オンマという呼び名と京都地裁判決
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火曜日の(愛)さんのブログを読んで、自分も同じことを感じた時期があったと思い出しました。
日本の人を前に、「オンマ」という呼び名を使う-。このことにためらいがあるのは、相手がどう思うのかが気になるからだと思います。
2歳になり、とたんに人間の言葉をしゃべりだした末っ子は、迎えに行くと「ママー」と使い分けます。それは年長の長女も一緒です。今は保育園に外国人の子どもも多いので「オンマ」という呼び名は自然に受け入れられていると大人の私は思うのですが、やはり子どもは敏感なのでしょう。娘に「なぜママと呼ぶの」と聞くと、「みんな知らないんだもん」との返事でした。
時折、「家ではお国の言葉を使うの?」と文化の違いを聞かれますが、違いの背景がきちんと伝わっていないと、安心してルーツにつながる言葉を使えない。娘の返事はそんなことを気づかせてくれました。そういえば、過去取材した日本の小学校では、クラスにいる外国人の子どもの文化を共有するため、その親御さんが料理を作ったり、話をしていたこともあったなぁと思いだしました。
さて、7日に京都地裁で出された判決をめぐって、今後の司法の動きがますます気になっています。
ご存じのとおり、同地裁は「在特会」による京都朝鮮第1初級学校に対するヘイトスピーチを「人種差別」と明確に位置付け、1200万円の賠償を命じました。被害を受けた京都朝鮮第1初級学校は、現在の場所から移転していますが、学校側の請求通り、判決は学校の半径200メートル以内での街宣活動を禁じました。京都地裁は、「児童や教職員を畏怖させ、学校の名誉を毀損した」「在日朝鮮人への差別意識を訴える意図があり、人種差別撤廃条約の人種差別にあたる。公益目的とは評価できない」との認識を示しています。
「在特会」は、2009年12月から3回にかけて京都朝鮮第1初級に押しかけ、「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」と拡声器で脅しました。いまだに一人で学校に行けない子どもや大きな声に脅える子、腹痛を起こす子などがいる、という話は、彼らの差別行為が子どもたちに取り返しのつかない「傷」を残したことを伝えています。彼らが犯した罪は本当に重いのです。
地裁判決は至極当然のものだったと思う反面、この胸のざわめきは何なのでしょうか。被告側が控訴して、判決が高裁でひっくり返る可能性はないのか、地裁判決で判断が示されなかった民族教育の権利が無償化裁判でどうなっていくのか―。日本の戦争責任をめぐる裁判がことごとく敗訴した事実や、徹底して民族学校が差別されている現状を見ると、今回の判決に続く判断が裁判所で出続けない限り、この国に人種差別が跋扈し、社会自体が疲弊していくと思わざるを得ません。判決を日本社会全体にどう広めていくのかが、待ったなしの課題だと感じます。
いつも帰りの電車の中でフランス学校の子どもをみかけますが、彼らが大声で母国語を話す様子にいつも見入ってしまいます。すべての人が堂々と自然に生きられる社会をめざし、この地裁判決が日本に根付くよう、見守っていきたいと思います。(瑛)
Unknown
>地裁判決で判断が示されなかった民族教育の権利が無償化裁判でどうなっていくのか―。
重要な提起だっただけに、言及がなかったことは残念です。
「無償化除外」や「補助金停止」の裁判が複数審理中であり、司法判断の影響が出ることを考慮し(本件主文に直接の影響がないため)言及を避けたのではないかという気がしています。