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神奈川中高美術部展示会・現実闘悲 現実闘非 現実闘碑

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3件のフィードバック

  1. ブラウ より:

    無題
    >同胞一世に会うときは、「アメリカを連想させるジーンズを着ないこと」と教えられた私

    その教えの核心にあるのは、「アメリカ帝国主義」の文化政策に対するイデオロギッシュなプロテストなのでしょうか? それとも、もっと民族的感情に根ざした「怒り」の琴線に触れてしまう、という意味合いでしょうか?

    私は朝高出身の若い男性が「ジーパンをはくヤツは○カマ」とバカにしていたメンタリティを知る最後の世代だと思っていますが、それは前者のような意味合いからくるものだとばかり考えていました。

    余談の方に食いついてしまい恐縮ですが(笑)、(瑛)さんが当時その教えをどのように理解していらっしゃったのか・あるいは今どう理解しているのか、教えていただければ幸いです。

  2. より:

    ブラウ様
    ブラウ様

    お返事がすっかり遅れて申し訳ございません。

    アメリカを連想させるジーンズを着ないこと、についてですが、ご指摘のとおり、民族的感情にねざした「怒り」を想起させてしまう、ことに他なりません。

    私は3世で、祖父母は1世ですが、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されたもつかの間、同族同士が銃を向ける朝鮮戦争が勃発しました。祖父たちにとってアメリカとは、故郷に土足で踏み込み、戦争を引き起こした張本人だったのです。

    許せない存在だったのではないかと察します。

    すべての一世がこの思いを抱くとは思いませんが、今のイラクや中東におけるアメリカの行動を見ていると、一世に共通する感情を抱く市民も多いのではないか、と思うことがあります。

    一世の多くがこの世を去った今、想像するしかありません。

  3. ブラウ より:

    無題
    (瑛)さん

    お忙しい中レスをいただき、どうもありがとうございます。

    >ご指摘のとおり、民族的感情にねざした「怒り」を想起させてしまう、ことに他なりません
    >一世の多くがこの世を去った今、想像するしかありません

    おそらくそうであろうが、当事者たる一世自身の「ジーンズという表象」に対する感情については、正直よくわからない――という理解でよろしいですか?

    では、総連系朝鮮人コミュニティにおいて「ジーンズ」という衣類は、どう認識・受容され現在に至ったのか?
    ――これ、今だからこそ誰も気にしていないんですが、掘り起こそうとしてみるとなかなか一筋縄ではいかない、民族誌的・思想史的興味を引かれる事案だと個人的には思います(たとえば、日本映画大・韓東賢准教授によるチマチョゴリ制服研究の、いわば「ネガ」として位置づけられるような)。

    『イオ』本誌でこの件を扱うのも面白そうな気もしますし、朝大や日本の大学に籍を置く朝鮮人学生・アカデミシャンらが、研究や論文の対象とするだけの価値があるようにも思えます。

    …とまあ、あれこれと述べましたが個人的な趣味?から気になった話ですので、スルーしていただいて別にかまいません(興味を持たない方は持たないままでしょうし)。

    ただ(瑛)さんのお心のどこかには、そういう問いかけに心を動かされる在日がいることを留めておいていただければ、とは思います。

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