出張月記 Vol.5 大阪朝高ラグビー部を追って~約3週間の東京―大阪往復の日々~
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月1で綴ってきた出張月記が5回目を迎えた。今回は先月1ヵ月間の出張について。
11月は都内での取材やオンライン取材もちょこちょこあったが、大半を占めたのは毎週末にいく大阪出張だった。
2ヵ月ほど前に企画が採用され、その取材のために10月末から11月下旬にかけて、約3週間にわたり大阪朝高ラグビー部に密着した。

仲の良さが際立つ24人の部員たち。大阪はもちろんのこと、兵庫や京都、大分など各地から同校ラグビー部に憧れ、入部したメンバーたちだ。
きっかけは、今年6月に朝高生たちの日常を追ったイオの連載企画「アオハル」で、同校の高2の生徒たちを取材したこと。当時、ラグビーをするために、京都から同校へ転校してきた朴敬洙さんの言葉が頭から離れず、いま企画化しなくてはと思った。
4年前の1月、大阪朝高ラグビー部は、東大阪市花園ラグビー場で開催された第100回全国高校ラグビー大会の準々決勝で流経大柏との激闘を制し、10季ぶり3度目のベスト4を決めた。なかでも試合の最終局面で、逆転トライを狙って猛攻を繰り返す相手に対し、朝高が死力を尽くして守り切ったシーンは有名だろう。その光景に感動し、通っていた地元・京都の中学から朝高への進学を決めた敬洙さん。
取材当時、筆者が最近の悩みについて聞くとこう答えた。
「ベスト4を決めた試合、本当に感動して…あの時みた朝高のファーストジャージがめっちゃかっこよくて入部を決めた理由の一つでもある。けど今の高3が抜けたらプレーヤーは9人で、このままじゃ次の新人戦は合同チームになると思う。高3になっても朝高のジャージを着たいから…そのために絶対に全国に出る」
1972年に創部した同校ラグビー部は、1991年に大阪府総体への参加が認められ、94年に高体連が特例による全国大会参加を認めて以降、公式戦の舞台でその名を轟かせてきた。2003年、初となる全国大会出場の切符を手にして以来、その数11回を数える常連校にまで上り詰めた歴史と伝統ある部活。日本代表や多数のプロ選手も輩出してきた。その大阪朝高が、近年部員数の減少に見舞われている。
良い時ももちろんだが、しんどい時に寄り添える媒体でありたい。現地の関係者たちがいまこの時期を踏ん張るための力添えをしたい。これが企画を出した理由だった。
この間、東京と大阪を毎週行き来しながらみたラグビー部の生徒たちは、その発言も、行動も、風貌に至っても…日に日に変化し、成長していた。よく、プロと違って、学生スポーツは勝敗において何が起こるか分からないといわれる。その理由はさまざまだが、これまで朝高が度々全国大会の舞台に上り詰め、日本の有名校や強豪校が名を連ねる高校ラグビーの世界で、同胞たちに明日を生きる活力を与えてきた所以をこの3週間の部員たちの姿にみたような気がした。そしてこれが、民族教育の中であるからこそ培われる変化であり、成長なのだとも強く感じた。
この間、朝鮮新報やイオ、その他さまざまな媒体の過去記事を調べると、同校が全国大会を決めた記事の見出しには度々「復活」の文字が掲げられた。そう、いまだけじゃなくこれまでも逆境のなかで、成長し復活してきたのだ。前途有望なかれらの今後に悲観する必要なんてない。取材を通じてそう思わされた。
17日に刊行されるイオ2026年1月号では、悲願の「花園」を目指し、秋の予選に挑んだ大阪朝高、東京朝高の両ラグビー部に密着した特別企画が掲載される。上述した内容の詳細やその理由をここに記している。個人的には、部員たちの姿を一度でも直接目にすれば、今こそ朝高ラグビーのファンが、そこを目指す次世代のラガーマンたちが増えるのではないかとも思っている。この記事がたくさんの人たちの手に届けば本望だ。(賢)








