vol.38 あり得べき世界への一歩を刻む
差別が何を奪ったかを自分の口で伝えたかった――。 在日朝鮮人集住地域、川崎市・桜本の多文化交流施設「ふれあい館」などに、在日の虐殺や同館爆破を予告する文書が送られたヘイトクライム。被告は控訴を断念、2020年12月18日、懲役一年の実刑が確...
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あの2002年9月、私は中東のレバノンにいた。1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)の戦闘員が撤退し、女性や子ども、老人ら非戦闘員が残されたベイルートのサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに、キリスト教右派民兵組織「ファランジ...
私が最初に証言を聞いた元日本軍「慰安婦」は鄭書云さん(1924年―2004年)だった。新聞記者一年目の1995年、香川県でのことだ。 思えば「記憶」と「忘却」がせめぎ合う転換期だった。戦後補償裁判が次々と提起され、金学順さんをはじめとする当...
この8年ほど、非常勤先の大学での授業に、「劇団態変」の役者さんを招いて、パフォーマンスを披露してもらっている。 大阪が拠点の身体芸術集団で、役者全員が身体障害を持つ。 レオタードに身を包んだ役者が、舞台でその人にしかできない動きをする。「障...
差別は受ける者から社会への「信頼感覚」を奪う。1月号で書いたレイシャルハラスメント裁判は、奪われたその信頼の回復を求める当事者の闘いの一つだ。社内文書として嫌韓嫌中本や歴史改竄本、ヘイト文書を執拗に配布され、右派教科書採択運動にまで動員され...
在日一世やそれに近い世代の二世ヘの聴き取りを重ねて来た。植民地期に渡日して以来、彼彼女たちは多数者が書く「歴史」という物語の外に排除され、留め置かれてきた。多くは文字から疎外された彼彼女らにあるのは記憶だけ。それを歴史として残したかった。 ...
「侠」のある人だった。「任侠」の侠である。それを本人に告げると、塩辛い声でこう言って笑った。「私、『ヤクザ活動家』と呼ばれてましたから」。 非合法活動による獄中経験、民族団体での活動、被爆者団体の設立など、闘いの日々で培った胆力と突破力、後...
「問いかけに応答する誠意と責任感」、「恥を恥として感じる感性」、「他者の痛みへの想像力」——。これらは人と人の関係、ひいては社会を成り立たせる大前提だが、人は得てして属性や所属、法的地位の違いなどで線を引き、これらを忘れ去ってしまう。さいた...
ちょうど40年前、5・18光州民衆抗争の「主戦場」となった旧全羅南道庁舎にほど近い住宅街、半地下6畳間のベッドにもたれて彼女は呟いた。「勝ったけど、謝罪も賠償もない……」。裁判に関する質問は、軒並みこの思いに収斂されていく。梁錦徳。大法院で...
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