【イオニュース PICK UP】「朝鮮人は3度も殺されている / 関東大震災101年 朝鮮人虐殺責任追及を求める集会
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関東大震災101年朝鮮人虐殺責任追及を求める集会(主催=関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者と責任追及の行動実行委員会、以下、実行委員会)が8月30日、東京・お茶の水の連合会館で行われ、総聯中央の徐忠彦副議長兼国際局長をはじめとする総聯活動家、日本市民、在日同胞らあわせて250人が参加した。
同集会は昨年の関東大震災朝鮮人虐殺100年という節目を経て、朝鮮人虐殺の事実がどう明らかになり、日本社会はこの問題をどう受けとめているのかを確認するとともに、101年目を迎えて「追悼」「責任追及」「政府の謝罪」へとさらに取り組んでいく新たなスタートにするという趣旨で行われた。
集会では関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者に黙祷が捧げられた。
次に、主催者を代表して「フォーラム平和・人権・環境」の梁祐之共同代表が挨拶を行った。続いて実行委員会事務局長の藤本泰成さんが発言した。
集会には立憲民主党や社会民主党などから国会議員らが来賓として出席し、挨拶を行った。総聯中央の徐副議長と、遺族を代表して曺光喚さんも発言した。曺さんは自身の伯祖父(祖父の兄)が大震災翌日の1923年9月2日に虐殺されたことに触れ、「私たち遺族が、また在日朝鮮人3世、4世が関東大震災時に虐殺された朝鮮人の無念の思いを受け継いでいかなければならない」と切に語った。また集会では鳩山由紀夫元総理大臣から寄せられたメッセージも紹介された。
集会では法政大学の慎蒼宇教授が「関東大震災朝鮮人虐殺の歴史的背景―朝鮮植民地戦争経験の視点から」というタイトルで特別講演を行った。慎教授は前置きとして、「朝鮮人虐殺は当時の日本の軍隊や警察が深く関わっており、虐殺の際には『不逞鮮人』という言葉が使われた。日本の朝鮮植民地支配に対し、朝鮮の民衆たちが民族独立運動を展開したが、それに対して日本は『不逞鮮人』という言葉を使っていた。これは、朝鮮人が行う民族運動を日本国家の防衛の敵であると位置づけ、『不逞鮮人』という言葉が使われる際には朝鮮人には何をしても構わないという意味づけが与えられてきた」と説明した。
また「朝鮮人虐殺は単なる一過性の、自然発生的な犯罪ではなく、日本の官民はすでに大震災前から朝鮮本土で虐殺や弾圧を繰り返してきた」と強調した。
慎教授は日本帝国主義の防衛の根幹には朝鮮人を危険視するという意識があり、その防衛意識によって繰り返されてきた民族運動への軍事的弾圧の延長線上に関東大震災時朝鮮人虐殺を位置づけることができると指摘。日本陸軍が「明治維新」以降から起こしてきた甲午農民戦争(1894年―1895年)、日露戦争(1904年-1905年)などの「朝鮮植民地戦争」の例を順番にあげながら、「日本軍は30年ほどの植民地戦争を経験し、関東大震災を迎えた。大震災当時の日本陸軍上層部は植民地戦争での軍事行動の実施や作戦指揮、朝鮮への駐屯軍派遣にも関与し、植民地戦争のための軍事侵攻の現場指揮官を経験した人たちで構成された。また日本陸軍が関東大震災時に朝鮮人を虐殺したという事実が記録されている資料によると、朝鮮人虐殺を行った部隊は植民地戦争の経験があり、朝鮮で民衆殺戮や捕虜銃殺などの行動を展開していた」と語った。
最後に慎教授は、▼関東大震災時の虐殺それ自体に加えて、▼国家権力が事実の隠滅を図っている、▼今も日本政府によって公式謝罪、真相究明、責任者処罰が行われておらず、歴史修正主義がはびこっていることを挙げて、「朝鮮人は3度も殺されている」と強調した。
集会の終盤では「関東大震災時朝鮮人虐殺事実を知り、追悼する神奈川実行委員会」の山本すみ子代表が「神奈川における関東大震災時の朝鮮人虐殺-新資料から読み解く」というタイトルで報告を行った。山本さんはまず昨年9月に同実行委員会が公開した、歴史家の姜徳相さんによって発見された新資料について説明した。山本さんは同資料が震災時に神奈川県知事だった安河内麻吉から警保局長の岡田忠彦宛に提出された報告文書だと説明。同文書には関東大震災時の朝鮮人保護状況調、朝鮮人犯罪事件調、内地人の朝鮮人に対して行われた殺傷事件調などの内容が盛り込まれていることにも言及し、文書の内容について簡略的に報告した。山本さんは「同資料が新しく公開されたことで関東大震災時、神奈川県内、とくに横浜市で朝鮮人虐殺が確実にあったということが明らかになった」と主張しながら、「日本政府は官民が一体となり行った朝鮮人虐殺に関する公文書などの資料、記録はないと主張しているが、この資料には殺傷事件とはっきり書かれている」とのべた。また、新資料の発見によって、実行委員会は朝鮮人虐殺の事実と歴史を市と県にしっかり認めさせることが大事だと思っており、朝鮮人虐殺の追悼会に横浜市長自らが出席するよう求めている」と語った。
集会の最後にはアピール文が採択された。アピールは、▼日本政府が関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を認めず、その虐殺の歴史を否定しても、朝鮮人虐殺は日本の植民地主義がもたらした国家的ジェノサイドであり、日本政府による歴史改ざんが日本社会に跋扈するヘイトを生み出している事実を日本政府が直視しなければならない、▼日本社会が侵略と植民地支配の歴史を総括し、東アジア諸国との信頼関係を作り上げ、日本政府が責任を持って朝鮮人虐殺の歴史的事実を明らかにし、犠牲者と遺族に対する謝罪の姿勢を示し、未だに払拭しきれていない植民地主義と決別しなければいけないなどと訴えた。
文、写真:金盛國