耳障りな「させていただく」
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先日、某所で行われた集会に参加したときのこと。
冒頭、司会者が登場して開会を宣言。続いて自己紹介を行った。
「ただいまより、○○○を始めさせていただきます」
「本日、司会を務めさせていただく×××と申します」
ああ、また「『させていただく』症候群」の人か、とのっけから脱力してしまった。
これまで各所でしつこいくらい指摘されてきたことだが、「させていただく」にも正しい用法と間違った用法がある。
文化庁の見解によると、
他者の許可を得たうえで、自分が行うことについて、その恩恵を受けることに対して敬意を払っている場合に使うのが正しい用法だという。ひらたく言うと、
・相手の許可を受けているかどうか
・その行為によって恩恵を受けるのかどうか
がポイントとなる。
上記のケースについていうと、開会すること、司会を務めることについて司会者が誰かの許可を得ており、その行為によって自身が恩恵を受けていることが強調されるのだが…
はっきりいって、そんなことは集会の参加者からするとどうでもいい。
シンプルに、
「ただいまより、○○○を始めます」
「本日、司会を務める〇〇と申します」。
で十分だろう。
何でも「させていただく」をつければ敬語っぽく聞こえるのかもしれないが、適切ではない場面で「させていただく」を多用されると、冗長かつ耳障りで、「うるさい」のだ。
くだんの司会者本人の日本語運用能力の問題といえばそれまでだが、やたらと「させていただく」を使う政治家や芸能人、あるいは彼、彼女らの発言を音声で伝えるテレビメディアの影響も大きいのかもしれない。
まあ、偉そうに言っているが、ひるがえって、私はどうだろうか。
活字メディアの編集に携わる人間として、正しい文章、他者の手本になるような文章を書いているだろうか。安易な紋切り型の表現を多用してはいないだろうか―。(相)
Unknown
私にも似たような強い違和感を持つ「うんざりニセ敬語」があります。
「(こちら/あちら)〜になります」…コレですよ。
テレビは特にこの語法が多くて、心底不愉快になってきます。
なんで「なる」の? 「〜でございます」か「〜です」でいーじゃんか!と(笑
ひと頃「バイト敬語」というのが話題になり、これもそのような用例のひとつだったと記憶していますが、
もはや完全に市民権を得てしまったようですらあります。
いったいこういう誤用というか、屋上屋を架すがごときバカ丁寧な謎敬語はどこから生まれてくるのか、
その仕組みを知りたいものです。