李香代さんは、なぜ攻撃の的になったのか/泉南市議の人種差別発言
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李香代さんを支援する会が主催した講演会(2025年10月4日、大阪市内)
わが子が「在特会」に襲撃された刑法学者の金尚均さの講演全文
添田詩織・泉南市議会議員から人種差別的な攻撃を受けたとして、大阪地裁に投稿の削除と損害賠償を求めて提訴した李香代さんの裁判が10月24日、判決日を迎えます(判決言い渡しは14時から)。
10月4日に大阪市内で行われた李さんを支える集いでは、刑法学者の金尚均・龍谷大学教授が講演。公人である添田議員がマイノリティの出自を攻撃した重大性、李さんが受けた被害をどのように考えればいいのかについて1時間にわたって話しました。金教授の講演内容を全文で紹介します。

刑法学者の金尚均さん(2025年10月4日、大阪市内)
▼冤罪事件をもって攻撃した意図は―
李香代さんは、4人のお子さんを朝鮮学校で育てられましたが、私も3人の子どもを京都の朝鮮学校に通わせました。また2009年12月、いわゆる「在日特権を許さない市民の会(在特会)」と呼ばれる人たちが、わが子が通っていた京都朝鮮第1初級学校を襲撃。私は幸か不幸か襲撃の現場に居合わせました。このようなことがあり、本日の支援集会でお話することになったと思っております。
2024年2月、添田詩織議員は李香代さんをX上で攻撃する言動を繰り返しました。
李香代さんは大阪市のイベント会社「トライハードジャパン(THJ)」の役員を務めており、かねてからTHJに対して「中国共産党がバックについている」と攻撃してきました。添田議員は、THJから提訴された当日の24年2月2日から李さんをX上で攻撃し、「従兄弟は在日留学生捏造スパイ事件で死刑判決を受けた李哲」といった人身攻撃を重ねてきたのです。
添田議員は、李さんが朝鮮学校のオモニ会役員だったころ、大阪府庁前の火曜日行動で朝鮮学校への補助金復活を求め発言している写真も掲載しました。
添田議員は、なぜ李さんの従兄弟の冤罪事件をもって攻撃をしたのか。
また、李香代さんがなぜ攻撃の対象になったのか。今日はこの2点をお話します。
李香代さんの従兄弟・李哲さんは冤罪事件の被害者です(※注)。
李哲さんは死刑判決を受けたものの、その後、奇跡的に無罪判決を勝ち取りました。
このことについて、本来公人である議員であれば、李哲さんや家族の方々を褒め称えなければいけないのに、添田議員は「犯罪者」というレッテルを張りました。
※注
李哲さんは1975年12月、高麗大学大学院政治外交学科在籍中に突如として韓国の中央情報部に連行されると、「北朝鮮のスパイ」にでっちあげられ、死刑判決を受けた(後に無期懲役に減刑)。13年間の獄中生活を経て1988年に釈放、帰日。2015年11月に再審で無罪判決が確定し、19年6月には当時の文在寅大統領から謝罪の言葉も受けている。李哲さんは韓国の司法によって人生を狂わされた冤罪被害者だ。
添田議員は、中国人、朝鮮人、そして朝鮮学校という日本の社会において「人気のない」3つの要素に加え、犯罪者集団という要素に李さんをあてはめました。
「朝鮮人の犯罪者」というレッテルと、「朝鮮学校」を挙げることで、まず朝鮮人並びに朝鮮学校への偏見を増長させ、次に同じ属性を有する李さんをこれらに同化させて、「社会の敵」扱いをして排除し、それを扇動した。その極めつけが李さんの顔写真でした。これで添田議員の扇動投稿は完成しました。

李香代さんの弁護団(2025年10月4日、大阪市内)
「敵」というレッテル張りには、意味があります。
例えば、この社会で基本的人権を持っている人は誰でしょうか?
「市民」です。
それに対して「敵」とはいったいどういう人ですか?
