小説が予言した未来?
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10月4日、高市早苗氏が自民党総裁に選出された。私はその日、夜のニュースでそれを知った。日本初の女性首相となる見込みだということで、咄嗟にとある文章が頭に浮かんだ。
排外主義者たちの夢は叶った。/特別永住者の制度は廃止された。外国人への生活保護が明確に違法となった。公的文書での通名使用は禁止となった。ヘイトスピーチ解消法もまた廃され、高等学校の教科書からも「従軍慰安婦」や「強制連行」や「関東大震災朝鮮人虐殺事件」などの記述が消えた。…「日本初の女性総理大臣が、あれほどまでの極右だったとは僕もすっかり騙された」と、柏木太一(かしわぎ・たいち)は言うのだった。
李龍徳さんによる長編小説『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』の冒頭部分だ。李さんは1976年、埼玉県生まれ。同書は2020年3月に刊行され、あまりに印象的なタイトルだったためすぐに購入して読んだ。読後まもなく日刊イオに感想も書いた。
同様の内容を想起した人はもちろん私だけではなかったようで、版元である河出書房新社とその関連アカウントは、Xを通して5年前に刊行されたこの本の引用や書評、試し読みを複数回投稿した。
私も、2020年6月号の月刊イオに掲載した書評を久しぶりに読み返してみた。せっかくなのでここにも転載したい。
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抗いとしての“小説美”
排外主義者たちの夢は叶った。
特別永住者の制度は廃止された。外国人への生活保護が明確に違法となった。公的文書での通名使用は禁止となった。ヘイトスピーチ解消法もまた廃され、高等学校の教科書からも「従軍慰安婦」や「強制連行」や「関東大震災朝鮮人虐殺事件」などの記述が消えた。(本書より)―
小説の中だからこそ連なる絶望だろうか。それにしても言及される事件の数々はどこかで聞いたようでもある。こういった事態は起こりうると説得力を感じてしまうことが恐ろしい。著者の李龍徳さんも、同書が現実の地続きから生まれたと確信している。
「いまの世においても朝鮮学校は『転売のおそれがある』との不当な理由でマスク配布の対象から除外されそうになった。だとすればもっとひどい状況になっているのは、小説的要請としては当然でしょう。ただしそれはあくまで、この作中では、です。現実の未来がそうならないよう祈りを込めたのも、この小説を書いた動機のひとつです」
物語は、強烈な排外主義に支配される日本を変えようと密かに計画を練る「在日韓国人」の柏木太一を点にして展開されていく。朝鮮半島にルーツを持つ女性がヘイトクライムによって殺害されても、事実が次第に歪められ、忘れられていく社会。より大きな衝撃を与え、根幹にひびを入れるには…。柏木の計画は驚愕の方向へと進む。
結末は一見すると救いようがないように思える。しかし、李さんは「世界には愕然とする絶望と、美しい希望との両方がある」と話す。「忘れてはいけないのは、先ほどのべた『マスク問題』も実際に日本で起こり、同時に日本の方も含めた市民の反発によって退けられたということ。民族の壁を越えて、不正義は不正義と声をあげる人々は確かにいる。そういった、うんざりするような絶望と、かすかな希望との綾を書いたつもりです」。
李さんの容赦ない筆致は、この物語とそれが生まれる背景を他人事にさせはしないという覚悟を読者に突きつける。それこそが李さんの現実世界への抗いでもある。
「時代がまったく違う、地理的にもあまりに遠い古典芸術が私たちを感動させるのはなぜか? アジテーションも、自己主張も、単なる愚痴ですら、教養と創意工夫と自己批判精神に満たされていれば、数百年と生き延びる。小説を他人事にさせないためには、芸術性、抽象性、普遍性を高めることです。私のモチベーションはひたすらに、小説美を完成させること」―。
幼い頃から、家庭内で割とフラットに在日であることを話してきたという李さん。一方で「集団生活への嫌悪感」が強く、民族学校や団体との関わりは避けてきた。だからといって「在日嫌いの在日」にはなるまいという意識はある。生まれもった“マイノリティ”の視点と客観的に自己を顧みる姿勢が鋭い創作につながったのだろう。
著者〇李龍徳さん
い・よんどく●1976年、埼玉県生まれの「在日韓国人」3世。早稲田大学第一文学部を卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。過去作に『報われない人間は永遠に報われない』『愛すること、理解すること、愛されること』。今年3月、4作目となる著書『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』を上梓した。現在は大阪府在住。
『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』
李龍徳〇河出書房新社
2300円(税別)
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レイ・ブラッドベリによるSF小説『華氏451度』を読んだ時にも感じたが、創作者の飛躍した想像力は、時に未来を見通す力を持つことがある。日本では驚くべきスピードで排外主義が広がっている。5年前と比較するとさらに凶悪さを増している気がする。
表現を通して抗っている人がいる。ダイレクトに声を上げて抗っている人がいる。隣人との友好を深めて抗っている人がいる。直接的には何かをせずとも、情報を集めながら自分と周囲を守って静かに生きている人もいる。みな、それぞれの方法で日々を生き抜いている。私には何ができるだろう。何をすべきだろうかと考えている。(理)