李鶴来さんが生きていれば「日本人ファースト」のスローガンをどう聞くだろうか
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東京都新宿区の高麗博物館で朝鮮人BC級戦犯問題の企画展「なぜ『朝鮮人』が戦犯になったのか~戦後80年を迎えてなお続く植民地主義を問う~」が5月7日から開催中だ。
植民地支配下の朝鮮半島や台湾の出身者が日本の犯した戦争犯罪のために、「BC級戦犯」として十分な審理も受けられないまま有罪判決を受け、23人の朝鮮人が処刑された事実は日本でほとんど知られていない。
日本の侵略戦争に動員され、日本人軍属として南方で捕虜監視員などとして働いていた朝鮮半島・台湾出身の人々は戦後、捕虜に対する虐待などを理由に連合国側に逮捕される。連合国側が開いた軍事裁判でBC級戦犯として有罪となった朝鮮半島出身者は148人、うち23人が死刑となった。
1952年発効のサンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復する際、旧植民地出身者は日本国籍を喪失させられた。その後、日本政府は日本国籍の元軍人・軍属への補償を進めたが、旧植民地出身者は補償の枠組みの外に置かれた。服役した後に釈放された朝鮮人BC級戦犯者は、外国人であることを理由に一連の援護法から排除された。
日本側の不誠実な対応に加えて、韓国本国でも補償の対象から外された李鶴来さんら朝鮮人戦犯者らは1955年に「同進会」を結成し、歴代の内閣に国家補償を求め続けてきた。91年11月には司法の救済を求めて東京地裁に提訴する。都合8年、最高裁まで争ったが99年に敗訴が確定した。裁判の敗訴以降は、最高裁で立法解決を促す付言判示が出たことを踏まえて現在まで補償立法を求め続けている。
朝鮮人BC級戦犯者問題は、「日本軍の犯した罪を朝鮮人・台湾人が負う」という植民地支配が生み出した理不尽に加え、「国籍」「遺骨返還」「補償」という現在に通じるさまざまな課題を提示している。
今回の高麗博物館の企画展は、23年12月に急逝した当時の館長・徐京植さんから投げかけられた、「戦後80年となる2025年を高麗博物館としてどのように迎えるのか」という言葉がきっかけとなって企画された。23年の展示「関東大震災朝鮮人虐殺から100年」を終え、翌24年に「『強制連行』『強制労働』の否定に抗う」の企画展示を予定していた高麗博物館ではあらためて植民地主義に正面から向き合おうと、徐さんからの問いかけに応える形で、25年の年間テーマを「敗戦/解放80年~植民地主義を考えよう」とすることに決めた。今年は、朝鮮人元BC級戦犯者が生活保障・刑死者の遺骨送還・国家補償などを求めて結成した「同進会」の誕生から70年にあたる。今回の展示は、「『同進会』を応援する会」の全面協力によって実現した。
企画展では、朝鮮人BC級戦犯者問題の解説パネルを6つのパートに分けて展示。元戦犯者の金完根さんがオートラム刑務所(シンガポール)で使っていたタオルと手帳なども展示されている。
展示以外にも元戦犯者の遺族によるギャラリートーク、内海愛子さんら長くこの問題に取り組んできた方々による講演などさまざまな催しが企画されている。
運動の象徴的存在だった李鶴来さんが2021年に96歳で亡くなり、元戦犯の当事者は誰もいなくなった。運動は遺族に引き継がれている。
「一人でも多くの人に、植民地政策の中で元戦犯者が被った不条理を知ってもらい、戦後も忘れられた存在として、保護されることなく、名誉を回復される機会もなく過ごすことを余儀なくされた元戦犯者およびその遺族の方々の長年の思いを実現させるべく、この展示がその一助となることを心から願います」(展示パネル「はじめに」より)
企画展は9月28日まで開催。詳細は高麗博物館のウェブサイトまで。
現在発売中のイオ8月号でも企画展の紹介記事を掲載している。ぜひご一読ください。
「都合がいいときは日本人、都合が悪くなると朝鮮人」
死ぬまで一貫して救済の枠組みの蚊帳の外に置かれた李鶴来さんら朝鮮人BC級戦犯者らがもし存命中なら、今回の参議院議員選挙をどう見ただろうか。「日本人ファースト」という空虚な(しかし非常に有害な)スローガンを掲げる極右政党の躍進は、「戦後80年」を迎えようとする日本の現在地にほかならない。
メディア、路上、学校、暮らし―。政治の世界だけではない、抵抗の前線はあらゆるところにある。いまこの時代に、小さい規模ながらも今回の企画展のような催しが行われていることに勇気づけられる。(相)