自身の生命を脅かす存在です。
かつて著名な憲法学者であるカール・シュミットは、「人間には2つ種類がある。1つは市民で、もう1つは敵だ」と語りました。日本では「敵味方論」と言われます。
市民とはまさに人権を享有する主体です。
敵とは、この社会から排除してもよい存在、いわゆる基本的人権のない存在だとあてはめられます。
かつてドイツではナチス時代に、400万人とも500万人ともいわれるユダヤ人たちがポーランドのアウシュビッツの収容所に連行され、殺されました。
その人たちには、逮捕令状も何もなかった。
なぜ逮捕令状がないのか。それは「市民」ではないからです。いわゆる「敵」だから法的な手続きが要らないという、社会的な扇動をすることによって、排除してもよい存在というイメージを作っていきました。
今、添田議員がやっていることは、まさに李さんが「社会の敵」だから、日本の社会から排除してもいい存在ですよ、と言わんばかりのことです。李さんを人権を保障する「市民」の対象から、排除してもよい客体に貶める行為を繰り返しています。添田議員は、自身の主張を自身のインターネットで書き込むことによって、たくさんのフォロワーにそれを継続的に示し、「李さんを排除しよう」とどんどん扇動していくわけですね。このことが添田議員の大きな狙いだと思います。
▼李さんには、差別されない権利がある
人には差別されない権利があります。
差別されない権利の中身は、李さんが日本において平穏に職業活動をして、平穏に生活を送る権利です。
1人の人間として、尊重されながら生きる権利です。
平穏に生きる権利がなくなると、まさに今、李さんが直面しているように、夜に落ち着いて寝ることもできないし、安心して街に出ることもできないのです。李さんは今、人が人として生きる上で、一番根源的な権利を侵されています。
人間の基本的な権利は何に由来するかというと、人間の尊厳です。
人間の尊厳というのは、ドイツでは憲法第1条に規定されています。人が人として生きる権利は、ドイツでは絶対に不可侵なのです。
一方、日本の法律には、人間の尊厳を定めた規定はありません。
人間の尊厳に関しては、日本国憲法13条に個人の尊厳ないしは個人の尊重が記されています。
人間が人間として人間らしく生きる権利は、すべての人に保障されるべきものです。
このような権利は、李さんの事件に限らず、国連・人種差別撤廃条約を間接的に適用する形で、過去の判例に明記されています。
外国人が銭湯に入ることを拒否されたことを訴えた小樽裁判、
京都朝鮮第1初級学校が「在日特権を許さない市民の会」から襲撃されたことを訴えた裁判の判決にもこのことは明記されました。
徳島県教職員組合の女性職員が朝鮮学校を支援したということで、「在特会」によって襲撃された訴訟でも同じく、いわゆる不法行為の内容として人種差別撤廃条約を間接的に適用しました。
人種差別撤廃条約の間接適用の中身がなにかというと、住居において平穏に生活する権利を保障しましょうということです。
これはまさに、人は誰しも不当な差別を受けることなく、人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送ることができる人格的な利益、いわゆる差別されない権利がある、これを保護しましょうということです。つまり、だんだんと内容が深まってきているんですね。
▼ヘイトスピーチは表現の自由ではない
僕は添田議員のやっていることは、まさに2016年に制定されたヘイトスピーチ解消法に規定された差別的言動だと認識しています。
添田議員は、李さんが朝鮮人であるということを理由に「敵」であると見なし、「敵」であるから攻撃してもいいという風に社会を煽り、自分の言っていることを正当化しながら、李さんを侮辱した。
「敵」であるから侮辱してもいいという風に、社会の人々にどんどん吹き込んでいく、人々の意識に入り込んでいくわけですね。
皆さんもいろんな現場でヘイトスピーチを見られたと思いますが、「殺せ、殺せ、朝鮮人」「朝鮮人を日本から叩き出せ」といった表現からもわかるように、この言葉は皆さんに向けて言っています。つまり皆さんの心の中に入っていく。そうすることによって、皆さんの心の「良心の壁」を、「差別をしてはいけない」という意識の敷居を下げていくわけです。
インターネット上に一度アップされた画像、映像、SNSの表示はずっと掲載されています。そしてこれがコピペされ、どんどん広まっていく。広まるということは、人々の意識に浸透していくということです。
さらに、そこには添田議員が「李哲さんが死刑判決」と言ったような嘘が混じります。
例えば、「在特会」の人たちは、「在日朝鮮人、韓国人は税金を払わなくてもいい」という類の嘘を振りまきます。こういった嘘は実に心地いい。「あいつらこそが日本の敵やないか」という風に人々のなかにその情報が入っていく。嘘やフェイクニュースが介在することによって、「自分たちは被害者だ」、そこから今でいう「日本人ファースト」といった発想が生まれてくるのです。誤った正当防衛意識の中で差別的言動が発せられ膨らみつづけるのです。
つまり、へイトスピーチを考える上で、1番大事なポイントがフェイクニュースなんです。
このフェイクニュースをなんとかしないと、ヘイトスピーチの問題は解決しないと私は思います。
▼平穏に生活する権利が侵害されている
この裁判でもう1つ、李さんにとって大事な権利があると思います。
添田議員の発言によって、李香代さんの平穏に生活する権利が侵害されていますが、被害を受けた李さんには、世の中の人からこういった記事について、忘れてもらう権利がある。
しかし、インターネット上の記事は消せないので、一度見た人は忘れられないんです。
おそらく添田議員は、李香代さんに関する情報を市民に伝えることは、政治家としての義務である、表現の自由であると主張していると思います。
皆さん、表現の自由というものが、なぜ必要だと思いますか?
