ポドゥナムの里から – ページ 5 – イオWeb

タグ: ポドゥナムの里から

広告

ポドゥナムの里から

私は、いつかきっと朝鮮語を話すでしょう

「ピョンヤンの夏休み」出版記念会の翌一月六日は一日中、韓国メディアのインタビューを受けました。
 (私の公式HP「Lavalse de Miri」のトップページに掲載記事のリンクが貼られています)
 通訳の方が三十分遅刻し、困り果てた記者が、パソコンのGoogle翻訳で質問を試みました。
 「国籍は大韓民国ですか?」
 私は「YES」と答えました。
 「何故、大韓民国の国民なのに、朝鮮民主主義人民共和国のことを、祖国と書いているのですか?」
 「YES」「NO」では答えられない質問なので、それは通訳が来てから答えます、と保留しました。

ポドゥナムの里から

朝鮮語を殺しているような疚しさ

 一月五日、ソウルの曹渓寺伝統文化芸術公演会場で『ピョンヤンの夏休み』の出版記念会が開かれました。
 作家の任軒永氏と詩人の文炳蘭氏による祝辞、本の中で使用した写真のスライド上映、「イムジン河」の弾き語り、訪朝経験のある詩人のファン・ソン氏と『民族21』の安英民氏と私によるディスカッション、私の歌い出しによる「고향의 봄(故郷の春)」の会場全員での合唱、ロビーでの書籍販売とサイン会、という流れでした。

ポドゥナムの里から

現実と、望むべき未来の間に橋を掛けたい

 十一月二十六日、日本朝鮮文化交流協会四十周年記念「日本と朝鮮の文化交流の集い」に、呼びかけ人のひとりして参加しました。
 京王プラザホテル南館の五階エミネンスホールに行き、指定された八番テーブルに着席すると、隣の席には、共に祖国を訪問した朝鮮新報の朴日粉さんがいらっしゃいました。
 初代林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子さんや、『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を出版し、朝鮮学校で詩の授業を行なっている詩人の河津聖恵さんも同じテーブルでした。

ポドゥナムの里から

南の同胞に、北の同胞の姿を伝えたい

 九月から次々と新刊が発売されています。
 初の対談集『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』を皮切りに、二年半ぶりの小説の単行本『自殺の国』、文庫本で『オンエア』(上下巻)と『グッドバイ・ママ』を世に送り出したわけですが、六冊目の『ピョンヤンの夏休み』が昨日、自宅に届きました。
 二〇一一年に講談社より出版された単行本の韓国版なのですが、これは、わたしとしては、かなり大きな出来事なのです。

ポドゥナムの里から

父の生まれ故郷は慶尚南道山清

九月九日~十三日、国際ペンクラブ大会でスピーチをするために慶尚北道慶州に滞在し、十一日の夜、チマチョゴリ姿で立食パーティーに参加しました。

ポドゥナムの里から

李浩哲さんとの出逢い

 九月九日~十三日、「世界ペンクラブ大会」に出席するために、慶尚北道慶州に行ってきました。
 とにかくこれほど苛々し、激怒し、呆れ、疲れ果てた旅も珍しいくらいなのですが、それでも、行ってよかったと思えるのは、李浩哲さんという作家に出逢えたからでした。

ポドゥナムの里から

本をわたしに送った菅野さんの思い

 二〇一一年三月十一日の原発事故以降、南相馬に通っています。臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で週一のレギュラー番組「柳美里のふたりとひとり」のパーソナリティを担当しているということもあるのですが、テレビや新聞や週刊誌などのメディアが拾わない、「そこで暮らすひと」の声を直に聴こう、と毎回地元のひとの家や仮設住宅を訪ね歩いています。

ポドゥナムの里から

「警戒区域」として封鎖される前にわたしは…

 いま、わたしは、南相馬の原町にいます。
 昨年の震災直後に開局された災害緊急ラジオ放送「南相馬災害FM」(「南相馬ひばりFM」と名称が変わった)で、今年の三月から「ふたりとひとり」という週一のレギュラー番組を担当しています。

ポドゥナムの里から

「孫基禎」の存在を知ってほしい

 六月九日、明治大学で「孫基禎 生誕100周年記念シンポジウム」が行われ、わたしはパネリストの一人として孫さんの思い出を語りました。

広告