ポドゥナムの里から – ページ 6 – イオWeb

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ポドゥナムの里から

息子の入学式で和服を着ました

 4月5日は、息子の中学校の入学式でした。
 いろいろ迷いましたが、地元の公立中学校に進学することにしました。
 入学式で、わたしは和服を着ました。

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逆境にあるとき人は言葉に出逢う− 柳美里

 この春中学生になる子どもたちにメッセージを送る、という「毎日小学生新聞」の連載インタヴューを受けました。 インタヴューの前に、十代前半の自分を思い返してみました。

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朝鮮民族の涕泣儀礼− 柳美里

 十二月十七日に、金正日総書記がお亡くなりになりました。
 日本のマスコミ報道は「北朝鮮」バッシングの嵐となり、左の朝日新聞(テレビ朝日)にも、右の産経新聞(フジテレビ)にも、僅か一年で政権を投げ出した第九〇代内閣総理大臣の安倍晋三が登場しているのを見て、原発問題などでは社論が異なる朝日と産経も「北朝鮮」問題となると足並みがぴったり揃うのだなと呆れるしかありませんでした。

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書くことは生きることそのものです− 柳美里

『ピョンヤンの夏休み』が発売されました。
 同胞のみなさんや、わたしの小説作品を長年読みつづけてくれている日本人の読者がなにを感じるのか、なにを考えるのか、とても楽しみにしています。
 後半、白頭山登頂を書いているあたりで、単行本のページ数の大枠が決まりました。現状でも原稿枚数がかなりオーバーしているので、レイアウトを変更して写真の扱いを小さくしなければならないということを担当編集者から聞いて、後半のいくつかのエピソードを落とさざるを得ませんでした。

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朝鮮の旅行記、完成します− 柳美里

  八月半ばに体調を崩し、快復するのに一ヶ月かかりました。九月末から無理をしない程度に筋トレとランニングを再開しました。
 十月二日に息子の小学校最後の運動会があり、十月七日に十年間選考委員を務めた(今回で最後)「新潮ドキュメント賞」の授賞式が東京のホテルオークラであり、翌八日には箱根の「彫刻の森美術館」で友人の中島麻美さんの「ガムテープでバッグをつくろう!」というワークショップがありました。

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経験したことがない痛みに襲われました− 柳美里

 8月10日、久しぶりに東京に出ました。広尾11時、飯田橋13時と移動して、仕事を終えたのは夕方でした。
 踏んづけて柄がひしゃげてしまった眼鏡を修理に出す、穴が開いたランニングシューズの代わりを探す、という目的を持って渋谷で降りたのですが、ハチ公前改札を出た途端に、歩けなくなりました。
 スクランブル交差点を渡ったところにあるスタバを眺め、冷たいフラペチーノでも飲めば動き出せるかも、と思いはしたのですが、頭が痛くて――。
 わたしは、出たばかりの改札をくぐり、湘南新宿ラインで鎌倉に帰りました。

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ネットの中の「普通の人」たち

 柳美里公式サイト「La Valse de Miri」は、何度か「炎上」しています。
 サイト内コンテンツの一つであるブログ「今日のできごと」で、日本という国の構造的欠陥や、日本人の中に潜んでいる差別意識に言及するたびに、2ちゃんねるにスレッドが乱立してURLを貼られまくり、「この反日在日韓国人、腐ったシメジみたいな顔しやがって」とか「日本の悪口いいふらすなら、子供といっしょに母国に帰れ! だれも止めないよ」とか「お前の馬鹿さは朝鮮人の典型だな」などと、わたしの容姿や国籍をあげつらう投稿が、ブログのコメント欄や掲示板「柳美里ファンBBS」に殺到するのです。

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『夜と霧』の中の言葉が蘇りました− 柳美里

 五月半ばの十日間、ドイツとオーストリアの五都市で『ゴールドラッシュ』の朗読会を行いました。
 最終日の五月十九日、ハンブルグのダムター駅に到着したのは二時過ぎでした。ホテルにチェックインして、お化粧して、着替えて、四時にハンブルグ大学――、と頭のなかで十分刻みの時間割を組み立てながら、わたしは執筆の資料本と大学関係者に献本する自著を詰め込んだ為に二十キロ越えの超過料金をとられたトランクを押し、十キロの登山リュックを背負って、ホテルを目指して歩きました。

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ドイツで作品を朗読しました− 柳美里

 ドイツに行ってきました。
 28歳のときに書いた『ゴールドラッシュ』という作品がドイツ語に翻訳され出版されたのです。
 いままで、韓国、中国、台湾、タイ、アメリカ、フランス、イタリア、スウェーデン、ロシア、スロベニアで翻訳されましたが、すべて各出版社の版権業務部か海外エージェントを通してのオファーだったので、翻訳者とも編集者とも何のやりとりもせず(顔合わせもしないで)いつの間にか出版されているというケースが多かったのです。

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