民主主義とは、ここにいる人たちが対等かつ平等な地位を持って、社会に参加することが前提です。私たちにとって話すということは、まさにこの社会を決定する制度である民主主義を実現するための唯一のツールなんです。
ヘイトスピーチとは、「あいつらを日本から叩きだせ」という風に、自分の気にいらない人を追い出すための発言です。まさに民主主義に反する、民主主義を瓦解させる言動です。
ヘイトスピーチが日本の憲法に明記された「表現の自由」を実現するための言動かというと、私はまったく違うと思います。
▼「交差差別」という視点
例えば今回の件について李さんが男性であったら? 日本人だったらどうだったか、という風に私は思うんですね。
私の娘が朝鮮学校に通っていた中1のころ、京都の地下鉄で座って学校の英語の本を読んでいたら、中年男性に「ここは日本や」と頭を叩かれて、泣いて帰ってきたことがあります。本には朝鮮語も書かれていました。
僕はその時、「これは民族差別なのか?」「女性差別なのか?」と考えこんでしまいました。

裁判にかける思いを伝える李香代さん
例えば大阪朝高ラグビー部の筋肉隆々の男子生徒が英語の本を読んでいたら、こんなことが起こりうるでしょうか。このような差別は、女の子で朝鮮人、朝鮮人で、しかも子どもという弱い存在の要素が重なり合ったときに起きる。
まさに今回の李香代さんの被害は、交差差別ないしは複合差別にあたるという視点が必要だと思うんです。
この公差差別や複合差別の1番のターゲットになるのは、女性です。民族差別だけでは解ききれない問題として私たちは理解するべきだと思うんですね。
だからこそ、添田議員が自身のXに李香代さんの写真を載せたことは、重大な意味があると思うんです。
女性はターゲットにしやすい。添田議員は、それに乗っかってくる人がいると予想して写真を掲載したのではないでしょうか。
今回の事件は、李さんの尊厳が侵害された事案ですが、ではなぜ李さんの尊厳が傷つけられ、侵害されたかというと、李さんが朝鮮人であり、女性であることが背景にあると思います。
朝鮮人、女性であることは、李さんにとってはどうしようもないことです。
差別や抑圧は、しばしばジェンダー、肌の色、障害等々、属性が複合的ないしは重なり合うことで極めて深刻なものになります。このことは李信恵さんの裁判判決で明確に示されました。
▼包括的な差別禁止法が必要
李香代さんへのヘイトスピーチが起きた背景には、「交差差別」の問題があるという点を、私たちはこの日本の社会の中で、また在日社会の中で深く考える必要があると思うんですね。
実は世界的には、交差差別が行われたときには、これを法的に規制しましょうという動きが強まっています。
日本ではヘイトスピーチ解消法、障害者差別禁止法、部落差別解消法、女性差別禁止法などいわゆる差別を規制する法律がバラバラにあります。
これは、世界的に見ると非常に遅れた差別禁止法制です。いわゆる多くの先進諸国、またEU加盟国では、包括的差別禁止法といって、差別に関連する法律は1つにまとめた法律、単一の法律で規制しましょうという流れが主流です。日本では、包括的な差別禁止法が求められているのです。
例えば交差差別という発想がなければ、李さんの差別も朝鮮人差別なのか、女性差別なのか、朝鮮学校差別なのか?とバラバラに発想します。違うんです。重なり合うことで李さんに対する被害がドンピシャにバチンと、非常に強い影響を持って行われました。
李さんが受けた被害は、明らかに日本国憲法13条及び憲法14条にも抵触しています。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
▼インターネットは“消えない”
インターネットの言動は、消されない限りネット上でずっと見ることができる。そして、私たちの目と頭、すなわち記憶にずっと残り続ける。
