ゆるSNS断ちの日々
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先月中旬から、必要以上にSNSをひらかない生活――ゆるSNS断ちをしている。
SNSの危険性や弊害については、さまざまな角度から研究、言及されている。その中のひとつが認知機能(記憶、思考、判断、学習など人が情報を処理する能力、脳の機能)の低下だ。ワーキングメモリーという言葉がよく使われている。
なんだか頭が疲れてしまってやらなければいけないことに着手できなかったり、集中力が切れて読書が続かなかったり、考えが散漫して何から手をつけたらいいか分からなくなったり。なんとなく低調で、その原因がスマホの触りすぎにあることはうすうす気がついていた。
ゆるSNS断ちをする以前の生活をざっくり振り返ってみると、朝にスマホのアラームで目を覚ましたら、アラームを解除したついでにまずSNS(私の場合は主にX)を開く。そのまま10分ほど、タイムラインでどんなことが起こっているかを確認する。それで済めばいいのだが、パンを食べながら、支度をしながら、何度も何度もアプリを開いて画面をスクロールする。出勤のために家を出て、バスや電車に乗りながら、酷い時だと30分以上連続で見続ける日もある。休憩時間、帰宅時、夕食後、就寝前…。
そこまでの時間をSNSに費やしているにもかかわらず、必ずしも何かを得ているわけではない。ただスクロールして、流れてくる文字や画像に目を通すのが習慣になっていたのだ。
もちろん中には、(へぇ)と思うような豆知識やライフハック、ふっと笑ってしまう日常の切れ端、自分では辿り着けなかった面白そうな本や読み切りのウェブ漫画、癒しをくれる動物の動画や画像といったポジティブな出会いもある。
しかしそれと同じくらい、というかそれ以外のすべては、不安を煽る情報、他者を毀損する言葉、無益な争い、数字やお金を稼ぐためのセンセーショナルな見出しで埋め尽くされている。問題なのは、そうした自分とはまったく関係ないと分かっている内容をいちいち追ってしまうことである。
あれはなんなのだろう。赤の他人の言い合いを熱心に読みこんで、これはどちらが正しいんだ?と気になってきて、周辺の文脈や経緯を知るために自発的に検索までしてしまい、気がついたら数十分経っていたけれど残るのは不快な気持ちだけ、みたいなこともよくあった。そして脳は疲弊している。無駄の極み。
けれどありがたいことに、きっかけを与えてくれたのもSNSだった。冒頭にも書いた認知機能の低下について警鐘を鳴らす投稿が目に入り、これまでの自分の行動を改めて省みたのだった。特に朝一でSNSを開くのは最悪らしい。さっそく実践してみることにした。
日記を振り返ると、12月17日から始めている。アラームを切るためにスマホに手を伸ばした以降は必要以上に触らず、家を出てバスを降り、最寄りの駅に着くまではクリア。駅に着いて、スマホで乗り換えの時間をチェックした直後、本当に無意識にXのアプリを起動させていたときは(指に動きが染みついてやがる…!)とヒヤッとしたが、すぐに消すことができた。その日は久しぶりに電車の中で読書に集中した。
以降、朝はSNSを見ず、あるていど活動したのち、ちょっとした息抜きや必要なときにだけSNSを見ようと心がけた。続けてみて気がついたのは、「空白を埋めていたなあ」ということだ。生活の中の余白や隙間を、自分はいつもSNSのトピックや言葉でぎちぎちに埋めていた。だから自然でおっとりした考えや感覚の入り込む隙がなくなっていた。
インスタントな刺激に慣れきっていたので、はじめのうちは「退屈」「物足りない」と錯覚しがちだったが、よく考えてみると空白は別にマイナスなものではないのだ。今では「時間ができた」「さて何をしよう」と次のタスクを探したり、少しストレッチをしてみたりと、以前の自分からしたら結構信じられないレベルの変化が出てきている。
たまに開くことで、自然と自分に必要だったり、興味関心が近い情報だけを拾えるようになった気もする。ようやくSNSとの適切な距離感を体得できた。維持していこう。(理)








