連載・高校無償化裁判を振り返る/最終回
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たたかいで得たものとは―動き出す、「裁判後」へ
運動の広がり、志を同じくする人びととのつながり、法理論面での蓄積—。裁判には負けたが、得たものも少なくない。連載最終回では運動の過程で得た財産や経験、無償化裁判後の各地の取り組みについて、この間の運動に深く携わった人びとを取材した。
〝この子のために〟―出会ったからこそ
「校長先生、もう、すっごく良かった!」―。北九州朝鮮初級学校校長の尹慶龍さん(57)に飛びつきそうな勢いで感想を伝える弁護士、九州朝鮮中高級学校の生徒たちと談笑して「今後もこういった関わりを持てたらいい」とのべた弁護士。2021年12月1日、福岡県弁護士会北九州部会に所属する弁護士ら9人が折尾にある朝鮮学校を訪問し、児童・生徒たちと懇談の場を持った。
訪問の目的は、22年10月末に開催予定の九州弁護士会連合会(九弁連)定期大会。毎年、加盟する各県の弁護士会が持ち回りでシンポジウムを開催するのだが、今回は福岡県弁護士会北九州部会の担当に。学校教育の中で子どもたちの権利が実現されているかを探るというテーマで内容を構成するにあたり、企画準備の一環として実現した場だった。
テーマ設定から朝鮮学校訪問の提案まで、主体となって声を上げたのは安元隆治さん(43)と清田美喜さん(35)。ともに九州無償化弁護団のメンバーだ。裁判を通じて朝鮮学校と出会った日本人弁護士たちは、最高裁による上告棄却という形で一つの闘いが終わった後も、こうして在日朝鮮人の存在を知らせ、民族教育権を守るための取り組みを自分たちの周囲で広げている。
司法修習生時代の同期であり友人でもあった金敏寛弁護士(41)から誘われ、二つ返事で九州無償化弁護団への参加を決めた安元さん。しかし、在日朝鮮人の歴史も知らず、当初はネットや一部メディアが垂れ流す断片的な情報の影響から、「よくわからなくて怖い」という偏見の気持ちもあったはずだと振り返る。何度も朝鮮学校を訪れ、子どもたちの姿を見たり、保護者や教員たちと言葉を交わすうちに、朝鮮学校に流れる自由であたたかい雰囲気を感じるようになった。
「裁判ではどうしても『朝鮮学校も日本の学校に遜色のない教育をしている』というような議論になってしまう。でも、僕はむしろ朝鮮学校にはいま多くの日本の学校が抱えている問題を解決するヒントがあると思う」。進路について、テストの点数や偏差値、受験という尺度でしか考えることのできない日本の学校に比べ、「朝鮮学校の生徒の皆さんは自分の人生観とか、社会での存在意義、人としての生き方を考えることを真ん中に置きながら青春時代を過ごしている。まったく違うものさしを持って学んでいる点が素晴らしい」と安元さんは話す。
一方、自身が所属する法律事務所の先代所長であり、九州無償化弁護団の団長も務めた故・服部弘昭さんの遺志を継ぎ、21年4月には「朝鮮学校を支える会・北九州」の新会長も引き受けた安元さん。「会長になってと言われた時は嬉しかった。裁判の過程でいろんな人と知り合い、その中で世界観や考え方が変わったから」。
「日本の弁護士や支える会のメンバーたちは、実際に学校に来て、子どもたちの姿を見て『この子のために頑張ろう』と取り組んでいる。『朝鮮学校の学生』とか『マイノリティの子どもたち』といった抽象的なイメージではない。だから気持ちがブレないし強いのだと思う」(尹さん)
歴史的1勝を記録し、受け継ぐ
日本各地5ヵ所での裁判で唯一の原告勝訴判決(地裁)を勝ち取った大阪。当事者(朝鮮学園)、弁護団、支援者の三位一体で推し進めてきた裁判闘争を裏方として支えた人びとは、いま何を思うのか—。
東大阪朝鮮初級学校で教務主任を務める林学さん(55)。原告である大阪朝鮮学園の専従の総務部長として、理事長の玄英昭さんとともに学園の実務を担った。
三位一体を体現した運動体「朝鮮学校無償化を求める連絡会・大阪(無償化連絡会・大阪)」でも、事務局メンバーとして運動現場を奔走した。
林さんが印象深い出来事として挙げるのが、大阪市立大学の伊地知紀子教授が行った大阪府下の朝鮮学校の児童・生徒の保護者全員を対象にしたアンケート調査だ。裁判官にも大きな影響を与えたと評価されているこのアンケート調査に、林さんは質問事項の作成や回答のデータ打ち込み作業をはじめ深く携わった。異例ともいえる80%近い回収率も林さんの献身なくてはありえなかった。
裁判所の外で待つ人びとに判決内容を簡潔に知らせる「旗出し」。判決言い渡し期日に弁護士が掲げるこの旗を毎回、作成していたのも林さんだ。2017年7月28日、満面の笑みを浮かべた金星姫弁護士と泣き顔の任真赫弁護士が、林さんが自ら書いた勝訴の旗を掲げた。地裁前に集まった大勢の人びとと勝訴の喜びを分かち合ったことが忘れられないという。
