常磐線途中下車の旅(1)
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先週1週間、取材で福島県と宮城県を回った。
今年の3月で発生から10年を迎える東日本大震災関連の特集と、昨年11月に『JR上野駅公園口』が全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した柳美里さん(福島県南相馬市在住)のインタビューが主な取材内容だ。
そしてもう一つ、以前から考えていたあれを実行に移す時が来た。
JR常磐線で上野から仙台まで行くこと―。
東日本大震災発生から9年が過ぎた2020年3月、福島第一原子力発電所の爆発事故のため不通となっていた常磐線の富岡(福島県双葉郡富岡町)―浪江(双葉郡浪江町)間の運転が再開され、常磐線全線の復旧が完了した。震災当時、取材で何度か福島に通ったが、浜通り地域(沿岸部)は原発の30キロ圏内の手前までしか行けなかった。そこが今どうなっているのか、常磐線が全線復旧したら、電車に乗って現地に足を運んでみようと考えていた。
つながった常磐線に乗って東京から茨城、福島を経て宮城県の仙台まで途中下車の旅―。そんな時間も手間もかかること、取材という名目以外では実現しそうにないな、と機会をうかがっていたところ今回、福島県浜通り地域での取材案件が持ち上がった。
ダイヤを調べてみたところ、いわき以北の福島県浜通り地域を走る常磐線はよくて1時間に1本。時間帯によっては2時間に1本。25日朝に東京を出発し、26日夕方には小高駅前の書店「フルハウス」で柳美里さんのインタビュー、その日中に仙台入り、翌日は朝から宮城での仕事が始まる。1泊2日で行けるところまで行ってみよう。
26日朝、都内の自宅を出発し、上野から特急ひたちに乗っていわき駅に着いたのが午前10時過ぎ。この日の宿は駅前に取ってある。駅のコインロッカーに出張1週間分の着替えなどが詰まったキャリーバッグを預け、いざ出発。
いわきから草野、四ツ倉を経て久ノ浜駅で途中下車した。
県の記録によると、いわき市久ノ浜地区は震災当時、津波で浸水した区域の全戸数694戸中、大規模半壊以上の被害が465戸(全体の67%)、死者が68人と甚大な被害を受けた。このエリアでは地震と津波に加えて火災まで発生。10年前の3月、震災から2週間ほど経った時期に福島入りした際、現地の総聯専従スタッフの車に乗ってこの一帯を回ったが、その時に見た被害状況の凄惨さに息をのんだ記憶がある。
駅からタクシーに乗って、県道395号四倉久之浜線を波立海岸沿いに南下すると、久之浜と隣駅・四ツ倉のちょうど中間地点、海から突き出た弁天島が見えてきた。赤い鳥居と朱塗りの橋がシンボル。県内屈指の初日の出スポットだという。東日本大震災で橋が被害を受け、長らく通行不可になっていたが一昨年に再開された。この日はかなり波の高い天気。荒々しい太平洋の波とうねりが眼前に広がった。
帰りは、来た道を徒歩で北上。震災後に整備された堤防や道路で海沿いの景色は大きく変わっていた。並行する常磐線を、上りの特急ひたちが通り過ぎて行った。その瞬間、10年前に見た、線路上に電車が止まったまま放置されていた光景が脳裏によみがえった。
次の末続駅でも途中下車。この駅は常磐線で唯一、ホームから海が見える駅だという。
昔ながらのレトロな雰囲気あふれる駅舎も印象的だった。
末続からふたたび電車に乗り、昨年運転が再開された富岡―浪江間の駅を目指す。この日のうちに、区間内の駅(富岡、夜ノ森、大野、双葉、浪江)をどこか一ヵ所でも回りたかったが、あいにく乗車中の電車は広野までしか行かない。その先まで行く電車が来るまで1時間半ほどあるので、予定になかった広野でも途中下車してみた。
駅の跨線橋から広野火力発電所の煙突が見えた。
駅から歩いて10分、海岸近くの一角に震災碑があった。広野にも9メートルの津波が押し寄せ、海岸近くのエリアに大きな被害をもたらしている。
さらに歩いて海岸を目指す。海岸近くには防災緑地が造成されていた。
地元住民だろう。堤防沿いを散歩している人がいた。
次回に続く。(相)