ニョメン・オーガナイジング
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写真はイメージです
張歩里さんの連載エッセイ「ニョメン・オーガナイジング」(朝鮮新報)を楽しみにしている。
私がニョメン(在日本朝鮮民主女性同盟の略称、1947年結成)の洗礼を受けたのは34歳のとき。子どもの就学先を悩んだ末に連れ合いの母校の近くに引っ越して、一週間もたたない頃にニョメンの方が家を訪ねてきてくれた。知り合いがいなかった私にとってはありがたい訪問で、あれよあれよと子育てサークルに誘われ、コアメンバーになり10年以上がたつ。何か悩みがあれば聞いてもらえる友人や先輩後輩もでき、地域で楽しく暮らせているのは、ニョメンのおかげといっても過言ではない。
ニョメンでは月に1度支部常任委員会を開き、活動方針に沿って同胞宅を訪れ、他愛もない話をするが、張さんが書いていたように活動への厳しい意見を言われることもたびたびある。
…ニョメン「空洞化」世代のオンニたちは、ときに私たちの活動に対して手厳しい言葉を投げ、「メンビ(盟費)」納付を渋ることもある。それは、かのじょらが「時間」「こころ」「お金」の不安を常に抱えているがゆえのリアクションなのだろうか…。(連載⑩歴史を「引き受ける」処方箋」から)
連載では女性が抱えるケアについて次のようにつづられた。
…「育児」「教育」「介護」「介助」への不安は誰もが抱えていると思われるが、抱く「不安」の解釈も、大小もそれぞれ異なる。
女性の場合、「母親だから」「娘だから」という束縛から、ケアを抱え込むケースが多い。ケアというものは苦労や心配事が多く、自由を束縛する問題でもあるから、コストがかかる。このコストを無償で担ってきたのが女性たちである。
往々にして女性は公的領域から外れ、子どもや病人、障がい者、高齢者のケアを担い「家族」のなかに封じ込められてきた。しかも現代社会においては介護も子育てもケアの「サービス」をどのように利用するかの選択(市場化された私費サービスの購入)すらも、個人に強く求められている。女性に対するフォローより、責任ばかりが押し付けられるので負担も重い。そもそも人間は生まれてから10年以上と、老いてこの世から去るまでの数年、また病や障がいを得たとき、つまり少なくとも人生の4分の1ぐらいはケアを受けるのは必然なのだ。
誰もがケア依存なくては生きていけないのに、一生一度もケアの「役割」を果たさないでいられる人(男)がいてもいいものなのか!?…(以上、連載⑩から)
どこもそうだろうが、私が暮らす地域でもニョメンの対象は30代から80、90代と幅広い。先日の会議ではとくに50代、60代がニョメンから遠のいている、それはなぜかという話になった。
ともに活動する仲間たちは、50代が多くを占める。親の介護に看病、孫守り、教育費捻出のためのダブルワークなど、誰一人ケアと無関係の人はいない。遠方の親の介護に出向く人もいる。連載のこのくだりに、ニョメンから足が遠のいている人たちの暮らしに思いを馳せ、積極的に話を「聴く」ことを今年の活動方針に定めたことを思いおこした。
…ニョメンの多くの世代は多様な状況の多様な不安内容を理解することができるし、同様な状況で同様な不安内容を持っている同胞女性を包み込み、支え合うことができるはずだ。まずオンニたちのようにケア放棄しないその責任感に寄り添うべきだし、かのじょらが閉ざされず自らの人生を生き社会に支えられる形作りが必要だ。
日本社会では「家族」を超えるシステム作りが最重要課題なのだが、同胞社会でも女性の生活経験、生活文化をもっと生かすことで、ケアの営みを共有し、より多くの同胞の生き方にかかわることができるのではないか…。(連載⑩から)
このくだりにも大きくうなずいた。
連載のタイトルにある「オーガナイジング」には、仲間を集め、物語を語り、多くの人々が共に行動することで社会に変化を起こすことの意味があるという。
連載では、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する学習会や、日本のご近所さんとの付き合い、地道な訪問活動からニョメンの活動が照射されるが、「在日朝鮮人運動の原点」(なぜ私たちに組織が必要なのか、つながりとは何か)にたぐりよせる視点が新鮮だ。マンネリ思考から脱却させてくれると言おうか。。。
コミュニティを作っていくのは私たち、そして出会いを重ね、紡いでいくのは私たちだと活動の原点を見つめさせてくれる。
多くの同胞女性がかせられている「枷」を解放する運動とは―。すぐに答えは出ないが、動きながら、考え、つながりを築いていこうという気持ちになる。張歩里さんに感謝!(瑛)