出張月記 Vol.3 関東圏に集中した8月
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先月8月は、異動後はじめて出張がなく関東圏に取材が集中していた。そのため今回は月1でまとめていた「出張月記」(毎月の出張と関連し、日記ならぬ「月記」を7月から書き始めた)の番外編として、この間の印象深い取材を振り返ろうと思う。
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8月19日と今月4日。国会内では、長生炭鉱水没事故の真相究明を進める市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」と、超党派の国会議員らによる日本政府への要請がそれぞれ行われた。
周知のように8月25,26日、炭鉱跡から水没事故犠牲者のものと思われる人骨が収容された。それを前後して行われた要請の場、共通していたのは、なんら姿勢を変えない政府の対応だった。

8月19日にあった政府交渉の場。写真は刻む会のメンバーと国会議員ら
「さまざまな専門家から知見を集めているが、いまだ安全性に懸念が残る」
「安全性が確保できていない状況で政府参画を明言できる状況ではない」
人骨が発見された当時、その重みを、ニュースに接した多くの人々が心で受け止めていたなか、オウムのように同じ発言を繰り返す厚労省の担当者に言いたい。あなた方が扱っているのは「人の命」であり、そこに一人ひとりが心を向けてほしいのだと…。
8月20日には東京・竹橋の東京国立近代美術館を訪ねた。目的は10月26日まで開催中の企画展「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」の取材だ。
アジア諸国を植民地支配し、侵略戦争を展開していたかつての日本で、戦意高揚と銃後における啓発宣伝を目的に制作された「作戦記録画」が所蔵されている同館。このたびの展示は、そのうちの一部など1930年代~70年代までの計200点を超える戦争関連作品・資料が紹介された大規模展であった。
戦争プロパガンダとして描かれ、誕生した数々の表現たち。館内に展示された作品からは、人々をいかに戦争へと駆り立てていったのかが、じわじわと伝わってきた。この企画展を観るまで、作戦画というジャンルがあることさえ知らなかったし、恥ずかしながら「銃後」という言葉も、この取材を機に知った。戦艦や戦闘機の博覧会、戦時の新聞号外、4億通にのぼる軍事郵便…ふと考えた。これらを鑑賞した時の恐怖や違和感が今の日本でどれくらいシェアされるのか。
近年、極右論者らが訴える「思想戦」という言葉が、当時にも戦争プロパガンダとしてうたわれていたのはさすがに身震いがした。いったん社会に浸透すると、当然のものとして受け入れられ、メディアや大衆の自発的な活動まで起こさせる。

東京国立近代美術館で企画展とともに開催中だった「コレクションにみる日韓」の展示風景
他方で、同館では「コレクションにみる日韓」と題した朝鮮半島出身の美術家などによる展示も行われており、こちらも合わせて鑑賞することをお勧めしたい。
美術においては全くの素人だ。ただこの展示を通じて、表現における可能性とももに、表現する責任は、現代までも色あせないのだなと感じた。
その他にも8月後半には、連載や特集関連の取材をいくつか行ったのだが、なかでもダントツで印象に残っているのは、弊誌10月号(18日に刊行予定)の生成AI特集で紹介する企業および個人への取材だ。
ネタバレになってしまうので詳細は割愛するが、今回の取材を通じて、世界観が変わったように思う。漠然としたAIへの拒否感は興味・関心へと変わり、今では日常的に活用している。
例えばChatGPTは日々の食生活を記録し改善方向のアドバイスをもらうツールとして、Manusはアンケート結果に関する一次分析や、自分がいま抱えているタスクの優先順などを整理してもらうツールとして、筆者の生活にすごくポジティブな影響をもたらしている。

特集の取材協力をいただいた株式会社ビズリンク
他方で、取材協力をいただいた株式会社ビズリンクの社員らの働き方には実に学びが多かったので、ぜひ明日発売のイオ10月号を手に取って読んでみてほしい。
最後に、少しテーマはずれるが、ウリハッキョ出身生のバイタリティーについて語る、同社代表インタビューも印象的だったので、それを紹介して終わりたいと思う(残念ながら誌面で紹介しきれなかった)。
「今になり強く思うのは、ウリハッキョで培った『サランガエサオッ』(사람과의 사업:教養や指導などコミュニケーションによる取り組みの意)は、企業や組織において非常に貴重だということ。面倒見の良さや時には厳しく指導するといった、在日文化で当たり前とされていることが日本社会ではいま、すごく需要がある。在日文化が育んだ大きな価値だと感じています」
(賢)