手をのばせばウリマル
広告

ウリマル-直訳すれば、「わたしたちの言葉」。
在日同胞にとって朝鮮語はウリマルであり、在日同胞が「ウリマル」と言うとき、そこにはさまざまな思いが込められている。
ウリマルを奪われた1世、1世のウリマルを聞き育った2世、ウリマルを学校で学んだ、そして学べなかった3世…。本来、同胞の生活のなかにあるべきウリマルが、歳月の経過とともに、影を薄くしつつある。
しかし、まだまだウリマルは手をのばせば届くところに存在する。
手をのばすこと、そして、「朝鮮語」を「ウリマル」だと感じることが大切だ
- コリアを発信し、共有できる「マダン」:コリア子どもたちの遊びの広場
 - 興味本位から自分の言葉に 青年学校・神奈川
 - ネットで届け、ウリマル!:インターネットウリマル教室「ナルゲ」
 - 日本の学校に学ぶ子どもたちにこそ、ソンセンニムが必要 呉洋子:大阪の民族学級と歩み続けた朴正恵先生
 - 7人のオモニたちの第2の青春:大阪・城東支部「ウリマル教室」
 - エッセイ・ウリマルと私
- それでもウリマルを放棄できない 金民樹
 - たくさんの壁を越えて 徐幸代
 - 頑張る勇気をくれる宝物 邵己淑
 - ウリマルを求める旅 文玉仙
 
 
![]()  | 
![]()  | 
![]()  | 
![]()  | 











