長生炭鉱、次は遺骨発掘/井上代表が国会で記者会見、政府に調査支援を求める
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日本政府の責任において
1942年2月3日に起こった水没事故で、日本の植民地期に連行された朝鮮人を含む183人が犠牲となった、山口県宇部市の長生炭鉱の坑口が開く(24年9月25日)という新しい局面が広がるなか、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」共同代表の井上洋子さん(74)が11月6日、厚生労働省、外務省の担当者と面会し、遺骨が海に眠ったままでは「遺族の悲しみは癒えない」として、日本政府の責任において遺骨収集を支援してほしいと求めた。
この日の面会には、朝鮮半島出身者の遺骨の調査を担当している厚労省職業安定局人道調査室から3人、外務省北東アジア第一課から2人が出席。井上さんは長生炭鉱における潜水調査と遺骨収容の可能性について説明した後、毎年人道調査室に付けられる1000万円前後の予算を長生炭鉱に充ててほしいと訴えた。
この日、山口から上京した井上さんは、面会後に東京・永田町の衆議院第二議員会館で記者会見を行った。記者会見には、犠牲者・權道文さんのひ孫にあたる鄭歩美さん(37)、社会民主党の福島みずほ党首と、副党首の大椿ゆうこ参議院議員が同席した。
長生炭鉱は床波にある海底炭鉱。1942年2月3日の早朝に水没事故が発生し、朝鮮半島出身者136人を含む183人が亡くなった。朝鮮半島出身者の中には朝鮮半島北部出身者が5人いる。平安北道が3人、江原道が2人だ。
井上さんは、「日本の植民地政策の結果としてこのような悲劇が起きた」と指摘しながら
「強制連行、労働の象徴として存在していることの責任性が日本政府にあります。半官半民のエネルギー政策のもと、国の命令に従って追い込んで石炭を掘るという戦時下の中での、本当は救われた命でした。安全を確保しようとすれば、その命は助かった。日本の戦争政策のために『供出』が優先されて捨てられた命だった。このご遺骨を発掘し、お返しをしていくその過程は必ず、日本が犯してきた他国民族を踏みつけてきた過程と重なっていくだろうと思っています」
現在、日本政府は長生炭鉱の犠牲者を「戦没者」と見なしていないため、戦没者遺骨収集推進法(2016年4月施行)は適用されていない。
大椿議員は、「内閣官房が責任を取るべき課題だ。朝鮮半島出身者だけではなく、ここで亡くなった日本人の尊厳回復を含めて政府に求めていきたい。次の調査を見据えて厚生労働大臣に面会を求める」と語った。面談の場で大椿議員は、①今日の面会内容を新厚労大臣に伝えること、②潜水調査を行っている伊佐治佳孝さんと面会し話を聞くこと―などを求めたという。
死を覚悟していた労働者たち
調整炭鉱の坑口が開いた発端は、2023年12月8日の遺族と厚労省、外務省との交渉の場だった。
「遺骨の位置がわからない。深度がわからない。調査は困難だ」との政府の返答に対し、遺族の憤りは激しく、「刻む会」は炭鉱の坑口を開ける調査を自らすることを決心し、クラウドファンディングを企画。驚くことに1200万円を超える資金を集めた。「ご遺骨の位置を確認すれば政府は動く。政府のやらない口実をまずつぶさないといけないという思いで(24年)2月の追悼会で埋められた坑口を空ける決意をしました」(井上さん)。
「刻む会」は今年7月、現地で「坑口を開けるぞ! スタート集会」を持ち、宇部市に工事通告を行った後、9月19日から工事に着手、9月25日、ついに坑口が開いたのだった。
井上さんは語る。
…9月25日に坑口が、松の板が開いて水が入ってくるのを目撃しました。あの水の中に遺体があることの実感といいますか、あの奥に…と震えるような思いをしました。韓国のご遺族に翌26日に報告しにいくと、「あの中に遺骨があったんじゃないか。なぜ、遺骨が出ないように網をかけてくれなかったのか」と言われたんです。それほど、ご遺骨に対する思いが私と遺族との間に本当に差があったと思いました。
坑口は内側の横幅が220センチ、縦幅は160センチ…。大きな人は、かがまないといけないような大きさに衝撃を受けました。しかも松の板でできている。これはどういうことなのか。素人から考えると非常に納得しがたい坑口が出てきたわけです。宇部の「炭鉱を記録する会」の会長さんの話によると、松の木は何十年も持つものだ、水の中にあれば松の木は大丈夫だとはっきりおっしゃっていただきました。宇部の中小の小さい炭鉱はみんなこのようなものだったと…。この工法を考えた人の手帖も入手することができました。
韓国に暮らす当時小学校5年生だった遺族の全錫虎さん(92)の記憶は鮮明でした。私が行って坑口を見せ、「こんな形ですか」と聞くと、図を書いてくださいました。
全さんははっきり覚えておられて、左側はトロッコ通っていた、そして、右側は「行ってきます、おかえりなさい」と声を掛け合いながら人がすれ違っていたと。当時、炭鉱では12時間労働をしていましたが、坑口は出ていく人と帰る人とが行き交うくらいの幅しかない。トロッコの方が幅を取りますよね。今回韓国に行った遺族の中に、(炭鉱に)降りていった弟さん、上がってきたお兄さん―助かった方がちゃんと手を振ってあいさつをして、そこで別れたという生々しい話も聞きました。
その坑口から事故の当日、ネズミが出てきました。人生の生と死を分ける坑口だったと言えます。その坑口を目の前にすると、犠牲者に対する具体的な思いといいますか、死を覚悟しながら出入りしていったんだろうと…。(※以上、井上さんの発言から)
来年1月31日から再調査
井上さんは、洞窟探検家の伊佐治佳孝さん(36)が10月30日に潜水調査を担当してくれたことで、「遺骨回収の可能性が見えてきた」と報告。伊佐治さんが、海面から27メートルに潜水し、180~210メートル前進した結果、「本坑道を開けて遺骨は回収できる」との感触を得たことを伝えながら、2025年1月31日から2月2日までの3日間、再度潜水調査をすることになったと発表した。
また、潜水調査の後、新たな課題に直面していると指摘。
① 長期的な潜水を確保するための坑道入口の補強
② 半年ほどの間に土砂で埋まって進めなくなるのを防ぐため、土の流入を止める方策
③ 坑道内の水の混濁を鎮める、視界を確保する方策
④ 混濁した坑道内での遺骨確認・収容の方法
―これらの課題を解決するための技術支援を求めたいと懇願した。
さらに坑口の補強工事、土砂流入防止工事など、当初予想していなかった予算が必要だとして、年末に第2次クラウドファウンディングを検討しているとも伝えた。(瑛)