3年前の「#7日間ブックカバーチャレンジ」
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3年前、新型コロナウイルス感染拡大によってステイホームが叫ばれるなか、インドアでも楽しく人とつながれる取り組みの一つとして、SNS上で「#7日間ブックカバーチャレンジ」というアクションが流行った。
その名の通り7日間、好きな本の表紙を撮ってSNSに投稿するアクションのことで、①本についての説明は入れず表紙画像だけアップする、②その都度1人の友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする…とのルールも設定されていた。一種のチェーンメールである。
私も同年5月に先輩から指名を受けてFacebookで参加した。ただしルールは勝手に改竄。紹介する本の説明は入れ、次の人は指名しないことにした。表紙画像だけだと、機会と手間がもったいないと感じたからだ。
先日、友人との会話中にこのチャレンジのことが話題にのぼり、そういえばブログでは紹介していなかったなと思ったので当時書いた内容を転載したい。
1冊目『ダレン・シャン 奇怪なサーカス』
小学5年生の時、この本がきっかけで読書好きに。冒頭から引き込まれ夢中になって読み終えた。12巻で完結するまで常に続きを心待ちにして、その間を埋めるように次から次へと色んな本に手を出していった。
2冊目『天の瞳 幼年編I』
とある年のクリスマスの朝(確か中学生の頃)、起きて茶の間へ行くと大きな紙袋いっぱいに本が詰められていて歓喜した。自分では選ばないような作品ばかりで、その中にこのシリーズも入っていて読み始めると止まらなくなった。
ちょうどその期間、普段なかなか来られない遠方の親戚たちが我が家に集合したのだが、みんなが団欒している時も茶の間へは行かずに一人ずっと布団の中で文章を追っていたことを思い出す。見かねたオモニが「あんたみんないるんだからこっち来たら」と呼びにきたことも。
3冊目『あいうえおうさま』
実家にある本はそろそろ終わりにしよう(上京してから読んだ本を選ぼう)と考えていたが、そういえば好きだった絵本があったことを思い出したので。
確か小学校に上がる前?コモブ(父の妹の夫)が買ってくれた。「コマッスンミダ」と言ったら、照れ隠しなのか「そんなこと言わなくていいんだよ」と少しそっけなく返された。この絵本を見るといつもその思い出がセットでよみがえる。目尻が垂れていて、会うといつも優しかったコモブ。
振り返ってみると、経営者として忙しく働いていたコモブに会う機会は、小学校に上がってからは年に1回あるかないかだったような気がする。そんなコモブから突然電話がかかって来たのは自分が朝高生の時で、普段はないことなので驚いた。
近況を聞いたあと、「○○(コモブの息子)、彼女ができたんだって。コモちゃんには言ったらダメだよ」と小さな秘密を共有してくれた。もしかしたら嬉しくて誰かに言いたかったのかもしれない。
それからしばらく経って、ある日ハッキョの寄宿舎に電話がかかってきた。コモブが急病で亡くなったという知らせだった。改めて振り返ると、もう10年以上も前のことだ。冒頭の絵本はコモブとの直接的な思い出が残っている唯一の物だと言える。
ブックカバーチャレンジのつもりが、いつの間にか思い出コーナーになっている…
4冊目『誕生日事典』
確か中学2年生くらいの時に本屋で見つけ、自分の誕生日のページに書かれていたキャッチコピーに惹かれて購入。
類似の本がたくさん並んでおり悩んだが、自分にはこの本の雰囲気が合っているような気がした。話のネタになるし、ふと家族や友達の誕生日のページを開くと面白いくらい当たっていたりして、今でもたまに手に取ってパラパラと眺めている。なんだかんだずっと手元に置き続けている本。
ちなみに5月12日生まれの人の短所は、▼過剰な批判をしやすい、▼周囲の平穏をかき乱す…。かなり当たっている。
5冊目『調べてみよう、書いてみよう』
ノンフィクションを書く方法について紹介している本。テーマ立てから資料の調べ方、取材依頼、話の聞き方、そして執筆に至るまでをやさしく順序立てて教えてくれる。
小・中学生向けの本だが読んだのは社会人になってから。改めて学んだことに加え、普段の仕事のやり方を顧みて反省する部分も少なからずあった。自分の頭でしっかり考え、丁寧に作業を進めた先にこそ得られる言葉があるのだと気づかされる。
6冊目『竜の学校は山の上』
5、6年前にネット版の試し読みで独特な世界観にはまり、ショートショート→短編→長編と同じ作家さんの漫画本を揃えてきた。話によって物語のテイストや絵柄までもガラリと変わるので、次はどんな話が出てくるんだろうとわくわくした。
この本は短編集。九井諒子さんの作品には、自分とは違う存在と暮らしていくことの難しさ、切実さ、面白さを描いているものが多いような気がする。なのに堅苦しい感じは一切なくて、アイデアが縦横無尽でギャグが絶妙なのも良い。
おまけとしてこれまでの漫画遍歴を。ドラえもん、ブラック・ジャック、あさりちゃん、あずまんが大王、あたしンち、ピューと吹く!ジャガー、きょうの猫村さん…。少女漫画はほぼ読んだことがなく、中高生くらいまでは刺激の少ない日常系ゆる漫画が好きだった。
朝大生になり、夏休みや冬休みに実家へ帰ると弟の漫画コレクションがものすごく増えていて、それでかなり色んな漫画に手を出すように。自分も影響を受けて、のだめカンタービレを大人買いしたり。弟の漫画コレクションは今も順調に増えており(2500冊くらいあるらしい)、帰省時の楽しみの一つだ。
7冊目「국어」(朝鮮語)の教科書
出しておいてなんだが高1の内容はまったく習っていない。中学までは日本の公立学校へ通っており、北海道朝高に編入したばかりだったからだ。
국어の時間になると、同級生たちとは別の教室で朝鮮語を一から学んだ。そのときに使ったのが編入生用に編纂された국어教科書である(本当はそちらの表紙画像を出したかった…手元になく会社の資料室やネットでも見あたらなかったので泣く泣く妥協)。当時は毎日10個か20個ずつ単語テストをしたり、文法にそって文章を作ってみたり。生まれて初めて朝鮮語で両親宛てに手紙も書いた。
高2からやっと同級生たちと同じ教科書になったものの自分はとにかく音読が苦手で、指名されないかといつもヒヤヒヤしていた。その日に習う部分をあらかじめ黙読しておいても、いざ当てられると緊張して結局つかえてばかり。
ふだん遠慮なく人のことをからかう騒がしい同級生たちが、編入生が教科書を読んでいる間は静まり返る。それが恥ずかしくてたまらなかった。もちろん優しさからくる沈黙だったんだろう。だからこそ(あ〜気つかわれてる〜〜!)といたたまれなかった。夕方、寄宿舎へ戻ったあとルームメイトがいない隙を見計らって必死に読む練習をしたことが懐かしい。
その後もろもろあって朝鮮大学校の文学歴史学部に進学。文法を教えていたとある先生が、かつて自分が学んだ編入生用국어教科書の生みの親だと知ったときの驚きは今でも忘れられない。しかも研究院生時代に作ったと聞いて2度驚きだった。
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以上である。もしまたいつか同様のアクションをすることがあれば、次は「お気に入りの装丁」を基準に選んでも楽しいかもしれない。3年前とは選書ががらりと変わるはずだ。(理)