2025年、私的映画ベスト10
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数年前まで毎年年末このブログに書いていた年間の私的映画ベスト10企画。ここ数年は10作を厳選するほど映画を観ていないということもあって休んでいたが、昨年は比較的多くの作品を鑑賞する機会に恵まれたので、企画を再開させることにした。本来であれば、めぼしい作品はすべて鑑賞したうえでベスト10を選ぶべきだが、そうなっていない。あの作品もこの作品もまだ観ていない。未見の話題作が多い中で選んだベスト10だが、お付き合いいただければ幸いだ。
●『ワン・バトル・アフター・アナザー』
かつての革命闘士で、今は落ちぶれた中年男性ボブ(レオナルド・ディカプリオ)が、組織を壊滅に追い込んだ宿敵と対峙し、誘拐された娘ウィラを救い出そうと奮闘する。セリフの掛け合い、テンポ、俳優陣の演技、ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)の劇中伴奏音楽どれもが最高。終盤のカーチェイスの場面は一見の価値ありだ。
スマートフォンの充電と、組織の合言葉を思い出そうと四苦八苦するボブの姿に大爆笑。元革命家の父はもはや娘を守る力すら持たない無力な存在だ。終始情けないボブだが、娘を助けたいという気持ちだけは本物で、そのためならどんな苦労も厭わない。結局、最後は「愛」なのだ。愛こそ最強。その一方で、血縁と権力に執着する「もうひとりの父」ロックジョー(ショーン・ペン)の行く末は哀れだ。
本作が扱う移民の弾圧、人種差別などの問題は、実際にいま米国でICE(移民税関捜査局)が行っている取り締まりの暴力性を連想させる。
闘争また闘争。かくして、革命と変革への意志は父母から娘へと受け継がれる。そんなラストも爽快だ。
●『ふつうの子ども』
ちょっと大人びた同級生の女の子に恋をする小学生の男の子が、仲間たちと大冒険で問題を起こす―。物語はSDGsという現代的なテーマを絡めながら展開され、一見するとシンプルな子ども映画のようでもある。しかし、そう単純ではない。子どもたちが始めたささやかな「環境活動」がやがて大事件を引き起こす。ほのぼのとしたコメディタッチの強い展開は、子どもたちの行動がエスカレートしていくところからどんどんサスペンス色が強くなっていく。
「未完成な子ども」と「未完成な親」。子どもの社会は大人の社会と地続きであり、子どもの問題の背後には親の問題が存在する。変化を拒む大人たち、完璧であろうするがかえって不完全さを露呈する親たち、そして後先を考えず突っ走る子どもたち。子どもは、エネルギッシュで、無邪気で、無軌道で思慮が浅く、そして残酷だ。それも含めての「ふつうの子ども」なのだ。理より感情を優先する。それは確かに幼稚だが、「子どもってそうだよな」と自分の子ども時代を振り返ってそう思う。どこにでもいる「ふつう」の子どもたちが織りなす、決して普通ではない日常。その日常を通して見えてくるのは世界の複雑さだ。
●『ノー・アザー・ランド』
ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区で生まれ育ったパレスチナ人青年バーセル・アドラーはイスラエル軍による占領と破壊が続く故郷のようすをビデオカメラに収め、世界へ向けて発信してきた。バーセルのことをインターネットで知ったユダヤ人青年のユヴァル・アブラハームは、かれに協力するためにイスラエルからやってくる。そんな若き2人のジャーナリストが2019年から23年までの4年間にわたり現地の状況を記録した、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門受賞作。
本作はパレスチナが置かれた境遇を観る者に容赦なく突きつける。スクリーンには、パレスチナ人が昔から暮らす村を「軍の訓練場」だと称し、村人を追い出しにかかるイスラエル軍とイスラエル人入植者たちの暴力が延々と映し出される。彼我の圧倒的な力の差の中で、バーセルたちはビデオカメラを「武器」に抵抗を続ける。銃を構えた兵士が迫り、入植者たちが石を投げつけてくる中を必死に逃げながらも、カメラは止めない。ブレた映像がかえって現場の緊迫感を伝える。
●『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
音楽界のレジェンドであるボブ・ディランの評伝映画。この作品が放つ魅力の源泉は、ディランを演じるティモシー・シャラメだといっても過言ではない。彼自身が劇中の歌をすべて歌い、ギターも演奏してるというから驚きだ。ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ジョニー・キャッシュ、ウディ・ガスリーといった、名前は知っていても詳しくは知らないミュージシャンたちとの関係の描写も興味深い。
作品終盤、フォーク主義者のファンの期待を裏切り、フォークの象徴たるアコースティックギターではなく、エレキギターを手に「ライク・ア・ローリング・ストーン」を披露するディラン。ここが作品のハイライト。シャラメのパフォーマンスが鳥肌モノだ。
●『宝島』
上映時間3時間11分は長いか、長くないか。一般的には長いが、本作に関してはまったく長さを感じさせない。
米軍基地から物資などを盗む義賊「戦果アギヤー」の中心人物・オン(永山瑛太)が忽然と姿を消した。彼の行方を追うグスク(妻夫木聡)とヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)たち。そんな主要キャラの人生が分岐し、やがて沖縄最大の民衆蜂起「コザ騒動」で再びつながる。スクリーン越しに伝わる熱量に圧倒され、観る者は自然と沖縄現代史の只中に放り込まれる。
登場人物たちの生きざまを媒介にして沖縄の「声なき声」を現代に響かせる本作は、今も基地問題に揺れる沖縄の現状と日本の歴史的な責任を観る者に突きつける。
●『爆弾』
『名もなき者』がティモシー・シャラメなら、本作は佐藤二朗の演技に尽きる。「怪演」とは使い古された陳腐な表現だが、それでも使わせてもらう。
呉勝浩の小説を実写化。霊感を持つと称して都内に仕掛けられた爆弾の爆発を予告する男と、爆弾のありかを聞き出そうとする刑事たちの攻防を描く。原作を先に読んだ人間からすると、この作品を一本の映画にまとめるなんて「無理ゲー」だ。2時間17分でも圧倒的に足りない。取調室でのやり取りがメインで進むストーリーが映画向きではないという思いもあって、個人的には小説版に軍配を上げるが、映画も面白い。
自己顕示欲や自意識のバケモノたるスズキタゴサクがひたすらにおそろしい。救いようのない不条理さと悲しみに満ちたこの物語を果たして「面白い」と表現するのが適切なのかどうかわからないが、現代社会を反映した物語であることは確かだ。
●『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』
言わずと知れた大人気漫画の大ヒット映画化の第2弾。原作、TVアニメ、映画とコンプリートし、考察本を買うほどには好きな作品だ。IMAXスクリーンで鑑賞した時の圧倒的な没入感といったら!
