【特別企画】忘却に抗う―「群馬の森」追悼碑撤去を記憶する
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Q&A 建立から撤去まで―問題を知る
追悼碑はなぜ建てられたのか、裁判ではどのような判決が下されたのか、群馬における強制連行の実態とは…。5つの質問から「群馬の森」朝鮮人追悼碑撤去問題を知る。
Q1:追悼碑はいつ、誰が、なぜ建てたの?
Q2:なぜ撤去されることになったの?
Q3:裁判の結果はどうなった?
Q4:群馬県における強制連行の実態は?
Q5:朝鮮人犠牲者を追悼する碑は日本各地にどれだけある?
インタビュー 強制連行犠牲者 追悼碑撤去、私はこう見る
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑が建立された意義とは何か、碑の撤去について関係者はどのように受け止めているのか。これまで運動に携わってきた「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」共同代表の川口正昭さんと、追悼碑建立当時に総聯群馬県本部委員長を務めていた田成培さんに話をうかがった。
①碑の撤去も「記憶」し「反省」を
川口正昭さん(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」共同代表)
1991年に始まった群馬県における朝鮮人強制連行真相調査団の活動、95年に結成された「戦後50年を問う群馬の市民行動委員会」(アクション50)からの市民団体の努力と、県内外からの寄付と賛同によって「記憶 反省 そして友好」の追悼碑は建てられた。碑を撤去したことは、群馬県による暴挙であり、歴史を隠蔽する行為である。また、碑の建立まで尽力された先達たち、県内外から気持ちを寄せてくださった皆さんのことを思うと、大変申し訳なく、慚愧に堪えない。
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②ともに歩んできた運動
田成培さん(元総聯群馬県本部委員長)
このたび撤去されてしまった「群馬の森」朝鮮人犠牲者追悼碑の趣旨は、碑の名前にもなっている「記憶 反省 そして友好」にこめられた思いそのものだ。
私が追悼碑建立の活動に参加したのは、1997年6月に総聯群馬県本部委員長として赴任してから。追悼碑建立にあたって、「運動の主体は誰か?」という問題が重要なテーマとして提起された。侵略に責任を持つべき日本人が運動の主体とならなくてはいけない、しかし在日朝鮮人の協力は否定しない―これが運動の大きな特徴だった。そして、それでこそ意義のある運動になると思った。
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歴史は為政者と差別者の専有物ではない
歴史否定の現場をめぐって
安田浩一 ●ジャーナリスト
そこにあったはずのものがない、という現実に直面して、私はたじろいだ。風景の中にぽっかり穴が開けられたような〝不自然〟を感じた。
朝鮮人労働者の追悼碑撤去から10日以上が過ぎた2月半ば。私は「群馬の森」(高崎市)をあらためて訪ねた。追悼碑が置かれていた場所は、ずっと前からそこには何もなかったかのような更地となっていた。もともとが公園の隅、目立たない場所である。なのに、「何もない」ということが、こんなにも荒涼とした風景をつくり出すものなのか。やけに風通しの良くなった空間は、妙に寒々しかった。よく見れば、無理に整地したような剥き出しの地面も、どこか痛々しい。
壊されたのだ。追悼碑と、人々の思いが。口惜しさと悲しみが同時に襲ってくる。
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以上が記事の抜粋です。記事の全文は本誌4月号にてご覧ください。
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