「なぜそれを私たちに問うのか」
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先日、朝日新聞電子版に興味深いインタビュー記事が掲載されていた。今年度の米アカデミー賞受賞作で、日本でも公開中のドキュメンタリー『ノー・アザー・ランド』のバーセル・アドラー監督に対するインタビューだ。「2国家解決の行方」という連載の第1回。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16199763.html
少々長くなるが、気になった箇所を引用する。
――あなたたちはパレスチナ人とイスラエル人の共同監督・共同制作というスタイルでこの映画を実現しました。だから聞くのですが、(イスラエルと将来的に独立したパレスチナ国家が平和共存する)「2国家解決」は可能だと考えていますか。イスラエルとパレスチナの共存の道はあるでしょうか。
「今回の受賞に関わる取材で、よく聞かれた質問です。ですから次の言葉は、あなた個人に向けるものではありませんが、率直に言って、私はこの質問が嫌いです」
「なぜ、『解決策があるかどうか』を私たちに問うのでしょうか? それは私たち側に聞くことでしょうか」
「現在進行形で続いているイスラエルの犯罪を止める。国際社会がしかるべき制裁や処罰を与える。話はそこからしか始められないのではないのですか」
監督はインタビューの中で、「2国家解決」を不可能にしたのはイスラエル側であることを指摘しながら、問題解決は「日本も含めた国際社会次第だ」とのべている。
引用したインタビューのくだりを読んでドキッとした。
ヘイトスピーチ・ヘイトクライム、朝鮮学校差別、戦後補償問題―これまで被害当事者に対して同様の問いが投げかけられる場に何度も同席した。そのたびに同様の感想を抱いた。「なぜそれを私たちに問うのか」と。監督の苛立ちはとてもよくわかる。
一方で、私がインタビュアーだったらどうしただろうか。たぶん、あえて聞くという選択肢も含めて、同様の質問をして取材対象を苛立たせてしまったと思う。過去の取材において、自分が当事者でない問題で無神経な質問をしてしまったことを思い出した。
だから、記事を読んでドキッとしたのだ。(相)