不幸じゃないと努力できない?
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今年2月18日に開催された「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」、そして同月開催の「オードリーのオールナイトニッポン15周年展」へ行ってきた。お笑い芸人のオードリーを推し続けて15年。ライブからだいぶ経ってしまったが、感想を綴る。
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オードリーが東京ドームライブの開催をラジオで発表したのが昨年3月末。そこからずっとチケット抽選に挑んできたが、ことごとく撃沈し、すべてのチケット争奪戦に敗北。泣く泣く渋谷のパブリックビューイングに参戦することにした。
そして迎えたライブ当日―。
せめて現地の雰囲気だけでも味わおうと、ライブ仕様のグッズを身に着け、東京ドームへ向かった。
ファンの熱気に包まれたドーム周辺を写真に収めたあと、名残惜しくも渋谷の会場へ。長蛇の列に並ぶファンたちとは違う方角へ向かう悲しさったらなかった(笑)。
渋谷の会場に到着後、すでに大勢の待機列ができていた。私と同じく、全員惜しくも抽選から外れた人たち。妙に心強かった。
オープニングとなるアニメ映像が終了したあと、パッとスクリーンが切り替わり、約5万3000人で埋め尽くされたドームの全景が映し出された。その圧倒的な光景に渋谷の会場が「おぉ~!」とどよめき、後ろの席の20代らしき男性は「行きたかったぁ~!」と悔しさを露わにしていた。東京ドームへ行けなかった全国のファンはみな、君と同じ気持ちだ。
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翌週、東京ドームシティで開催されていた「15周年展」へ向かった。
壁には、文字起こしされた15年間の厳選トークのパネルがズラッと並ぶ。
メッセージゾーンでは、ポストイットの限られた面積をフル活用し、願わくば本人たちに届けとアツいメッセージを書き込んだ。
15年間のラジオの思い出とともに、満足いくまでじっくりと観覧することができた。
ここから、展示されたトークの中で、売れない頃のエピソードトーク(写真)を少しだけ紹介したい。
どちらも風呂無しアパートに住み、バイトや少ない給料でなんとか生計を立てていた「売れない芸人」時代。社会人になり結婚して、人生を着実に歩む同級生たちと埋められないほどの「差」を感じ、いまだ芽が出ない自分たちの生活に嫌気がさしていたという若林氏。
誰にも認められず、世間に見向きもされない―。
まだ“何者”にもなれていない自分たちは、努力して売れることで“幸せ”になれると思っていた(後に「そうでもなかった」と語っている)。
ところが春日氏は、あらゆる知恵で貧乏生活を寧ろ楽しみ、「ピノが美味しい」「おにぎりが50円になって美味しかった」「仲間とゲームしたり遊ぶ」ことが“幸せ”だと感じる。危機感の無さはさておき(笑)、普遍的であり、些細な幸せだと思う。
「不幸じゃないと努力できないのか」
かつての若林氏にとっては呆れ以外の何物でもない回答だったと思うが、特に好きなエピソードのひとつだ。
テレビやラジオでは、度々ネタ作りで意見を一切出さない春日氏に不平不満をぶちまける若林氏と、お笑い芸人なのに「お笑い論がよくわからない」と笑う春日氏が散見できる。45歳になっても、このやりとりをいまだにやっているのが面白い。ファンが思っている以上に、不思議な関係性なんだろう。
そんな二人が東京ドームに約5万3000人を動員(全国の劇場や自宅では10万7000人が観覧)したのだから、長年のファンとしてはもう「エモい」の一言だ。
ライブの締めで行われた30分を超える漫才のテーマは「感謝」だった。ネタ中に春日氏が若林氏に贈った言葉は「元気でいてくれてありがとう」。
普遍的な言葉には“幸せ”が垣間見えた。(麗)