーマンたちの今
2013年の公開から今日まで、今なお観る者の心に響く映画『60万回のトライ』。同胞たちの期待を一身に背負い、「花園」進出・優勝を目指し、汗と涙と血を流して闘った大阪朝鮮高級学校(当時)のラガーマンたちの今に迫る。
忘れられない同胞たち
13年前の第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会と前段の府予選決勝。難しい角度からのゴールキックを何度も成功させた「司令塔」・朴成基さん(31)は今年6月、三重ホンダヒート退団を機に現役を引退した。
チームメイトの権裕人さんと同じ帝京大学でプレー。「やるからには上を目指す」とトップリーガーに。「自分から辞めると後悔が残る。チームが求める限りプレーし続ける」―現役9年間の間にチームリーダーも任された。スタンドオフ(司令塔)というポジション柄、朴さんのおかげで勝てた試合も負けた試合もあった。朴さんは「学生時代から常に上には上がいた。挫折もあったからこそここまで続けてこられた。思い残すことはない」ときっぱり。・・・
応援してくれた人びとへ恩返し
朝鮮高校出身でJリーガー、そして朝鮮代表としてワールドカップの舞台へ。「夢は叶う」と自らの道を果敢に切りひらいてきた安英学(46)は現役引退後、次世代を応援することで、自らが受けたサポートの恩返しを続けている。引退から7年、安の言葉を聞きに彼のもとを訪ねた。
引退から7年 安英学が追う「夢の続き」
学んできたもの伝えたい
9月のある月曜日。安は母校の東京朝鮮第3初級学校(板橋区)にいた。4年前に竣工した真新しい校舎屋上にあるグラウンドでは、彼が代表を務めるジュニスターサッカースクールの練習が行われていた。
コーチの劉康渭(28)は安がアルビレックス新潟でプレーしていたとき、地元の朝鮮学校の初級部児童だった。
スクールはU―9(9歳以下)とU―12(12歳以下)の2クラス。東京第3の児童たちに加えて、日本学校の子どもたちもいる。
「どこにボールを出せばいい? 味方が取りやすいところを考えてボールを出してあげて」。安の声がグラウンドに響き渡る。練習を見守る安の眼差しは温かい。いいプレーはほめる。それに乗せられて子どもたちの動きもよくなってくる。一方でチームメイトや相手へのリスペクトを欠いた行為や、道具を大事にしない振る舞いについては厳しく指導するのだという。・・・
以上が記事の抜粋です。全文は本誌11月号でご覧ください。
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