「永遠というのは人の想いだ 人の想いこそが永遠であり不滅なんだよ」「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」。セリフが持つ力も本作の魅力の一つだろう。
不死の存在である鬼と、老い、病み、傷つき、死ぬ有限の存在としての人間。しかしその有限性の中でこそ人間の生は力を持つことを本作は繰り返し描く。一方の鬼は関係性を失った存在として描かれる。唯一といっていいつながりは鬼の始祖である鬼舞辻無惨との関係だが、それも支配と恐怖による主従関係だ。本作で主人公らが所属する鬼殺隊は、単に鬼を倒すために結成された戦闘軍団ではなく、「思いを受け継ぐ共同体」として描かれる。仲間の死に涙し、誰かのために命をかけて戦う。それは鬼たちとは正反対の在り方だ。
人間として生きるとはどういうことか。『鬼滅の刃』はその答えを、鬼の生き方の裏返しとして「継承」や「つながり」をキーワードにして見せる。筆者の周囲でも作品のファンは多い。本作のセリフやストーリーの端々からは仏教的な死生観が見て取れるが、それも人気を博している理由の一つなのではないかと思っている。
●『石炭の値打ち』
イギリスの巨匠ケン・ローチが1977年にBBCのドラマ枠で制作した2部構成の作品で、今回日本で初公開された。第1部「炭鉱の人々」では、イギリス皇太子の視察訪問を控えた炭鉱町の人々が世間体のためだけに動員されるようすを描く。第2部「現実との直面」は炭鉱労働における労働者への人権軽視と管理体制のずさんさが引き起こす事故の悲劇が描かれる。人々を追い詰める社会システムに対する批判精神あふれる、これぞケン・ローチという作品だった。
原題は“The Price of Coal”のpriceとは値段のほかに代償という意味もある。石炭の代償を支払っているのはいったい誰なのか。一貫して労働者階級に寄り添いながらかれらの現実を描き、自由のために戦う人々を描く。ときにユーモラスに、ときにシリアスに。ケン・ローチはぶれない。そのことがうれしい。
●『ズートピア2』
前作の大ヒットから10年。2作目も期待にたがわぬ出来だった。さまざまな動物が違いを認め合い共生する、多様性というシリーズのメインテーマはもちろん、今作ではパートナーシップのあり方もテーマとなっている。
動物たちが人間のように暮らす夢の都市「ズートピア」。ある日、ここにはいないはずのヘビが現れたことで、ズートピアの誕生の裏に隠された秘密が明らかになる―。ズートピアはさまざまな動物たちが仲良く暮らす楽園という設定だが、前回登場したのは哺乳類のみだった。なぜ哺乳類しかいないのか? 多様性の尊重というズートピアの理念が実質的には哺乳類にしか適用されていないのではないか―。そんな疑問はやがて、ズートピアの成り立ちに隠された巨大な欺瞞へと到達する。この構図、どこかで見たことはないだろうか。先住民を迫害し、辺境へと追いやるなどマイノリティを周縁部へと排外してきたアメリカの歴史そのものだ。
●『ヒプノシス レコードジャケットの美学』
1970〜80年代を中心にピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなど名だたるアーティストのレコードジャケットを手がけたデザイン集団・ヒプノシスのドキュメンタリー映画。
ストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルが共同で創立したイギリスのデザインアート集団、と聞いても「誰それ?」となる人が多いかもしれない。しかし彼らの代表作である、プリズムを通過した光が三原色に分かれる、ピンク・フロイドの『The Dark Side Of The Moon』のジャケットは見たことがあるのではないだろうか。
映画では、ヒプノシスの創始者2人のほかアーティストや関係者へのインタビューを通じてジャケット制作秘話が語られる。スタジオでスタントマンに火をつけて撮影した、など破天荒エピソードには事欠かない。「レコードは貧乏人のアートコレクション」。オアシスのノエル・ギャラガーが口にした言葉が印象的だった。それまで宣伝用のパッケージに過ぎなかったレコードジャケットを芸術の域に高めたヒプノシス。ストリーミング全盛の時代に、レコードジャケットの価値とは何なのか。彼らがジャケットを制作したアーティストのレコード(筆者の場合はCDだが)に数多く接してきた人間として、ノスタルジックな感情が胸に迫ってくる。
(相)








