vol.6 自民党・西田議員の沖縄戦歴史歪曲
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西田昌司氏や神谷宗幣氏の発言を伝える『沖縄タイムス』の紙面(筆者提供)
Q1 何があったの?
発端は5月3日の憲法記念日でした。那覇市で開かれた改憲派の集会で自民党の西田昌司参院議員が講演し、ひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)の展示を「ひどい」「歴史の書き換え」と批判しました。女子学生が日本軍に看護要員のひめゆり学徒隊として動員され、沖縄戦に巻き込まれた悲劇を伝える資料館です。西田氏は20年ほど前に訪問した時のあいまいな記憶を基に「米国が沖縄を解放した」という記述があったと主張しましたが、資料館は過去の記録を調べた上で否定しています。この発言から1週間後の10日、今度は参政党代表の神谷宗幣参院議員が西田氏の発言を「本質的に間違っていない」とかばいました。青森市で街頭演説した時のことです。「日本軍が沖縄の人たちを殺したわけじゃない」とも主張しました。2人の発言に沖縄では反発が広がり、きっかけを作った西田氏には沖縄県議会などが抗議決議をしています。西田氏が所属する自民党の議員も賛成しました。
Q2 発言の何が問題?
西田氏は「沖縄の場合は地上戦の解釈を含めてむちゃくちゃな教育をしている」と言っています。1972年まで占領を続けた米軍が米国寄りの歴史観を刷り込んだ、というわけです。実際は日本と同じ教科書を使っていたので間違いです。それに戦後、沖縄を切り捨て、米軍の核兵器まで背負わせておいて、日本は経済成長を味わいました。仮に米国寄りの教育だったとしても、日本の政治家ならば沖縄を責めるより、責任を感じるのが筋ではないでしょうか。西田氏は「取捨選択して、自分たちが納得できる歴史を作らないと」と、史実をねじ曲げて恥じない発言もしています。神谷氏の「日本軍は殺していない」発言にしても史実と正反対で、実際には組織的な殺害がありました。米軍の方も戦中戦後、野蛮な行いをしましたが、だからと言って日本軍が正しいということにはなりません。虚構の上に「日本人としての誇り」(神谷氏)を積み上げても、もろく崩れ去るでしょう。
Q3 沖縄戦はどんな戦争?
太平洋戦争で日本の敗北が確実になっていた1945年の3月、米軍が沖縄の島々に上陸して始まりました。その前の2月、重臣から終戦を打診された昭和天皇は、「もう一度戦果を挙げてから」と断りました。実際は戦果を見込める戦力もなく、本土決戦を引き延ばすための単なる時間稼ぎで、「捨て石」作戦とも呼ばれます。日本軍はいつまでも降伏せず、住民の避難先までずるずると退却し、戦闘に巻き込みました。その結果、当時の沖縄県民の4人に1人に当たる12万2000人が犠牲になったと推計されています。本土出身の日本兵の死者6万5000人の2倍近くです。日本軍は元々沖縄県民を差別し、スパイと疑っていました。沖縄語を話しただけで虐殺したり、投降して秘密を漏らさないように「集団自決(強制集団死)」を強要したりしました。朝鮮人の「慰安婦」も戦場に放り出され、軍夫の中には虐殺された人もいました。沖縄戦の史実は私たちに「軍は住民を守らない」という教訓を伝えています。