神奈川中高美術部展示会・現実闘悲 現実闘非 現実闘碑
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先日、横浜港大桟橋国際客船ターミナルで行われた、「第9回神奈川朝鮮中高級学校美術部展示会・現実闘悲 現実闘非 現実闘碑」(2月14日~19日)に行ってきた。
入口には、白い傘が積み上げられ、その周りには、数々のメッセージが無造作に貼りつけられている。
●「ピースサインの本来の意味を知っているのだろうか」
●「自分の痛みだけを理解してほしいと願うのは、都合がよくありませんか?」
●「私たちは『知る』ということから逃げている」
●「物事のよしあしはどこにあるのか?」―。
この日の展示は、昨秋に同校美術部で立ち上がった「NO WARプロジェクト」の一環だ。
プロジェクトをしかけたのは、同校美術部教員のカン・テソンさん。
「日本社会を戦争の空気が覆っている。
今という時代を、かれらなりの視点で見て、自分なりの表現をしてほしいと思いました。なぜなら人間は見たくないものには目を閉ざす。どこまで見ようと、知ろうと思うのか。話し合った末の結論は、『今までの自分は戦争について、現実逃避をしていた』ということでした。(戦争に対して)なぜたたかう? なにを背負う? なにを刻む?―。展示タイトルに込められた思いです」
印象に残った作品について。
背中合わせの高校生らしき2人が描き込まれたキャンバスは、中央から右が赤、左が青で塗りつぶされていた。「無償化」問題を考えつづける中で生まれたカン・エヒャンさんの作品だ。
中級部の頃、日本市民の前で朝鮮舞踊を踊るとき、自分が置かれた社会的な状況をもっとストレートに表現したいという思いがあったという。「無償化」や補助金問題で、なぜ朝鮮学校が差別されるのか。朝鮮と日本はなぜ仲良くなれないのか。担任の先生と話しながら、その原因について、自分なりに見つかった答えを絵で表現したという。
チェ・ジェホさんは、通りがかる人たちに、部員の顔写真をコピーした紙を、「シュレッターにかけてみませんか?」と呼びかけていた。
チェさんは、「社会が情報化するなかで、人と簡単につながることができるが、簡単に関係も切れる。人間関係が軽く薄くなっていくことに気づかない人が増えている。それに気づいてほしい、進化しているようで人類は退化していることを伝えたかった」と話す。
ちなみに私はシュレッターにかけることは遠慮させてもらった。チェさんに聞いたところ、かける人が多いとのこと。
展示を見ながら、「最近、街にあふれる迷彩柄の服についてもどう思いますか?」とカン先生に聞いてみた。
「仕掛ける側は、戦争を意識しているが、受け取るデザイン側は、迷彩柄を『新しいもの』と受け取って、デザインしているのではないか。戦争や敵軍のイメージは抱いていないと思いますね」
デザインは、何かを見せつつ、何かを麻痺させるものかも知れない。
余談だが、同胞一世に会うときは、「アメリカを連想させるジーンズを着ないこと」と教えられた私は、迷彩服には袖を通したことがない。
街で見ることには慣れたが、ウリハッキョで着用している人を見るとドキッとしてしまう。(瑛)
無題
>同胞一世に会うときは、「アメリカを連想させるジーンズを着ないこと」と教えられた私
その教えの核心にあるのは、「アメリカ帝国主義」の文化政策に対するイデオロギッシュなプロテストなのでしょうか? それとも、もっと民族的感情に根ざした「怒り」の琴線に触れてしまう、という意味合いでしょうか?
私は朝高出身の若い男性が「ジーパンをはくヤツは○カマ」とバカにしていたメンタリティを知る最後の世代だと思っていますが、それは前者のような意味合いからくるものだとばかり考えていました。
余談の方に食いついてしまい恐縮ですが(笑)、(瑛)さんが当時その教えをどのように理解していらっしゃったのか・あるいは今どう理解しているのか、教えていただければ幸いです。
ブラウ様
ブラウ様
お返事がすっかり遅れて申し訳ございません。
アメリカを連想させるジーンズを着ないこと、についてですが、ご指摘のとおり、民族的感情にねざした「怒り」を想起させてしまう、ことに他なりません。
私は3世で、祖父母は1世ですが、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されたもつかの間、同族同士が銃を向ける朝鮮戦争が勃発しました。祖父たちにとってアメリカとは、故郷に土足で踏み込み、戦争を引き起こした張本人だったのです。
許せない存在だったのではないかと察します。
すべての一世がこの思いを抱くとは思いませんが、今のイラクや中東におけるアメリカの行動を見ていると、一世に共通する感情を抱く市民も多いのではないか、と思うことがあります。
一世の多くがこの世を去った今、想像するしかありません。
無題
(瑛)さん
お忙しい中レスをいただき、どうもありがとうございます。
>ご指摘のとおり、民族的感情にねざした「怒り」を想起させてしまう、ことに他なりません
>一世の多くがこの世を去った今、想像するしかありません
おそらくそうであろうが、当事者たる一世自身の「ジーンズという表象」に対する感情については、正直よくわからない――という理解でよろしいですか?
では、総連系朝鮮人コミュニティにおいて「ジーンズ」という衣類は、どう認識・受容され現在に至ったのか?
――これ、今だからこそ誰も気にしていないんですが、掘り起こそうとしてみるとなかなか一筋縄ではいかない、民族誌的・思想史的興味を引かれる事案だと個人的には思います(たとえば、日本映画大・韓東賢准教授によるチマチョゴリ制服研究の、いわば「ネガ」として位置づけられるような)。
『イオ』本誌でこの件を扱うのも面白そうな気もしますし、朝大や日本の大学に籍を置く朝鮮人学生・アカデミシャンらが、研究や論文の対象とするだけの価値があるようにも思えます。
…とまあ、あれこれと述べましたが個人的な趣味?から気になった話ですので、スルーしていただいて別にかまいません(興味を持たない方は持たないままでしょうし)。
ただ(瑛)さんのお心のどこかには、そういう問いかけに心を動かされる在日がいることを留めておいていただければ、とは思います。