民族教育の今に密着
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長野朝鮮初中級学校で恒例行事となった脱穀作業
月刊イオ12月号の特集は「朝鮮学校の合同教育」。
近年取り組みがなされている各地のウリハッキョ(朝鮮学校)同士の合同生活。授業やスポーツ大会への出場、修学旅行などの課外活動、一定期間の学校生活など多岐にわたる。特集では民族教育の可能性を模索するさまざまな「合同」の取り組みから、「ウリハッキョの今」を探った。
一般的に、教育は家庭、学校、地域社会の三者が連携して行われるものだと考えられている。宋明男・元在日本朝鮮青年商工会副会長が指摘するように、朝鮮学校の子どもたちは保護者、教員、同胞社会、そして日本の友人たちが見守るなかで育つという意味で、共に育む「共育」の環境が整っている。
そして、合同教育によって子どもたちは地域の境界を越え、より多くの温もりの下ですくすくと育つことができる。取材ではその可能性と現場教員たちの奮闘を見た。
また、今回取り上げたのは朝鮮学校における民族教育の今であるが、準正規教育(朝鮮学校以外の場で行う民族教育)にも広がる可能性も垣間見えた。
地方では「(朝鮮学校が)近くにあったら通わせたい」という保護者の話をよく聞く。さまざまな事情で朝鮮学校に子どもを送れない同胞家庭は少なくない。

長野初中へ向かう道の自販機。コーヒーを買おうとしたら何やらこちらを見る目が!
長野朝鮮初中級学校と静岡朝鮮初中級学校ではコンピュータネットワークで遠隔の教室をつなげて一定数の授業を行っている。「遠隔合同授業」を担当する長野初中のとある教員は「日本の予備校でも映像授業が一般化されている。同胞社会でも遠隔授業を一般化できれば、ウリハッキョに通えていない子どもたちにも授業をできる可能性がある。『遠隔合同授業』は準正規教育網の拡大にもつながるのではないか」と話す。

ボタンを押そうと手を伸ばすと横に移動してくれた。滋賀、栃木もそうだが朝鮮学校やその近くでカエルを見つけることが多々あるのは私だけだろうか
のちに、筆者が「第9回朝鮮学生綜合支援教育フォーラム」(主催=中央学校保健委員会)を取材した時のこと。ここでは、すべての学生に支援が必要であるという考えの下、さまざまな議論が行われた。その中で、不登校の児童・生徒がリモート授業など別の形式で授業を受けられるようなシステムがあればいいという提案があった。その瞬間、筆者の脳裏に先述の教員の言葉がよぎったのである。
議論と実践を重ねて、これまでも民族教育は発展してきたのかと思った。また、いまがその「過渡期」だとも。
本特集が朝鮮学校の今を知ると同時に、朝鮮学校をとりまくすべての人が子どもたちによりよい民族教育を施すための知恵を育む一助になることを願っている。(哲)








