出張月記 Vol.2 相模ダムからの大阪、東海
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相模ダム建設犠牲者の追悼碑が位置する相模湖公園
毎月の出張と関連し、日記ならぬ「月記」を先月から書き始めた。2回目となる今日は、7月末の出張について。
雑誌の編集部に来て以降、出張の組み方も変わった。新聞はネタをキャッチしたらすぐ現場に行くのが通常なので、出張も短いスパンで度々組まれることが少なくなかったが、雑誌となれば企画が命。そのため、毎月の〆切後に企画会議を経て、その月の後半から出張や取材が開始されるのが基本パターンとなっている。
7月の最終週は、神奈川・相模ダムでの取材翌日から、3日間の大阪、東海出張へ行ってきた。(相模ダムは、関東圏内かつ日帰りの日程なので、厳密には出張先ではないが、取材・出張と連続していたため書き留めておきたい)
神奈川県の最北端、相模原市緑区に位置する相模湖は、相模ダムによってできた人造湖で、日本最初の多目的ダムだ。1940年、京浜工業地帯の工業用水や電力確保などのために着工。47年に完成したダムの建設工事には、労働力不足を補う目的で、朝鮮半島から強制連行された朝鮮人、中国人捕虜らが動員され、日本人学徒を含む83人が犠牲となった。動員数は延べ360万人といわれる。
取材でダムを訪ねた7月27日は、市民団体「相模湖・ダムの歴史を記録する会」(記録する会)などの実行委員会が主催し、今年で47回目を迎えた「相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会」が市内の施設で行われた。
この日の目的は、記録する会が、1970年代より相模地域や中国で聞き取り調査を行い、掘り起こし、次世代へ語り継いできた歴史の現場をみること。追悼会を前後して、同施設では関連展示会や紙芝居の読み聞かせが、また相模ダム周辺と追悼碑など関連場所へのフィールドワークが行われた。
恥ずかしながら、相模ダムには今回初めて行ったのだが、驚いたのは、市民らの地道な取り組みにより、参加者層が極めて多様だったことだ。筆者が歴史の現場でよく目にしてきた60代以上だけでなく、地域の小学生や中高生、20~40代などがこの活動に携わっていた。

展示会場で行われていた紙芝居『相模湖はこうしてできた』の読み聞かせ
例えば、追悼会では毎年、地域の学校や中華学校、朝鮮学校が順番に追悼ステージを彩る。また平和学習や課外学習の一環としてこの学校の児童・生徒らがフィールドワークを行っている。さらに友人の紹介で相模ダムの歴史を知り、紙芝居の読み聞かせを行う人や記録する会のメンバーになった人など、取材した方々は皆30、40代だった。相模ダムにまつわる歴史は、この地域の市民たちがずっと向き合ってきた当然の歴史なのだなと、近年歴史の現場で感じることのなかった久しぶりな感覚を覚えた。
翌日は朝から大阪へ移動し、7月4日に東京地裁へ調停申し立てを行った司法書士たちに取材した。この調停申し立ての理由は、日本司法書士会連合会(日司連)が企画した法教育に関するガイドブックで、掲載を予定した朝鮮学校での法律教室の実践報告が、「デリケートなトピック」だとして、日司連が全面削除を指示したことに起因する。日司連はその後、当該報告を含む発行物全体を「お蔵入り」させている。

司法書士たちへの取材を行った貸しスペース。予約サイトを通じて場所を確保したのだが、原状復帰のうえ写真を撮って送らなくてはならないミッションがあった。写真は原状復帰後。
この問題、現時点で報道したメディアが少ないのだが、詳細を聞いてみると極めて問題性が高かった。
「業界内部の問題をなぜ調停にするのか、という声も聴くが、司法書士という職業の社会的責任を考えると、とても私たちだけの話とは言えない」
「昨今の選挙現場など、差別的な表現が当たり前のように叫ばれる社会で、日司連がやったことは『先駆的なこと』とも言える。差別反対の先頭に立ってこその法律専門職、ひとつ許したら、次はなにがあるのか。差別を認める社会に迎合する組織になっていくのではないか」
2人の司法書士たちは、一個人である司法書士が、組織の差別に加担させられるのは、耐え難い苦痛であり、またこれを自分たちの問題として捉え調停を申し立てたのだと話していた。
支援という枠から一歩踏み込んで、朝鮮学校への差別を自分事として、また日本社会やわたしの問題として捉え、行動した司法書士たちの姿に、個人として純粋に励まされる思いだった。

各地で津波警報が出ていた日に出張最終日を迎えたため、はらはらしながら一日を送ったのだが、取材場所の部屋から撮った空がきれいで少しばかり心を落ち着かせてくれた。
出張3日目の最終日は、連載「ともに生きる」の取材で東海地方へ移動。発達障害をもつ同胞女性への対面取材を行った。事前に本人から、特性や困りごとを聞いたうえで準備を重ねて取材日を迎えたのだが、取材を終えてみて思った。「こんなに相手の特性や思いを考慮して言葉を発したり、行動したことをはあったかな」と。日頃接する人たちの中にも、表向きにはわからないたくさんの困りごとや悩みがあるはずで、しかしそれへの気遣いや配慮というのは、忘れがちになるなと。
人それぞれに、口外しない思いや悩みがあることを大前提に人に接していきたい、そんなことを教えてくれた取材現場だった。
(賢)