林さんは19年3月をもって学園の専従職員を離れ、学校現場へ復帰した。裁判闘争の過程で得たものは、「朝鮮学校とそこで学ぶ児童・生徒たちを支えるネットワークを構築できたこと」だと林さん。「裁判を通じて、朝鮮学校に対する差別が可視化された。差別の実態を目の当たりにした人びとの中から、私たちに寄り添ってくれる仲間が大勢生まれた。運動の過程で得た人的つながりこそが宝物だ」。
裁判終結後も無償化連絡会・大阪は活動を続けている。活動の大きな柱はオンライン連続学習会だ(これまで6回開催)。学習会を企画した意図は、「大阪での歴史的1勝の意義を受け継ぐこと」にあると事務局メンバーの大村和子さん(78)は話す。「裁判が終わっても、私たちのたたかいが終わったわけではない。活動は、私たちは一連のでたらめな判決を決して認めないという意思表示でもある」。
もう一つの柱が、たたかいの記録を残すこと。現在、無償化連絡会・大阪としての記録集の出版を企画している。発行は来年を予定している。
裁判闘争を通じて、「たたかいの輪を広げ、行政の差別を白日の下にさらし、行政に忖度した司法の判決のひどさを知らしめた」と大村さん。「大阪地裁での勝訴は単なる1勝ではない、画期的な成果だ。この1勝をなかったことにしてはいけない」。
2012年4月から続く補助金再開を求める大阪府庁前の火曜日行動は21年11月30日、450回目を迎えた。
「朝鮮学校を支えるのは日本人の責任」
「チマ・チョゴリ友の会」代表の松野哲二さん(72、東京都在住)は、いつも東京無償化裁判の現場で生徒たちを見守ってきた。21年11月28日に府中公園で行われた「友の会」主催の「第23回朝鮮文化とふれあうつどい フリーマーケット」(後援:府中市、東京都/以下、つどい)。イベントを毎年のように仕切ってきたのが松野さんだ。「晴れてよかったね」と声をかけてくる長年の友人に日本人と朝鮮人の垣根はなく、松野さんが取り組む困窮者支援へのカンパを届ける人もいて、周りには常に人が集まっていた。
1998年のチマチョゴリ切り裂き事件に端を発した「つどい」は22年目を迎え、地域に根付いている。朝鮮料理に舌鼓を打ち、チャンダンに身を揺らせ、朴保さんや李政美さんの歌声に酔いしれる市民たち。フリマも100区画が埋まった。会場の一画では、「在日一世の写真展」が開かれ、西東京朝鮮第1、2初中級学校の生徒たちが朝鮮舞踊や民族楽器の演奏を披露する。「在日の子どもたちにとって、朝鮮学校は自己肯定の場です。日本政府による公的な差別、政府のイソギンチャクのような司法に石を投げられても、朝鮮学校は闘い続けている。朝鮮人が人間らしく生きていくことができない日本社会において、朝鮮学校を支えるのは日本人の責任です」(松野さん)。
松野さんは、高校無償化裁判を終えた今、何をすべきだろうかという質問に、「裁判に負けたから何かをしなきゃいけないという発想はない」ときっぱりと語った。「韓国の民衆たちが長い闘いの末に民主化を勝ち取ったように、今は想像すらできないかもしれないが、日本社会が変わる日が来るし、変えなくてはと思う。その時に『核』になるのが朝鮮学校を支援する人たちだ」と。
松野さんはいま、二つの人権課題に取り組んでいる。困窮者支援と朝鮮学校支援だ。「官民をあげた朝鮮学校差別をなくしていくためには、朝鮮学校との接点を多様にしていくこと。日本のさまざまな人権課題の中に朝鮮学校への差別があることを知らせていくことが必要です。そうすれば地域の支援の輪が広がっていきます」。今、コロナ禍で30、40代女性の困窮者が多い。先日もある化粧品会社が困窮者に化粧品を贈った際、松野さんは朝鮮学校の困窮も深刻ですと伝えて化粧品を同様に支援してもらい、朝鮮大学校に持っていったという。
「東京朝鮮高校生の裁判を支援する会」は20年2月23日に「朝鮮学校『無償化』排除に反対する連絡会」と再編され、地域における具体的な学校支援を進めている。20年8月に東京朝鮮第6初級学校、21年10月に東京朝鮮第4初中級学校を支援する日本市民の会が生まれ、西東京第1、第2初中を支える「ウリの会」はコロナ禍の中で朝鮮学校を支えようと、1000万円を超えるカンパを集めた。
フリマの会場で上村和子・国立市議が一枚のチラシをくれた。「在日一世と家族の肖像」写真展が国立市公民館で開かれるという。市の職員たちが積極的に提案したそうだ。幼保無償化から外された朝鮮幼稚園に独自の支援を行った国立市。歴史と今をつなげる地域の取り組みは数々の出会いを生み、朝鮮学校支援へとしっかりと実を結んでいた。