100年前の再現か
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先週末、SNSで見つけたニュース。「米南部で木につるされた黒人学生の遺体、活動家らが徹底捜査要求」(ロイター通信)。驚いた。探しても他に詳しい情報が出てこなかったので、その記事を引用する人々のコメントを見ると案の定、米国の歌手ビリー・ホリデイ(1915~1959)の「Strange Fruit(奇妙な果実)」を想起する人が多かった。
私がこの曲を知ったのは社会人になってからだ。歌うことが好きな先輩から、自身が出演するというライブに誘われたことがきっかけだった。ただ歌うだけではなく在日朝鮮人としての自分の問題意識と絡めながら、歌詞の意味や楽曲が作られた経緯、歌う意義を観客と共有する。
「奇妙な果実」は先輩の持ち歌の一つだった。歌い出しは「南部の木々には奇妙な果実がなる」。これはリンチされて木に吊るされた黒人たちの死体を意味している。当時、現地で日常茶飯事になっていた黒人虐殺。説明を聞きながら衝撃を受け、実際にその歌を聴いた。こんな出来事、そしてこんな歌があったなんて。言葉にならなかった。
この歌が作られたのは1930年だという。ニューヨークに暮らす教師が、木に吊るされて亡くなっている黒人の姿を新聞で見て居ても立っても居られず楽曲にした。
冒頭の事件について、地元の検察は他殺ではないと判断している。しかし活動家や遺族らは徹底的な捜査と真相究明を求めているそうだ。100年以上前の出来事が再現されているのでは――。現地に暮らす人々の恐怖、不安はどれほどだろうか。
一方、日本でも歴史の再現かと思ってしまうような出来事があった。「十円五十銭と言ってみな」という言葉を口にする人が現れたのである。外国人ヘイトを煽る政党の支持者とみられる人物だ(抗議者がSNSで該当の動画を発信している)。十円五十銭、あるいは十五円五十銭。これは関東大震災時、自警団が朝鮮人をあぶりだすために用いたもの。虐殺の際、実際に使われた言葉だ。
某政党の党首は過去に「チョン」という蔑称を笑いながら使っていたし、恐らくその一回ではないだろうと思う。日常的に、在日朝鮮人を含むさまざまな海外ルーツの人々への排外的な発言を無意識に、そして意識的にも繰り出しているのではないだろうか。はじめは冗談でも、植えつけられた認識は個々の頭の中で育ち、その後に触れる(偏った)情報を吸いながら肥大し、いつの間にか憎悪に変わっていく。扇動する側は責任を持たない。
…これまでになく凶悪な世の中になっているようで元気をなくしてしまう。けれど動いてみれば気分は変わるだろうか。ここでいう「動く」は何か本を読んでみるでもいいし、音楽や映画、芸術作品に触れるでもいいし、勉強会に参加するでもいいし、身近な人と不安を共有するでもいいだろう。とにかく硬直せず、頭の中に違う方向から風を入れること。そうしてリフレッシュして、とにかく日々を生きるしかないのだ。(理)