長生炭鉱をめぐる動き、どうまなざすか
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8月19日に行われた「刻む会」による政府交渉
山口県宇部市の長生炭鉱をめぐる真相究明がかつてない速度で進んでいる。
80余年のあいだ、閉ざされていた坑口が開けられ、海底からは、かつて炭鉱内で労働に従事した人々のものとみられる人骨が発見された。
近年、地震や豪雨など大規模災害が起これば政府主導の対策室が設置され、被害状況の把握やライフラインの確保、各地からの応援体制の構築に乗り出す光景をみるが、この大規模災害という言葉、調べてみると人為的な要因によって発生した「人災」を含むのが一般的な理解だという。
であればなおさら、長生炭鉱水没事故と関連する昨今の政府対応は理解しがたい。
存命する体験者も少なく、戦争を知らない世代がほとんどの今、日本が侵略の主体となっていた当時を想像する。
太平洋戦争中、増産体制のもとで多くの産出が求められた石炭。増産体制とは、軍需物資や食料など、主要産品の生産を最大限に拡大し、国の戦争遂行能力を高めるための経済活動の統制である。戦争遂行という国家的な目的がなければ敷かれることのなかった国策のもと、無謀な採掘を続けた長生炭鉱で起きたのが、落盤による水没事故だった。
国策のもとでおきた「人災」であり、強制労働の象徴ともいえる長生炭鉱の犠牲者たちは、本来国をあげて補償に乗り出す対象ではないのか。そして問題を考える時、改めて確認したいのは私たちがその枠組みを見誤ってはならないということだ。
朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国。現代的な視点では二つの国家が存在するが、事故発生当時は日本の植民地下にある一つの国であり民族であった。それを証明するように、長生炭鉱犠牲者は、現在の朝鮮・平安道にはじまり、韓国の慶尚道まで朝鮮半島全域から日本へ渡ってきた朝鮮人労働者たちを主とする。すでに判明している韓国や日本在住の遺族に加え、先月新たに朝鮮在住の遺族の存在が明らかになった。
これらを鑑みるといま必然的に目を向ける対象は、韓国だけでなく朝鮮を含むものとなり、枠組みもまた日韓ではないはずだが、メディア報道や議員発言など実際のところはどうか。
いまだ海底に置き去りにされた骨に、犠牲者たちに、私たちの言動が分断をもたらす行為とならないか、常に考えていく必要があるのではないか。
先週の遺骨収容を受け、今日10時から超党派の国会議員らによる厚労省への申入れが行われる。9日には「刻む会」による政府交渉もある。
日本の敗戦80年、朝鮮の解放80年。歴史をまなざす私たちの姿勢が問われている。(賢)