サバイバーの声に応答、広がる連帯の輪 /4.23アクション10周年
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JR新宿駅東口駅前広場で行われたスタンディングデモのようす(4月23日)
在日朝鮮人が当事者となり

フォーラムには主催側の予想を上回る約100人が現地に駆けつけた
1977年の4月23日は、解放後、日本軍性奴隷制の被害を初めて告発した裴奉奇さん(1991年逝去)の証言が朝鮮新報に掲載された日。その日をメモリアルデーとして性差別撤廃部会では2015年からデモやシンポジウム、映画祭などのイベントを毎年続けてきた。今年は、フォーラムとスタンディングデモ、SNSを利用したハッシュタグアクションの3本立てだ。
4月19日、フォーラム「4・23アクションの10年とこれから」が東京ボランティア・市民活動センターで催され、130人が参加した(30人はオンライン参加)。
はじめに、裴さんに寄り添い続けた元総聯沖縄県本部の金賢玉さん(昨年7月逝去)を偲び、2020年に性差別撤廃部会が沖縄に赴いて撮影した金さんの映像が上映された。
続いて、「4・23アクションの始まりと10年の軌跡」と題して朴金優綺さん(人権協会事務局員)が報告した。
朴金さんは、アクションを始めた当初、日本や韓国、在日朝鮮人社会ですら、1991年に被害を告発した金学順さんを知っていても、裴さんについて知る人は決して多くなかったと語る。裴さんの人生には、日本、朝鮮半島、米国を取り巻く幾重もの歴史と暴力が凝縮されており、その歴史と暴力がいまだに裴さんを忘却させる構造的な原因だと考えるに至った。朴金さんは、在日朝鮮人の責務として裴さんを記憶し、かのじょの願いを継いでいこうと有志たちと相談。日本軍性奴隷制の歴史否定に抗い、日本軍性奴隷制問題と朝鮮半島の分断を克服するという目的の下、2015年に初めてアクションを行った。
朴金さんは、ここ10年の間、日本社会で日本軍性奴隷制の歴史否定の動きがさらに激化したと指摘。このような状況下でも、多彩な形で続けてきたアクションを振り返った。

朴金優綺さん(人権協会事務局員)
最後に、「日本軍性奴隷制の否定を静観することは、日本の朝鮮植民地支配が原因で生まれた歴史的な存在である在日朝鮮人の否定を静観することと同義である」と強調。在日朝鮮人が当事者として否定に抗い声を上げる必要性を訴えた。
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以上が記事の抜粋です。全文は本誌2025年6月号をご覧ください。
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