李さんはボクシングでいうと、殴られ続けている。1発殴られて終わりじゃなくて、ずっと殴られている状況が続いているのです。
だからこそ李さんの気持ちとしては、添田議員の投稿をいち早く消してもらいたいと思うんです。
しかし、インターネットの記事、言動は、1回載ると、それを完全に消すことは実はできない。
もう一度確認します。たとえ添田議員がTHJ社と泉南市との委託契約に反対の立場であったとしても、国籍や民族などの属性を理由にして、契約管理の解消など、不当な取り扱い並びに原告を排除しようとするのは、個人の人格権である、地域において平穏に職業活動する権利、表現の自由を行使する権利、住居において平和に生活する権利を侵害していて、まさに表現の自由を逸脱しています。
前回の集会で中村一成さんが言われたように、添田議員の投稿は、いわゆる「犬笛ヘイト」です。
政治家による発信は非常に大きな力を持っていますから、それを正当な言論だと信じ、理解して李さんを悪魔化させる、敵化させる効果は非常に強い。その意味では非常に悪質な行為が行われていると思います。
例えば添田議員が自ら投稿を消したとしても、投稿を載せた瞬間に、添田議員のフォロワーがコピペをし、別の人がまた掲載します。
そうすると、李さんの被害はどんどん、どんどん拡散していく。甲子園球場のマウンドのど真ん中で5万人の聴衆を前にマイクを持って喋るのと同じようなことです。これは個人的な行動ではなく、非常に公然の出来事です。李さんの写真は何万人、何十万人に見られている可能性があります。
この点については、「鳥取ループ事件」の判例があります。
被差別部落地域の情報を掲載した人に対して、「差別されない権利が侵害された」という判決が出た事案です。
同判決には、「インターネットの普及により、誤った情報、断片的な情報、興味本位な情報も見受けられるようになったことに照らすと、本件地域情報が公表され流通することにより、本件地域の出身等を理由とする不当な扱い(差別)を招来し、助長するおそれがあることは明らかであり、本件地域情報が公表されることによって、これが解決される具体的な根拠、見通しがあることを基礎付ける証拠もない」と書かれています。インターネットの場合には、1回掲載されると被害を修復することは困難ですよと書いている。
私たちは、インターネット上での言動について、もっともっと敏感に意識を研ぎ澄ませるべきです。李さんに対する攻撃は今も続いている。悲しいながら裁判で勝っても続けられる。インターネットの世界で、被害者がやられっぱなしの状態を作るような世界の中で行われた事案だということを理解すべきだと考えます。
李さんが望むのは、自身の属性を理由に差別されることなく、人間として尊厳が保たれた中で生きることだと思います。
▼望まれる判決について
なにより、私はこの裁判で李さんに対する人格権への侵害が認められることを望みます。
李さんの被害を国連・人種差別撤廃条約における人種差別だと示す―。これが裁判官が判決で書くべき最低限の内容だと思っています。
問題は判決の中身です。なぜ李さんの権利が侵害され、攻撃の対象になったのかを、裁判官が判決文にどれだけ盛り込んでくれるかにかかっている。
それはなぜかというと、こういった案件について、京都朝鮮学校襲撃事件裁判において人種差別撤廃条約が間接的に適用され、その後の裁判で、住居において平穏に生活する権利の侵害があるという判例が出されてきた歴史があるからです。やはり今回もその流れを維持すべきであるし、それに加えて差別の交差性が示されるべきだと考えます。
公人への裁判は、日本では敷居が高い。それでも李香代さんの弁護団は頑張り、添田議員の証人尋問まで持ってきました。これは、大きな成果です。
この裁判は、今まさに「日本人ファースト」が声高に叫ばれている日本社会において、日本の司法からメッセージを送るという意味で非常に大切な闘いだと思っています。(文・まとめ/張慧純)