「分からない」を一緒に体験できる映画
広告
現在、月刊イオ2026年1月号の工程が進んでいる。私は久しぶりに映画紹介ページの執筆ローテーションに組み込んでもらった。さっそく誌面で紹介する映画を観に行く。今回取り上げることに決めたのは「みんな、おしゃべり!」という映画だ。誌面では文字数の関係上さわり程度しか書けなかったので、このブログでも紹介したい。
【あらすじ】
街の電気屋を営む古賀家。父と息子はろう者、母亡きあと、娘は家族の中で唯一の聴者だ。ある日、クルド人一家が街に越してくる。人々が遠巻きに様子をうかがう中、「多様性」を強調することでまちおこしを推進したい団体の担当者は両者にぐいぐい近づいていく。しかし勢いだけで正しい知識を持ち合わせておらず空回り。果てには、手話、クルド語、日本語で互いに言葉が通じないがゆえ、小さな勘違いが重なり、すれ違い、だんだんと波紋を呼んで……。
***
上映時間は143分だが、まったく長さを感じさせない。言語の壁、障害の有無、偏見や思い込みといった簡単には語れないテーマをまっすぐに扱いながら、全編にわたってユーモアが散りばめられている。同時に、偏見が再生産されていく様子や、“分からないもの”を目の前にした時につい疑心から先に抱いてしまう心理などをリアルに描いていると感じた。
最初のボタンの掛け違いに気づけず、対立を深めていく大人たち。物語のキーになるのは、古賀家の娘である夏海とクルド人一家の息子であるヒワだ。
夏海はCODA(コーダ:Children of Deaf Adultsの略。「耳が聴こえない/聴こえにくい親をもつ、“聴こえる子ども”」)で、手話ができるため、ろう者たちの言葉を通訳することができる。日本語ができるヒワも、同様にクルド語の通訳が可能だ。ディスコミュニケーションの渦の中で、二人は試行錯誤しつつも少しずつ互いを、そして互いのコミュニティの文化を理解していく。
同作でいちばん特徴的なのが字幕の使い方。監督曰く「本作では字幕も表現の一部」。全編に字幕がついているが、それぞれの第一言語を持つ観客にしか読めない、“計算された”仕掛けが施されているのだ(例えば、クルド語が話されているとき、画面には日本語訳が出るのではなくクルド語がそのまま表示される)。
これにより観客も「あの人たち、なんて話しているのか分からない」状態を体験することができる。意思疎通できるだろうかという心もとなさを感じる。安全圏の第三者ではいられない。自身の振る舞いを問われているような、ヒリヒリした臨場感が伴う——。
監督を務めた河合健さんもCODAだという。「ろう者やCODAを題材とした映画を制作したい」という構想を16年温め、検討を続け、複数の脚本家と協働することでようやく本作が完成した。さらに、実際のろう者やクルド人が出演するにあたり、各々のこだわりを遠慮なくぶつけたことで、物語は予期しない方向へと進んでいったそうだ。
街全体を巻き込みかねない騒動にまで発展していくろう者とクルド人たちの対立はどのような結末を迎えるのか。ぜひ劇場で見届けてほしい。(理)
「みんな、おしゃべり!」
監督:河合健/脚本:河合健、乙黒恭平、竹浪春花/プロデューサー:小澤秀平/企画・製作プロダクション:GUM株式会社/配給協力:Mou Pro.
2025年11月29日より全国順次公開
公式HP:https://minna-oshaberi.com/









