カメラとペン、「きょうだい」を眼差し 在日2世の写真家 趙根在を語る会
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趙根在さん(撮影=裵昭)
趙根在さんは、愛知県知多郡大府町(現・大府市)生まれ。中学3年生から炭鉱で働きはじめる。1958年、在日朝鮮中央芸術団(現・金剛山歌劇団)に入団し照明の仕事につく。公演で国立療養所菊池恵楓園(熊本県)を訪れたことがきっかけで、ハンセン病に関心を寄せるようになった。
1961年に国立療養所多磨全生園(東京都)を訪ねて在日朝鮮人の入所者に出会って以降、約20年間、青森の松丘保養園から鹿児島の星塚敬愛園まで各地の療養所に足を運び、2万5000点におよぶ写真を撮影した。
「趙根在という人物とかれが遺した仕事の全体像に光をあてること。また、そのためにも国立ハンセン病資料館に所蔵されている資料の閲覧公開の機運を高めていきたい」―主催した図書出版クレインの文弘樹さん(63)がイベントの趣旨を説明した。同出版社では昨年、趙さんが書き残した文章、インタビュー記録、聞書をまとめた『光を見た ハンセン病の同胞たち』を刊行している。
映画監督の中山節夫さん(88)、映像プロデューサーの川井田博幸さん(71)、韓国文学翻訳家の斎藤真理子さん(65)、写真家の木村直さん(27)が登壇した。
真の経験を備えた思想家

中山節夫さん
中山節夫さんは監督を務めたハンセン病回復者のドキュメンタリー『ある青年の出発』(1965年)で趙さんをカメラマンに採用。趙さんが映像の世界に入るきっかけとなった。…

川井田博幸さん
「趙さんにはハンセン病の写真家、映画撮影者、思想家としての3つの顔があった」。そう語るのは、『写真万葉録・筑豊』(監修:上野英信・趙根在)の出版記念会で趙さんと出会い、8年間にわたって交流を深めた川井田博幸さん。…
「坑夫の文体」

斎藤真理子さん
斎藤真理子さんは、『光を見た ハンセン病の同胞たち』に収録された「ハンセン病の同胞たち」(1985~86年)を中心に趙さんの文体の背景に迫った。…

木村直さん
木村直さんは、幼いころから母に連れられ、国立療養所沖縄愛楽園を訪れていた。高校生の時に初めて『ライは長い旅だから』(詩:谺雄二・写真:趙根在、1981年)を手にし、自身が見聞きしていたハンセン病療養所のイメージが語られていると強く確信した。…

文弘樹さん
各発言後には、質疑応答の時間も設けられた。文弘樹さんは、「(朝鮮とハンセン病の問題に長く取り組んだ)詩人の村松武司は、在日朝鮮人としての自身の存在と経験がかれをライの側に立たせたとのべている。趙さんは差別の根源を調べようとしていたのではないか」と答え、会を締めくくった。…

趙さんが生前出した詩と写真集、没後刊行された作品たち
以上が記事の抜粋です。全文は本誌2025年10月号をご覧ください。